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2008年10月22日(水) ぺこたん
東野圭吾と原作と映画とテレビドラマ
私は東野圭吾氏の作品が無性に好きです。
日本でNO.1のエンタテインメント作家、ストーリーテラーだと、惚れ込んでいます。
その作品は皆、非常に映像的。読んでいて、場面場面が鮮やかに脳裏に浮かんできます。そう、読んでいる間は、勝手に“ひとり映画館”に浸っているような感覚です。
登場人物の心の動き、心の襞の描写も、唸るほどに絶妙。
そうして何と言っても、あの読後感。その辺の小説家が書いたら、単に“後味の悪いグロテスクな小説”で終わってしまうようなものでも、彼の腕にかかると、何とも形容しがたい、哀しくも切なく、冷酷だけれど温かく、スケールが大きいのに繊細。とても甘美な物語になります。それはどの作品、どのミステリーやサスペンス仕立ての物語にも、共通して感じられるもの。独特の世界、ザッツ東野ワールド。
こういう言い方をすると、ちょっと誤解されるかも知れませんが、でも、“あー、日本人に生まれて良かったー!”…と叫んでしまいたくなるような。外来物にはない、独特の世界観があります。

特に好きなのが『白夜行』。
接する場面も殆どなければ、相手に対する思いを語るわけでもない、主人公のふたり。それでも、遠く離れていながらも、強く太い絆で繋がっていて、その変わらぬ深い想いが、全編を通して、底辺に静かに流れています。設定は突飛かも知れませんが、でもこれぞ、究極の関係。ある意味、とても理想的。非常に強くてカッコいい。これを単純なラブストーリーにしなかったのが、また、この東野圭吾という小説家の素敵なところ。
500ページを超える大作(文庫版は約800ページ)ですが、初めて開いた時は、それこそ日付が変わり、空が白むのに気づかぬまま、一気に読んでしまいました。その後も幾度か読み返しては、同じような思いで本を閉じ、同じようにしばらく放心状態になったほどー。

2006年には、テレビドラマ化されましたが、あまりに思い入れがあった為、一度も観ず仕舞い。

そうして現在、『容疑者Xの献身』(これで漸く直木賞を受賞!)が劇場公開中。とても評判が良いようですが、こちらもまだ観ていません。
それから『流星の絆』のテレビドラマ版も、先週から始まりました。

そう、『放課後』(1986年)、『秘密』(1999)、『宿命』(2004年)、『変身』(2005)などなど、東野作品の数多くが、映画化・テレビドラマ化されています。
でも、その殆どは観ていません。自分の中で思い描いている、映像イメージを壊したくないと言う、読者にありがちな我儘な考えからですが…。

あっ、でも『手紙』(2006年)は観ました。
“100人が読めば100通りの映像世界が存在するだろう”…という東野作品の中でも、これは比較的“みんな同じようなイメージをもつ作品ではないか”…と感じていたので。つまり、“これなら、まぁ、安心して観られるか”…と。
実際、とても気持ち良く映画館を後にすることが出来ました。キャスティングも皆ぴったりでしたし、設定変更も納得いくようなものでした。

それにしても、小説の映像化は、なかなかに難しい。

例えばです。
愛してやまないエミリー・ブロンテ作『嵐が丘(原作:WUTHERING HEIGHTS)』。何度か映画化されています。
最も古いのが、1939年のウィリアム・ワイラー監督作。あれはとにかく凄まじかった。
原作に一番忠実だと感じたのは、1992年作。レイフ・ファインズのヒースクリフは絶品でしたし、ジュリエット・ビノシュのキャサリンも、悪くはなかったと思います。それから坂本龍一氏の音楽。あれには鳥肌が立ちました。
でも、メキシコで制作された1953年版は、いったい何だったのだろう。舞台を、灼熱のメキシコ砂漠に移すとは、どう考えても酷過ぎます。あれは、ヒース生い茂る、荒涼としたヨークシャーだからこそ、生きてくる物語なのですから。

同じ英文学で思い出すのは、『テス(原作:TESS DURBEYFIELD)』(1979年)。
あの映画版は、心底堪能できました。監督ロマン・ポランスキー、それから主演女優ナスターシャ・キンスキーの代表作と言っても良いのでは。非常に美しい映像作品だったと思います。そう感じられたのも、或いはトーマス・ハーディの原作に、それほどまでの深い思い入れが、なかったからなのかも知れません。

最近の作品では、『死神の精度』(2008年)。原作は伊坂幸太郎氏。“あの独特の‘軽さ’‘突飛さ加減’が出せるのだろうか。いや、出し難いだろうな”…などと思いながら、映画館に行ったのですが、案の定、うーん、ちょっと無理がありましたね(でもそれは決して、金城武のせいではありません!)。

閑話休題。

さて、先に書いた東野圭吾作『流星の絆』のテレビドラマ版です。
脚本は、これまた私の大好きなクドカンこと宮藤官九郎氏。映画『GO』(2001年)、『ピンポン』(2002年)、テレビドラマ『木更津キャッツアイ』(2002年。2003年&2006年には映画化)、『池袋ウエストゲートパーク』(2000年&2003年)、『ぼくの魔法使い』(2003年)などで知られる脚本家、放送作家、映画監督、俳優、バンドマン。あっ、週刊文春のコラムも、最高に面白い。
でも彼の良さは、あのコメディ・タッチのドライさ加減。一方の東野圭吾作品は、限りなくウェットで切ない。そんな対極とも言えるような世界が、合体して、どんなものが出来るのだろう。いや、それ以前に、そんな世界を合体させて、本当に大丈夫なのだろうか。正直言って、期待半分不安半分。いや、期待よりも不安の方が…。

そうして先週の第一話。
う〜〜ん、クドカン・ワールドに押され気味の東野氏。はっきり言って、そうとう辛い。“軽さ”“分かり易さ”“面白さ”が求められる、昨今のテレビドラマゆえ、考え抜かれたコンビなのか…。だけど、もっと個性の強くない脚本家に担当して貰って、東野色を全面に出したのでは、駄目だったのでしょうか。素朴な疑問。
まぁ、原作を読まずに観ていたら、それほどまでの抵抗感もなく、単純に楽しめたのかも知れませんが…。でもこれ、なんたって東野圭吾さまの作品ですからねぇ!
あ〜〜、悲しい。
まぁ、最終回まで観てから、また改めて語ることにしましょう。

原作と映像は、まるで別物。はい、それは重々承知していますし、そう思いながら、客観的に観れば良いのです。分かっています、分かっています。でも、原作が好きであればあるほど、そう冷静に観ることなど、なかなか出来ませぬ〜。

小説の映像化。うーん、やはりなかなかに難しい……。
その他

2008年10月21日(火) さるるん@ロシア
腕にストレス
週末に父の祝い事があったので、一週間の帰国中です。

この二ヶ月ほど、左肩の調子がわるくて、急に左腕を動かすと激痛が。しかも、この2、3日腰痛もひどい。そんな話をしたら、父がよく利用しているテルミーが良いということで、昨夜、出張治療(と呼ぶのだろうか?)を受けることになりました。正式にはイトオテルミー療法と言うようで、「からだにぬくもりと刺激を与えることで、自然治癒力に働きかけ、病気の予防、疲労回復、健康増進を図る温熱刺激療法」とのこと。

温灸と指圧の組み合わせで、1時間半くらい全身に施術してもらいました。気持ちよかった〜! 

治療師(と呼ぶのかどうかわからないけど、便宜的にそう書きます)さんに「腕に相当のストレスがきています」と言われて、びっくり。特にマウスを使う右腕。翻訳者という仕事柄、一日中、PCに向かっているせいでしょう。「職業病ですね」と言われました。

私の場合、特に腕に無駄な力が入りやすいのかもしれません。(検索中の脱線癖や、無用なスクロールも右腕を疲れさせる原因か?) Trados等の翻訳ツールを使っていない私の場合、一日の翻訳量が15ページを超えると、腕がだるいと感じます。頭よりも腕の方が先に「もうできない!」と弱音を吐くことも少なくありません。

治療師さんに、ひじのちょっと上の部分や手のひらのツボを自分でこまめにマッサージするといいと教えていただきました。

また、前かがみの姿勢になりがちなせいか、鎖骨のあたりの靭帯?も縮まってきているとのこと。両肩を持ち上げて後に引くという動作で、縮まった部分をストレッチするように言われました。

姿勢がわるく、力みながら仕事しているせいで、体に負担がかかっていたのですね〜。体の負担を軽減する姿勢とか、運動とか、マッサージとか、研究した方がよさそうです。
未分類

2008年10月20日(月) いぬ
全力で現実逃避?
極めて散文的に過ぎた1週間でした。いつものことながら、要領が悪いので事務処理やら授業の予習やら何やらに追いまくられてしまい、ドタバタと騒々しい割にはあまり生産的でないという、毎度のパターンです。根っこの部分で変えようという気が無いんでしょうねえ、これは。

そんな中でもというよりは、そんな中だからこそなのか、仕事と直接関係ないことに首を突っ込んで、あれこれ考えていました。

まず、読みたくてたまらなかったのに、背表紙が見えない形で「積ん読」になっていた、谷口ジローの「遥かな町へ」を読みました。帯の宣伝文句によると、「48歳のサラリーマンの『私』は、出張の帰路、二日酔いのもうろうとした気分のまま、何者かに操られるかの様に、故郷・倉吉へ向かう列車に乗った。菩提寺の母の墓前で『私』は突然、激しいめまいに襲われる。気がつくと『私』は、記憶にある34年前の故郷に、中学生の姿で立っていた!!」という内容です。

私は埼玉育ちですが、母が里帰り出産をした関係で、生まれたのは鳥取市内です。それ以来、ほぼ毎年夏に鳥取に「里帰り」しているので、鳥取は心の中で特別な位置を占めています。谷口ジローのマンガの舞台は倉吉で、厳密に言うと私の知っている鳥取弁とは違うのだと思いますが、活字をなぞっていると遠い日の亡き祖母の語り口などがよみがえってきて、本筋とは関係ないところでジーンとしていました。

また、谷口ジローというと、高校の時に1作目読んで衝撃を受けた「坊ちゃんの時代」シリーズを描いた人という印象が強く、そういう意味でも懐かしさを感じました。

内容的には、過去に戻った主人公が、未来を変えるべく奮闘するけれども・・・という筋書きで、重松清の「流星ワゴン」とも重なる部分があります。また、運命に必死にあらがう男の姿という意味では、同じく谷口ジローの「晴れゆく空」のモチーフとも重なる部分があるでしょう。以前「流星ワゴン」の感想として書いた文が、本作にもそのまま当てはまるような気がするので、セルフ引用で恐縮ですが書き添えておきます。

「自分なりに道を自力で切り開いて歩き出し、その歩みがしっかりしだしたら、もう少し深い読み方が出来るのではないか。
 分かりあえてもあえなくても、運命を変えてやろうとあがいてもあがかなくても、結局何も変わらないのかもしれない。
 でも、結末は変わらなくて良い。大切なのは、自分自身が納得できるかどうかなのだ。納得して結末に向かう過程こそが、大切なのだから。」

青臭い感想で重ねて恐縮ですが、ここまで読み込むのが当時の私にとっては精一杯でした。今も対して変わっていませんが・・・。

続いて、授業でつかうLetter to Danielの予習をしているうちにBBCのサイト内にある第二次世界大戦の体験談を集めたページに行き着き、そこに出ていた話に興味を持って検索しているうちに、Chivalry in the Air(空の騎士道)というサイトに行き着きました。実話だそうです。

http://aviationartstore.com/chivalry_in_the_air.htm

舞台となるのは、第二次世界大戦中のヨーロッパ大陸。登場人物(?)は、ドイツ空爆に参加したアメリカ軍のB-17重爆撃機(イギリスを基地にしていました)と、その迎撃に舞い上がったドイツ空軍のBf-109戦闘機です。

対空砲火で損傷し、ドイツ軍戦闘機との交戦で酸素ボンベを撃ち抜かれたB-17、Ye Old Pub(ニックネーム)は、パイロットも意識を失ったために急降下し、奇跡的に地表近くで水平飛行に入りました。

意識を取り戻し、負傷者の手当てを部下に命じつつ、ボロボロの機体を必死に操って基地に帰投しようとするB-17の機長、チャールズ・ブラウン。一方、その撃墜を命じられたBf-109の搭乗員、フランツ・スティグラー(正確な読みが分からないので適当です)。

その日、すでに2機のB-17を撃墜していた腕利きのパイロットであるスティグラーは、まず後部銃座を黙らせようとB-17に接近したところで異常に気付きます。すでに空戦で後部銃座は破壊されており、機銃員の遺体も見えました。機体は穴だらけで、飛んでいるのがやっと。「この機を攻撃するのは、パラシュートを撃つようなものだ」と判断したスティグラーは、B-17と平行して飛び、イギリスに帰るのは無理だから不時着せよと手信号を送りますが、ブラウンはこれを断固拒否しました。

結局スティグラーは北海上空までYe Old Pubをエスコートし、ブラウンに敬礼をして翼を翻すと、基地に戻って「B-17は北海上空で撃墜した」と報告したのでした。真相が判明すれば処刑に値する重罪です。

一方、かろうじてイギリスに戻ったブラウンたちB-17の乗組員は何が起きたかを詳細に報告したのですが、上官から厳重な緘口令がしかれてしまいました。ブラウンは以後数十年間、沈黙を守り続けます。

20世紀も残り少なくなった頃、ブラウンたちYe Old Pubの元乗組員たちは、あの謎のパイロットを探し始めました。そして見つかったのが、フランツ・スティグラーだったのです。しかも、スティグラーはカナダに移住しており、ブラウンとはわずか300キロほどしか離れていないところに、数十年間も住んでいたのでした。2人は戦友会で無事再開を果たしています。

・・・とまあ、そんな話なのですが、「早く寝なくちゃ・・・」と思いながら、結局一気読みしてしまいました。残念ながら、スティグラーさんは、今年はじめに亡くなったそうです。

人間と人間が殺し合いをする「戦争」という状況下では、どんなひどい事が起きてもおかしくないと思います。その状況下で、こういうことが出来る人がいるというのは、しみじみ「人間も捨てたものではないなあ」と感じます。ただ、スティグラーさんもブラウンさんも、あの一件の後も戦い続け、スティグラーさんは最終的に重爆撃機多数を含む28機撃墜の戦果を挙げ(5機撃墜で「エース(撃墜王)」と呼ばれます)、ブラウンさんも25回の規定出撃回数をきちんと満了しました。ハリウッド映画ではありませんから、奇麗事では済まないのは、当然のことですね・・・。

思わず、D大の英作文の授業では予定を変更してこの話をした後、「自分がスティグラー氏なら、どうするか。そしてそれはなぜか」という題で英作文を書いてくるようにという課題を出してしまいました。授業中に隣の席の人とちょっと話し合わせたのを小耳にはさんだ限りでは、「撃墜する」「しない」の両方の意見が出ていましたが、課題の方はどうでしょう。楽しみにしています。

奇麗事で済まないといえば、先週図書館で借りてきた森田友幸氏の「25歳の艦長海戦記」も考えさせられました。異例の若さで駆逐艦「天津風」艦長に任じられた森田氏の体験記なのですが、ヨーロッパ戦線で起きたのと同じようなことと、正反対のことが起きてしまいました。

「弾は吸い込まれるように命中し、敵機は直ぐに火炎を上げ、右舷一千メートルの海面に墜落(中略)、三名の搭乗員が海面に脱出。ライフジャケットをつけてあおむけになって浮いている。ときどき片眼を開けてこちらを見る。死んだふりをしているのである。(中略)今までに死んでいった味方の仇を討ってやりたいと思う反面、憎い敵なれど、撃墜されて死んだふりしてまで助かりたいともがいているものを見逃してやるのも武士道と思う心が、爆雷を入れることを躊躇させる。

思わず『見逃してやろう』という言葉が出てしまった。しかし、この決断が正しかったのだろうかと、後々まで悩むことにもなった。

というのは、これから八日後の四月六日の昼、海防艦一号がB-25二十数機と交戦、沈没することになるが、同艦が右舷に傾き沈没に瀕した際、生存乗員約八十名は左舷船腹にしがみ着いたり、海に跳び込んで泳いだ。だが、米軍機は爆撃と機銃掃射を繰り返し、全員を射殺したことを戦後知ったからである」(pp.96-97)

正反対のこと、という言い方をしたものの、その差は紙一重とも言えるでしょう。自分がその立場にいたら、どちらの行動に出ていても不思議はないと思います。

また、爆薬を積んだモーターボートを使った「震洋」という特攻兵器(たしか今年に入ってからの日経新聞の「私の履歴書」で、その部隊にいたという方の話がありました)の記述があるのですが、読んでいて目を疑いました。

「震洋艇がベニヤ板でできているため強度が不十分で、全力を出すと水漏れや接着部の剥離を起こすものがあり、粗製品に唖然たるものがあった」(p.170)

こんな兵器を使って特攻作戦を組んでいたのですね。名前は聞いた事がありますが、ここまでお粗末な代物だったとは。これで特攻を命じられた方の胸中はいかばかりだったかと思います。

理不尽なのは特攻兵器を巡る話だけではありません。そもそも「天津風」は敵の攻撃で大きな被害を受けており、制海権を完全に失っていた当時、この艦をシンガポールから内地まで回航して修理すること自体が、無茶な話でした。事実、手負いの「天津風」を含む船団は、護衛していた輸送船はもちろんのこと、護衛する側の駆逐艦・海防艦すら「天津風」を除いて全滅し、「天津風」も最終的にはエンジンが故障して沈没を避けるために海岸に乗り上げてその運命を終えます。ついに一隻も生き残らなかったわけです。

最初から無理だと分かっていた命令でした。それでも軍上層部は、現場の意見を無視して命令をごり押しします。これをうけて、森田氏はあとがきに、次のように記しています。

「政治に従属すべき軍事が、いつの間にか政治のうえに立ち、勝算のない本土決戦を計画し、最後の決戦を戦おうとする大本営の指導を、誰も止めることができなかった。莫大な人命が失われることが予測され、国土は焦土と化するのが分かりながら・・・。(中略)原爆投下の是非については、今なお論議されるが、米側の『早く戦争を終わらせるためのやむを得ぬ手段であった』というのは、前線、銃後を問わず毎日数千数万の国民が殺傷されていく敗北の戦いをつづけねばならなかった戦局からすれば、一面では納得のゆく陳述ともとれる」(p.190)

私がイギリスに留学している頃、ワシントンのスミソニアン博物館におけるB-29「エノラ・ゲイ」号展示を巡って、論議が巻き起こりました。原爆を投下した「エノラ・ゲイ」の機体とともに、被爆者の様子も展示しようという博物館側の方針に、退役軍人会から「待った」がかかったのです。曰く、「原爆投下は正しかった」と。その理由が、正に前述のもので、その急先鋒が「エノラ・ゲイ」のポール・ティベッツ元機長でした。ティベッツ氏は最後まで主張を変えず、昨年11月に亡くなっています。

個人的には原爆投下を正当化する意見には納得していなかったのですが、今回森田氏の言葉を読んで、考え込んでしまいました。意見そのものの正しさはともかく、実際に当時に生きていらっしゃった方があのように語っていらっしゃる以上、そうでもしないと止められない状況があったという見方も成り立つわけです。何とも重い一言でした。

さて、そんな本を読みつつ、土曜日には久々に伝統系の空手道場にも稽古に行きました。やはりフルコンタクトとは違った面白さがありますね。一つ一つの動作の意味が深い深い。先生の解説を聞きながら、思う通りに動かない手足をヒョコヒョコ動かしていました。それが楽しいんですから、我ながらよく分からないですね。

日曜日には、久々に渋谷の伯母宅を一家で訪問。私の結婚式で仲人をして下さった伯父がいないのが寂しかったですが、美味しい食事に伯母と従姉妹と話も弾み、楽しいひと時でした(伯母から「論文は書かないの?」と直球の質問を受けて心拍数が急上昇したりもしましたが)。飼い猫のUちゃんは、知らない4人組の来襲にかなり怯えていたものの、最後の方では手を出すと臭いをかいでくれる程度には慣れてくれました。

伯母から伯父が使っていたネクタイを3本頂きました。おしゃれなものばかりで、締めるのが楽しみです。思えば、大学生の頃から、亡くなった伯父にはいろんなことを話しては、励まされてきましたね。お酒を注ぎながら「まあ、おやんなさいよ」とか、「Tちゃんは、露悪趣味があるからなあ。どっちだって構わないんだよ」といって微笑んでいた伯父の表情を今でもありありと思い出します。ダイニングに飾ってあった小さな写真を見ながら、Letter to Danielの最後の方の一節を思い出しました。

・・・foolish though it may seem, hoped that in some way he could hear, across the infinity between the living and the dead(そんなことはあり得ないのは分かりきっているんだけれど、生きている人間と亡くなった人間の間に横たわる絶対的な壁を越えて、何とか声が届かないものかと思った)・・・

写真の中の伯父は、妙なことを考えている甥っ子を見ながら、ちょっと困ったように微笑んでいるようにも見えました。
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2008年10月17日(金) フレッヒ
通訳者の基本として
 通訳者の基本中の基本だと
私が思っているのが、如何なる時も
通訳者は中立な立場に立ち、
相手の(または両者の)
意としている事を忠実にきちんと訳すと言う事。

 これは、本当に当たり前の事なのですが、
意外と難しくトラブルになる事も多いようです。

 展示会などのブースでの通訳は
商品を売り込むためのお手伝い通訳的な意味が
大きいので、そう言う場合を覗いて、
例えば、日・独両社のトラブルや契約事項の確認などは
本当に気をつけなければならない通訳案件です。

 プロとして通訳料を頂いて
仕事を始めてから大分立ち、会議や契約の立場に
立ち会って来た事は数知れず、多くが代理店契約、
時にはドイツ側の会社がある時、突然全く知らない人に売られ
急に今までの契約は解除、
日本側が大変な事になり、ドイツまで同行して
新しいオーナーを日本側の方と弁護士と追いかけたりしました。

 しかし、どちらかの立場になって、ましてや
味方になって通訳してるとか、言われた事は一度もありません。
言え、正確に言えば昨晩まで・・・。

 日本側が思っていたように行かなかった結果で
会議は終了し、私の通訳料の件で翌日お電話がありました。

 元々私は先輩通訳者のピンチヒッターで行った数日間でしたが
大変ハードな3日間で、最後は終電を逃し、急遽泊まり。
でも、通訳に関しては本当に普段だったらあり得ない、
(いや、通訳者としてはありえない・・・)12時間ぶっつづけの
ミーティングでした。私が残業代は頂きたいと言う
お話しから、それが御気にめさなかったのか、
「ミーティングの最後の方は、相手の味方と取れる通訳だった」
と言い始められ、私は本当に心底ショックでした。

 それだけは私はないと言い切りましたが、
あんなに頑張って長時間ふらふらになりながら
仕事したのにと、昨晩は悔しくて悔しくて本当に眠れませんでした。

 しかし、紹介してくれた先輩通訳に
報告すると、話がうまく進まなかったりすると、
他の通訳者にも同じような事を毎回言っているそうで・・・。

 そう言うお客様と会った事がなかった私は
今まで偶然にも恵まれて居ただけなんだと思いました。

 今回は本当にいろいろな意味で勉強になった
お仕事でした。合掌・・・。

 

 


 今日の関係のない一枚。先月のソウルでの人生発
一人焼肉。大好きな豚肉の3枚バラの焼肉サムギョプサルです。
普通一人前の値段が書いてあっても、絶対に2人前からの
注文と言う所が多いのに、受け付けてくれた優しい
豚肉専門の焼肉やさん。コックさんも接客もオーナーも全て
女性でした。もちろんいろいろおかずが付いておかわり自由、
ビール1本とご飯は別に頼んでも1300円でした!
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2008年10月16日(木) みなみ
Tooth Fairy
 水曜日のぺこたんさんの書き込みに出てきたTooth Fairy(歯の妖精)は、NZにも生息しています。子供たちは歯が抜けると、枕下にその歯を置いておきます。するとあら不思議、翌日起きてみると、歯がお金に変わっているのです。
 もらえるお金は、家庭によって異なります。我が家はたいてい、1ドルコインでした。日本の感覚でいうと、100円ぐらいです。
 たまに、朝、起きてもお金に代わっていないことがあり(つまり、私がうっかり交換を忘れてしまった)、そのときの娘の落胆した顔といったら。「きっと、昨日はたくさんの子の歯が抜けて、Tooth Fairyが忙しすぎだんだよー、今日の夜には来てくれるよー」と、必死でフォローをすることが何回かありました…。
 ちなみに、なぜ抜けた歯でお金をもらえるかというと、Tooth Fairyが住むお城は歯でできているので、材料としての歯のお礼にお金を置いていくのです。ところが虫歯がある歯は材料にならないので、交換してもらえません。と、以前に娘と読んだ絵本に書いてありました。
 ちょっと前に、娘の最後の乳歯が抜けてしまったので、我が家のTooth Fairyはお役御免となってしまいました。
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2008年10月15日(水) ぺこたん
カナダの祝祭日
先日の13日は、体育の日でした。
小中学生の私は、この日の為に、学校通いしていたと言って良いほど。“100メートル走”“100X4(もしくは100X8男女混合)リレー”という言葉を聞くだけで、いまでもワクワクします。
運動会お決まりの音楽を聴くと、いまでも身体が疼き、居ても立ってもいられなくなりますし、バトンのような形状の“細長いもの”が目に入ると、それが何であろうと、自分が何処にいようと、思わずソイツを引っ掴み、思い切り疾走したくなります。嗚呼。

それにしても最近の日本、祝祭日が多くないか?…と思って調べてみたら、先月は15日(敬老の日)と23日(秋分の日)と、2日もありました。そう、現在の日本の祭日・公定休日は、年間15日もあるのですね。
ちなみに、アメリカは10日、イギリスは8日。

そうして我がカナダは、合計10日です。
1月1日=New Year’s Day(元旦)、3月21日=Good Friday(聖金曜日)、3月24日=Easter Monday(復活祭翌日)、5月19日=Victoria Day(ビクトリア・デイ)、7月1日=Canada Day(建国記念日)、9月1日=Labor Day(労働者の日)、10月第2月曜日=Thanksgiving Day(感謝祭)、11月11日=Remembrance Day(戦没者追悼記念日)、12月25日=Christmas Day(キリスト降誕日)、12月26日=Boxing Day(クリスマスの贈り物の日)。

幼年期を過ごした国ですから、祝祭日は、それだけに強烈で、そうして楽しい思い出として、心の中に残っています。

例えばEaster。
十字架にかけられたキリストが、3日目に弟子達の前に現された日。蘇りのお祝い。
なーんてことは、3-10歳くらいの子供には、殆ど理解できていないわけでして…。
とにかくあの当時のeasterと言えば、茹で卵(=誕生・復活の象徴だそうな)に、色とりどりの模様・絵柄を描いて、チョコレートを一杯食べられる日!
easter bunny(イースターのウサちゃん)が、庭先に隠した色とりどりのeaster eggを、子供同士で探すeaster egg hunt(卵狩り)。カナダ時代の懐かしいひとコマです。
そうして店頭には、chocolate bunnyやchocolate eggが、たくさん並びます。
まぁ、これ等が“キリストの復活”と、どう関係があるのか、そうとうナゾではありますが…。

それから、Thanksgiving Day。
1620年、信仰の自由を求め、Mayflower号に乗り、イギリスからアメリカPlymouthに移住した清教徒Pilgrimsが、数々の困難を乗り越えた後の、翌年秋の大収穫を神に感謝する日。
なーんてことを、カナダの小学校で習ったものの、我々子供達にとっては、stuffed turkey(中身色々の七面鳥)、cranberry sauce、mashed potato、gravy sauce、green peasやcarrot、apple pieなどの御馳走が食べられる日!

そうして、Christmas Day。
起源は今更言うまでもないので、詳細はここでは省略しますが、ひとことで言うと、そう、“イエス・キリストの降誕を祝う日”。
でも、幼年期の私にとっては、Santa Clausがreindeerひくsleighに乗り、christmas lights、twinkle lightsで飾られた家の煙突を伝って、christmas lightsやornaments(トップは星か天使ね)で飾られたchristmas treeの下に、プレゼントを置いていってくれる、とてもありがたい日!

そうそう、言い忘れていましたが、冒頭の“体育の日”に当たる祭日は、カナダにはありません。
学校では運動会もありません。それに近いものはあります。Field Dayと言い、思い思いの服装で(だいたい体育着など存在しないので)、ゲームや障害物競争などを楽しむ、“お遊戯の日”といった感じ。

祝日ではないものの、忘れられないイヴェントも、幾つかあります。

まずは、Stampede(スタンピード)。7月の第1週。
chuckwagon race(炊事馬車レース)、rodeo(ロデオ)などが開催される、カウボーイの祭典。
地元が華やぐ日で、私もカウボーイ・ハット、カウボーイ・ブーツなどと、上から下までカウボーイ・ルックでキメて、パレードに参加したりしていました。

それから、10月31日のHalloween(諸聖人の日の前晩)。
ここ数年の間で、日本でも有名になり、一部地域では“パレード”も行なわれていますが、カナダの子供達にとっては、“近所を徘徊しながらお菓子をタダで貰う日”!
まずは、カボチャ(元々、英国やアイルランドで用いていたのは“カブ”)の中身をくり抜き、顔をかたどり、中にろうそくを入れたJack O'Lantern(ジャック・オ・ランタン)を“魔除け”として、戸口などに置きます。まぁ、“魔除け”と言うよりは、“近所の悪ガキ除け”と、当時は考えられていましたが…。
それはさて置き、これと同じ形をした、市販のプラスチック製Jack O'Lantern(あるいはジャガイモ袋など)を手に、思い思いの格好で、“Trick Or Treat(お菓子くれなきゃイタズラするぞ)!”と唱えながら、近所を一軒一軒襲撃しては、そのJack O'Lanternに、飴やフルーツなどを入れて貰うわけです。
私はbunnyやwitchやprincessなどになりながら、まずは近所の友達の家に集結し、そうしてみんなで繰り出していました。
いまでも、そのカナダの友達の家に泊まりに行くたび、みんなでその当時の“変身後写真”を眺めては、その“アホさ加減”に大爆笑しています。

それから、2月14日のSaint Valentine's Day(聖ヴァレンタインの日)。
日本では、“女が男にチョコレートをあげる日”ですが、向こうでは、男女がキャンディーやバラや下着などを、プレゼント交換する日。
小学生だった当時の私は、“バラ”やら“下着”やらいう発想は、勿論なく、友達同士で、カードをあげたり貰ったりしていました。

また、カナダの祝日ではありませんが、3月17日には、Saint Patrick's Day(聖パトリックの祝日)も祝っていました。
これは、アイルランドの祝祭日であり、同国にキリスト教を広めた聖パトリックの命日。
shamrockを手にしたり、描いたり、胸に飾ったり、“緑色のもの”を身につけたりしながら、パレードして廻る日。
まぁ、子供ですから、“緑色のものを身につける”のではなく、“身体中を緑色のペンキで塗りたくる”ことに熱中していましたが…。
それはさて置き、この祝日、カナダであれだけ盛大に祝っていたのは、たぶん、アイルランド系移民が多かったからなのだと思います。いま思うと…ですが…。
ちなみに“シャムロック”とは、クローバー、カタバミなど、葉が3つに分かれている草の総称であり、アイルランドの国花。“三位一体”の象徴。アイルランド語で、“クローバー”を意味する“Seamair”に似た発音を英語で綴ったもの。

あっ、それから、祝祭日ではないのですが、こうして綴っている内に、思い出しました…。
そう、tooth fairy!
乳歯が抜けた時、それを枕の下に入れて寝ます。そうすると翌朝には、あら、びっくり。その歯がコインに変わっているのですヨ!!

……と、幼年期を過ごしたカナダは、
“卵”“ウサちゃん”“七面鳥”“サンタクロス&トナカイ”“カウボーイ”“カボチャ大王”“三つ葉”、そうして“歯の妖精”などと、素敵な人達や物達で溢れていました〜。
その他

2008年10月14日(火) さるるん@ロシア
この一週間
10月7日(火)
先週のブログに書きそびれましたが、プーチン首相の誕生日でした。大統領ではなくなったとは言え、今も人気があるプーチン。この日は、TVで、「ウラジミール・プーチンと柔道を学ぼう」というDVDができたというニュースが流れました。おもしろそうなので、発売になったら買おうと思っています。

仕事の方は、前夜遅く、金曜から格闘していた案件を納品。このところタフな案件続きだったので、もう頭が飽和状態で、ちょっと休まないと次の仕事はできそうにないと思っていたら、この日は仕事が入らず、ほっとして、くつろいでおりました。

ちなみに、私の場合、比較的少ない分量の(でも内容は手ごわい)ビジネス文書を急ぎならば翌朝までに、そうでなければ2、3日程度で訳すというパターンが多いので、一週間先まで予定がわかっていることはまれです。ひとつ納品が終わったら、次の電話が来るまで予定がわかりません。臨機応変が、この仕事のキーワードのひとつです。

10月8日(水)
ウエンツくん(好きなんです)の誕生日。
この日も仕事はなし。久々に大そうじ。このところ家の中がひどい状態だったので、この休みはありがたかったです。

10月9日(木)
娘と二人、夜行列車で義母の住む町へ。プラツカールトと呼ばれる3等寝台車を利用。向かい合わせの2段ベッドと、通路側の2段ベッド、合わせて6人分が一区切りだけど、車両全体が同室って感じの雑居寝台です。カーテンなどの仕切りはなく、プライバシーも何もありません。個室(4人一部屋)もありますが、あぶない人と同室になる可能性もあるので、母子二人旅にはプラツカールトの方がかえって安心です。 夜8時すぎにモスクワを出発し、現地に着くのは翌日の午前11時。飛行機でモスクワから成田に行くよりも時間がかかります・・・。

10月10日(金)
義母の住む町に到着。義母とうちの娘は元気に出歩き、風邪気味の私は終日義母宅で読書。前から読みたいと思いながらも読みそびれていた黒木亮の『アジアの隼』。97〜98年のアジア金融危機の頃の話。本筋ではないのですが、あの頃アジア市場でひとり勝ちしていた米系投資銀行が今は・・・と、時期が時期なだけにしみじみ思うものがありました。

10月11日(土)
この日も、終日義母宅で留守番しながら読書。宇江佐真理の時代小説『無事、これ名馬』。宇江佐真理は私の郷里函館在住の作家ということもあり、ひいきにしている作家です。宇江佐真理の人情ものには、いつも泣かされます。

10月12日(日)
夕方、モスクワ行きの夜行列車に乗車。行きは運良く母子ともに下段の寝台を確保できたのですが、帰りは私が上段に。プラツカールトの上段ベッドは天井が低く、高さ50cmくらいの空間しかありません。頭がつかえて座れず、横になるしかない。幅も50cmくらいだし、自分が荷物になったような気がするベッドです。

10月13日(月)
朝、モスクワ到着。メールをチェックしたら、仕事が入っていました。10月16日からまた一週間日本に帰るので、15日中に納品すべく、きばって仕事せねば!

しかし、この数日見られなかったニュースをチェックしたら、「米国が北朝鮮のテロ支援国家指定解除」「ロス疑惑の三浦氏が自殺」等々、驚いてしばらく仕事が手に付かず・・・。

10月14日(火)
終日、仕事の予定。
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2008年10月13日(月) いぬ
スタートは何度切っても良いものです
R大学の通訳の授業で、なかなか良い雰囲気が出てきました。授業では日英・英日の逐次通訳に取り組ませているのですが、シャドウイングや音読や単語チェックをした後、いきなり通訳学校式に学生を指名して通訳するのではなく、その準備段階として学生同士で少人数グループに分けて通訳セッションを行なっています。

通訳につかう日本語や英語のスクリプトを1人が1段落ほど音読したら、次の人がそれを通訳し、それが終わったら全員で訳出についてコメントを交し合い、また次の人がその先を音読して別の人が通訳するというわけです。コメントを出してディスカッションをする際に、一つ大まかな指針を提示しています。それは「聞き手を意識する」ということです。

通訳はサービス業ですから、肝心なのはお客様(聞き手)のお役に立てるかどうかです。ということは、通訳者が一つの言語を別の言語に「処理」することだけに専念して、その処理された言語を受け取る人のことを失念するようなことがあってはならないと思っています。料理で言えば、盛り付けに当たるでしょうか。腕の良い板前さんが、良い材料を使って良い仕事をしたとしても、学食の食器に煮物も焼き物も一緒くたに盛り付けて出してしまっては台無しです。厳しい言い方をすれば、通訳者の「自己満足」に終始してはならないということだと思います。

この視点を取り入れるのは、学生さんにとってはなかなか新鮮らしく、ディスカッションをしていると、一人一人がクライアントの立場から、または日本語や英語の使用者の立場からなかなか鋭いことを言っています。私1人があがいてもどうにも上手く教えられなかったことを、学生さんたちが一つ一つ自力で見つけているのです。ディスカッションのヒントを出しつつ机間巡視をしながら、実に感心しました。

やはり人間、「教わったこと」は右から左に抜けても、自分で「発見したこと」「身につけたこと」は忘れないですね。今までの指名して訳出させてコメントというやり方だと、学生さんによっては「とても出来ない」と絶望してしまうこともありました。教師の仕事は「絶望させる」ことではないはずだ、とは思うものの、それ以外の方法も思いつかずに暗中模索の状態でしたが、9月の通訳翻訳学会での発表にヒントを得たのです。今のところ大当たりで、ホッとしています。

そんな授業があった日の夜、妻と一緒に「新宿・歌声喫茶の青春」という音楽劇を見に行ってきました。実在した「灯」という歌声喫茶をモデルにした劇です。これが実に面白かった。役者さん一人一人がハマリ役だったのももちろんのことなのですが、当時の世相と言いますか、「歌」が社会においてどれだけ大きな役割を果たしていたのかがよく分かりました。

現在どれだけヒットした歌であっても、当時の歌が持っていた社会に対するインパクトとは比べものにならないのですね。それは映画でも同じだと思います。そして、「歌」にしても「映画」にしても「文学」にしても「英会話」にしても、社会に対する影響力という点で、昔日の面影はないのだなあとも思いました。

マッカーシー旋風が吹き荒れる中で労働歌を歌う事がどんなことか、今の私には歴史的な記述としてしか知ることは出来ません。その場に居合わせた人だけが「肌」で感じ取ることが出来たのだと思います。モーツァルトが「異端」だったように、「ジャズは不良の音楽だ」と本気で言われていた時代があったように、かつて担わされていた役割の重みは、もはやなくなっているのでしょう。もちろんだからと言って、芸術としての価値までがなくなるわけではありませんが、かつては「歌」でしか切り開けない時代の最先端があって、その拠点としての「歌声喫茶」があったのだな、と思います。

あの劇に惹かれたのは個人的な郷愁もありました。私の家では小さい頃から良く歌を歌っていて、学校で習った歌を歌っていると父や母がハモって合唱になることが良くありました。父や母の職場の方を招いてパーティーをやることもよくあって、その際にも私や弟の使い古した音楽の教科書が即席の「歌本」になっていたのです。みんなで歌を歌っていると、不思議な一体感のようなものを感じて、歌は大好きでした。英語を覚えたのもいわゆるオールディーズと言われるアメリカンポップスが大きな要因です。

劇は観客参加型で、舞台セットに映し出された歌詞を見ながら様々な歌を歌いました。それが昔のホームパーティーやら、サマースクールのキャンプファイヤーやら、そんな懐かしい思いと結びついて、あっという間の3時間だったのです。

いかに「歌声喫茶」を根付かせるかというマーケティングの話し合いは、英語の授業における生徒の巻き込み方ともある意味で通じるものがあって、その部分は教員としての視点で参考資料として見ている自分に気付いて、ちょっと苦笑したりもしましたが。

さて、今週は何だか仕事が重なってしまい、寝不足でヘロヘロになりながら、ゴングに救われるボクサーのように週末に突入。日曜日の「題名のない音楽会」は司会の佐渡裕さんがゲストに松岡修造さんを迎えるということで、ユニークな取り合わせだなあと楽しみにしていました。印象的だった言葉をいくつか抜書きします。

(子供たちによって編成されたオケに対して、本気で怒ったことは?との質問に対し)
佐渡さん
・演奏ミスは、仕方がないと思う。しかし、演奏会の後、お礼を言わなかった時は本当に起こった。ステージに上がる自分たちを支えている人たちがいることを意識しないといけない。
松岡さん
・失敗は大歓迎だ。失敗はダメと言ったら、小さくまとまってしまう。
・子供は見抜く。こちらが本気でないと、いろんな意味で「だまし」が入って来る。
・緊張したときには、まず力を入れる。抜くときに緊張も抜ける。

そんな番組を見た後に、子供たちを連れて、近所の公園に。暫くすると妻がやってきてタッチ交代して、私は前々から楽しみにしていた、英語カラオケのサークルの定例会に出発しました。

その道々読んでいたのが、木曜日にNHKでシフトに入ったときに買った岩村圭南さんの「英語をめぐる冒険」です。これは正に「冒険譚」と言うべき内容で、岩村さんの英語学習の足跡をたどるものだったのですが、いやあ、やはり栴檀は若葉より芳しと言いますけれども、若い頃から実に面白くも的確な努力を積み重ねてらっしゃいます。

いや、サラリと言いましたが、この「努力の積み重ね」が半端ではないんです。しかも、決して「苦行」にしていない。そうだったらここまで続かなかったでしょう。壁に行き当たるたびに、どこまでもポジティブにエキサイティングに、しかし断固たる決意を込めたトレーニングを行なってそれを打破しているのです。

「職業柄、英語の上達法についてよく聞かれます。そのときは、決まって日々の練習の大切さを強調します。それを聞いた相手は、少し不満顔。なぜなら努力以外の別の何か、秘訣とでもいうべきでしょうか、そういうものを求めているからなのです。だからと言って、私には伝授できるような秘訣などありません。」(P.214)

という箇所などは、私も同じように感じていて、学生からこの手の質問があるたびに内心ため息をついていたのですが、この本を読んでいて「いや、岩村先生、やはりありますよ」と、ふと思いました。

あれほどの努力の原動力となった、英語への憧れと言うか執着と言うか愛情と言うか、そう言ったものこそが、岩村先生があそこまで英語を上達させた「秘訣」ではないでしょうか。その観点から言うと、英語への関わり方は人それぞれでしょうから、10人いたら10通りの「秘訣」が、一人一人の中に埋まっていて、しかもその秘訣は本人にしか掘り出せない、ということになります。私の場合はどうなのかな・・・などと考えながら読了し、続いて「新宿・歌声喫茶の青春」を見た際に会場で買った、原作本の「歌声喫茶『灯』の青春」(丸山明日果 著)を読み始めました。

「わたしは六十四歳で、生活がかかってないにも関わらず、真剣。未来あるあなたが不真面目ってどういうこと?ま、何だかんだ言っても豊かな世の中だから、きっと真剣になる必要もないのね。いいんじゃない、それに身をゆだねておけば」(P.14)

いきなり頭を殴られたような気分になりました。著者の母親にして、元「灯」の歌唱指導者だった里矢さんの言葉です。

久々にパーッと楽しもうと思っていたのですが、少々考え込みつつ本を閉じて電車を降り、今日の会場であるカラオケ店に入りました。集まったのは十数人で、50代以降の方が多く、40前の私はかなりの若手の部類に入ります。

1次会は1970年代までの歌という縛りがあり、別に日本語の歌でも良いのですが、皆さん英語の歌が続きます。私はプレスリーとジョニー・ティロットソン、トム・ジョーンズにジョン・デンバーと歌いながら、女性メンバーのご協力を得て「いつでも夢を」も歌ってみました。

この会の良い所はみなさん歌うのも聞くのも好きで、他の人が歌っている時も楽しそうに手拍子したり、合いの手を入れたり、ハモったりすることです。みんなで一緒に歌うこともあります。

ノリのいい曲を大合唱していると、「ああ、昔、こういうことがあったなあ」と思ったり、「歌声喫茶の雰囲気って、こんな感じだったのかなあ」と思ったりしました。

2次会は縛りがなくなるので自由に歌えるのですが、前回参加したときにシャレで嘉門達夫を歌ったらウケてしまい、今回もリクエストがあったので「ハンバーガー・ショップ」と「鼻から牛乳」を歌っておきました。英語の歌を歌ったときよりも反応が良いのは、何だか複雑な気分でしたが。

まあ、大学時代に筝曲部にいたときにも、似たようなことがありました。三味線パートの後輩をたきつけ、大学祭にクラブとして出店した和風喫茶の中で、尺八と三味線で「踊るポンポコリン」を演奏したのです。本来の筝曲の演奏よりウケが良かったのですが、「お前は尺八パートじゃない。イロモノパートだ!」と先輩に怒られてしまいましたっけ。

帰りの車中でも「歌声喫茶・・・」を読み続け、最寄り駅で降りた後はそのままガード下の居酒屋に直行して生グレープフルーツサワーを飲みつつ読み進めました。

「人は、生活に追われるうちに、本当の自分を見失っていく。それはそれで幸せなことなのかもしれない。でも、どんな時でも見つめ続けている人だっている。わたしも普通に生きているけど、その中で、本当にこれでいいのかって問い続けている。私はそこで嘘がつけないのよ。自分に問いかけてみて、怠けて生きてますって言うときほど、辛いことはない。だから自分の中にいる本当の自分と、戦い続けなければならない。それをしたところで、その先になにが待っているのかはわからないんだけどね。」(P.131)

頭がしびれたような気がするのは、アルコールのせいばかりではないようです。家までの道を歩きながら、メモ帳にいくつか単語を書き付けてみました。

英語。歌。音楽。居場所。

かつて、「英語を学べば世界が開ける」と誰もが思っていた時代がありました。そして、「通訳者になれれば、英語が極められる」と思っていた青年がいました。

時は流れ、英語をある程度使いこなせるのは当然のこととなり、青年は通訳者になりました。しかし、一つ山を越えたと思った時に見えてきたのは、自分はまだその山を登りきってもいなかったということ。そして、次のもっと高い山でした。

岩村先生や丸山さんの後に続いて、自分も新たなスタートを切ろう。そんな気持ちにさせてくれたお二人の著書や、学生さんや家族やサークルの仲間や、私を取り巻く全てのものに感謝です。ささやかな勉強をした後、ゆっくり眠って明日からの一週間に備えたいと思います。
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2008年10月10日(金) フレッヒ
日本の偉大なるヤンキーファッション
  9月中は約20日間に渡り
我が家にドイツ人ゲストが居た。
元々日本で3年弱働いていた経験があり、
その時からの友人。


 


 彼が絶賛なのが、日本の古くからの
刺繍系ヤンキーファッション。この写真のジャンパーも
4万近くするのだか、素晴らしいの一言で即決。

 買って来た時、私があまりにも受けて
大笑いして、本人もご満悦。この中に着ているTシャツは
私がジャンパーに合わせてプレゼントした「闘魂」Tシャツ。

 ジーンズはうちの近所にあるジーンズショップで
お買い上げのLEE。しまむらで下着も買い込んで行った。

 ユーロ高が長く続くヨーロッパ。日本の方が
断然!衣食は安い。うちに来るドイツ人ゲストたち、
本当に皆頭のてっぺんからつま先まで日本で揃えて行く。

 そしてうちの近所のワイシャツ1枚68円と言うクリーニング屋
さんにも感動して、(ドイツだと最低でもワイシャツ一枚
近くする)バンバン出す出す・・・。

 ようやく帰国してくれて仕事に集中出来る状態に
なったけれど、とっても面白いゲストだったので
少し寂しさも。

 明日からはドイツの鉄道模型(玩具)の会社の方々の
通訳。初めての分野なので、明日資料を貰ってきて
打ち合わせをして来週に控えて予習。ネットでその前にいろいろ
情報集めもしとかなきゃ。興味を持った事もない、
本当に未知の分野!

 

 
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2008年10月 9日(木) みなみ
Tummy Bug
 この間の土曜日、どうも10歳の娘の元気がなく、食欲がないので、おかしいと思っていたら、夕方から嘔吐が始まりました。夜にはほぼ15分おきに、摂取した水分をゲロゲロと吐きました。おまけに下痢も。
 あまりにもひどいので、ひょっとしたら食中毒かもしれず、それなら入院!?(日本の話だが、スーパーの総菜のかつ丼を食べて1週間入院したカップルを知っているもので心配だった)と思って、夫の運転で近所の24時間救急病院に行ってきました。
 土曜日の夜中で混んでいるかと不安でしたが、すぐに診てもらえたのは幸いでした。結果は、「Tummy Bug」でしょう、というもの。Tummy Bugという言葉は、特に具体的な病名ではなく、ウィルスやバクテリア、食当たりなどで、子供がお腹の調子を壊したときによく使う言葉です。日本語でいうと、「ウィルス性腸炎」が近いように思います。Tummy Bugという言葉を聞くと、なぜか私は、幼児向け番組「アンパンマン」に出てくる悪役キャラクター、「ばいきんまん」が浮かんできます。
 肝心の治療の方は、「子供には与える薬はない」ということで、まったくなしでした。せめて吐き気止めとか、気休めの注射とか、してもらえるかなあと思っていたのですが、子供には下手にそういう処置はしない方がいいとのこと。
 お医者さんによると、「たぶん24時間で症状は治まるから。運が悪くても、48時間以内には」とのこと。そして食べるものは、「Plain Toast(バターなどをつけないトースト)」と「Plain Boiled Rice(こちらはかなり米もポピュラーです)」、飲みものは、WaterまたはFlat Lemonade(気の抜けたスプライトなどの炭酸飲料)を摂取するように、とのことでした。
 まあ、とりあえず、入院騒ぎにならずによかったと帰宅しましたが、その日は朝まで、何回か嘔吐が続きました。そして翌日には、嘔吐はほぼおさまりましたが、39度の高熱が出てきました。
 水曜日夜現在、熱は下がりましたが、相変わらず食欲はなく、まだ本調子ではありません。せっかくの春休みなのに、この1週間は家で過ごすことになりそうです。
 それにしても、病院での問診票で、嘔吐のvomitingは書けたけれど、 下痢のdiarrheaのつづりがどうしても思い出せず、ごまかしました。いくら動転していたとはいえ、情けない。でも日本だったら、「嘔吐」が書けなかったかもしれません・・・。
 
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2008年10月 8日(水) ぺこたん
一週間を振り返って…
★28(日)
昼間、1時間半のTV番組を観る。敬愛する人気写真家・吉村和敏氏が、ノルウェーの世界遺産をめぐる旅。
氏の美しい風景写真&詩的な文章の大ファンで、作品集を何冊も持っているのですが、“仕事をしている御姿”を目にするのは、今回が初めて。キラキラしていて、物凄い気迫。お〜、カッコいいぞ! プロはやはり凄い。ステージに立つミュージシャンとダブります。番組の映像美にもウットリ。ノルウェーのベルゲンやフィヨルド、一度は足を運んでみたいものです。

★29(月)
愛するHR/HM界の雄“ジューダス・プリースト”漬けの一日。
15歳の頃から大好きだったバンド。当時彼等は30歳前後。あれから30年ほど経ちますが、今でも現役、とても素敵な年の重ね方をしています。彼等を観ていると、長い歳月、第一線で活躍できている理由が、よく分かる気がします。
夜は、コンサート会場前で、某編集部員達と待ち合わせ。入口でチケットをピックアップの後、いざアリーナ席へ。観客には40歳代と思しきスーツ姿のサラリーマンが目立つ。みんな張り切っていて、それが何とも言えず、嬉しい。
隣の席では暗がりの中、小ノート広げボールペン片手に、真剣なまなざし。そう、雑誌ライヴ・レポート用のメモ取りです。私も昔よくやりました。
それにしてステージ上のメンバー達の、カッコいいこと!

★30(火)
午前、某世界的歌姫のニュー・アルバムの歌詞が届く。
クリスマス・ソングも収録された、冬らしい、非常に美しい作品。まずは“今日中に”という、シングル2曲分の対訳作業に取り掛かる。カナダのホワイト・クリスマスを思い出しつつ、その夢世界に浸りながら、しっくりくる言葉を紡いでいきます。
午後、気分転換も兼ねて、食料の買い出し。ついでに、猫たちのトイレ砂&缶詰も調達。
夕方、そのシングル2曲分のみ、入稿する。
夜、プラス2曲分の歌詞対訳を仕上げる。その後、溜まっていたメールの返事に没頭。

★1(水)
昨日のニュー・アルバム歌詞対訳作業の続き。
それにしても、本当に本当に素敵な作品です。溜息。
食料の買い出しは昨日やったので、本日は1日じっくりパソコン前。
夕食は、豚の生姜焼きア・ラ・ぺこたん。友達の多くは、“ご飯&味噌汁なんて作らない”と言います。そんなもんかいなぁ。ウチは毎晩ないと、駄目。
食後、TVでオリックス清原選手の特集を観る。同じ頃に社会に出たので、あの当時のことは、いまでも鮮明に覚えています。それにしても、王監督・清原選手・桑田選手が、同じシーズンに引退するとは、不思議なものを感じます。
夜も引き続き、歌詞対訳作業。静かになってからの方が、原稿書きは捗るので、どうしても夜更かししてしまう。おまけに終了後、ボーッと音楽を聴いたり読書したりの、クールダウンの時間を大切にしているので、どうしてもすぐにはベッドに入れず。

★2(木)
昼間、歌姫の歌詞対訳作業完成。じっくり見直しの後、無事入稿。あとは数週間後の、最終文字校時に、気になる箇所があった場合、少々手直しするのみ。この3日間、その歌世界にどっぷり浸っていたので、終わった途端、どっと疲れが出る。
夜、レコード会社ディレクターや編集部員友達等と、某ホテル・ビュッフェで食事。相変わらず、楽しい会話に幸せ気分。&食べ過ぎて、お腹がもたれる。
帰宅後、膨れた腹を抱えながら、明日の電話インタビューの質問事項作成。

★3(金)
昼間、某男性シンガー・ソングライター歌詞対訳作業開始。
聴き易く詩的な作品で、とても心地良い。4曲仕上げる。
夕方、電話インタビュー。相手はウェールズ出身ハードロック・バンドのシンガー。うーん、ちょっと聴き辛い英語。でもよく話す感じの良い人で、30分の予定が、結局まる1時間のロング・インタビューに。冒頭で、“次は何も予定が入っていない”と言っていたので、まぁ大丈夫だったのだろう…。こういう真摯な態度のミュージシャンには、うんと成功し、長いキャリアを築いて欲しいと、切に思う。
終了後、担当レコード会社ディレクター&雑誌編集部員に、“無事終わったよ”メール連絡を。本日のお仕事はここまで!
夕食後は、メールの返事&ネット・サーフィン(←これ、もはや死語?)。
その後は寝るまで、ひたすら読書。

★4(土)
昨日の男性シンガー・ソングライター歌詞対訳作業の続き。この日も4曲。
夕食後は、コーヒー&読書タイム。ここ数日前から読んでいるのは、『“at武道館”をつくった男・ディレクター野中と洋楽ロック黄金時代』。レコード業界の裏舞台を描いた、とても興味深い一冊。当時はいま以上に“凄まじい”時代でした。いやはや。
野中さんとは、チープ・トリックのあの『at武道館』(←書名の由来)などなど、数多くの名作・名アーティストを、世に送り出した名ディレクターであり、元レコード会社社長。私が雑誌社入社当時、とてもお世話になった方。編集長にくっ付いて行っては、背後から憧れの眼差しで眺めていたものです。お会いする度に、そのツンツン・ヘアの色が違っていたっけなぁ〜。

★5(日)
同じく上記男性シンガー・ソングライター歌詞対訳作業。再び4曲。このタイプのアルバムの場合は、1日4曲くらいが、ちょうど良いペース。
夕方、電話インタビューの質問事項作成。
夜中、電話インタビュー。何度も話したことのある、英国を代表する名ギタリスト。相変わらずとても気さくで感じがよく、楽しい取材となりました。

★6(月)
午前中、シンガー・ソングライター歌詞対訳見直し&入稿。
午後は、ノンビリ紅茶&読書。いま読んでいるのは、『私という運命について』。この白石一文氏の作品は、以前に1-2作読み、後味悪かったのですが、それをすっかり忘れ、また本屋で手にしてしまいました。今回の作品も、女として“気持ち悪い”“ゲセない”箇所多々あり。と同時に、とても印象深い素敵な文章も発見。エンディングには、少々涙チョチョ切れ。よくあるパターンではありますが…。
明日からは『魔王』。伊坂幸太郎氏は、私の好きな小説家のひとり。中でも『死神の精度』『重力ピエロ』『アヒルと鴨のコインロッカー』は、最高にいい。

★7(火)
昼間、3日にやった、ウェールズ出身ハードロック・バンドのシンガーのテープ起こし・原稿書き開始。本当は取材直後から、取り掛かる方が良いのですが、なかなかそうもいかず。
夕方、気分転換も兼ねて、近所の郵便局へ。溜まっていた諸々の支払を済ませる。その後、スーパーへ買い出し。
帰宅後、再びパソコン前へ。テープ起こしの続き。
明日は、請求書のまとめ書き&郵送をしないと…。気がついたら13枚分溜まっている。こりゃ大変だ! 数字の苦手な私は、いつもこのくらい溜めては、慌て出すのでR。
それが終わったら、何とか時間を作り、カメラ背負い&マウンテンバイクに跨り、何処へフラフラ遊びに行きたいなぁ。心地良い季節になってきたので、身体が疼いています……。
その他

2008年10月 7日(火) さるるん@ロシア
黄金の秋
モスクワは、ただ今、黄金の秋まっさかり。
日に照らされた黄色の葉っぱがまぶしいです。

うちの近所には8階建てくらいのアパートが多いのですが、
そのアパートよりも高い木がたくさんあります。

しかも、葉っぱが私の手のひらよりも大きかったりするので、
落ち葉の量も半端じゃないんです。

うちの近くの道です。降り積もった落ち葉が見えますか?



太陽が雲にかくれ気味だったので、きれいに撮れませんでしたが、本物はもっともっときれいなんですよ〜。










黄金の秋を楽しみつつも、日本の紅葉が恋しくなります。
赤ちゃんの手のひらのようなもみじが見たいな・・・。
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2008年10月 6日(月) いぬ
ディベート大会にジャッジで参加
新学期が始まってからイレギュラーの仕事やら子供たちの学校や幼稚園の行事やらでなかなか「水平飛行」に移れずにいます。まあ、それもまた楽しい日々です。

金曜日には埼玉県の高校生英語ディベート大会に、ゲストジャッジとして参加してきました。ディベートには昔から興味があったのですが、本格的には取り組んだことがありません。今回の大会では事前に何度か生徒たちの練習会があり、ジャッジの練習も兼ねて見学したかったのですがどうしてもスケジュールが合わず、大会のウェブページでジャッジ方法を学んだだけという状態でこわごわ参加しました。

正直に言って「高校生だし、そんなに本格的にはやれないだろう」と思っていたのですが、ふたを開けてみると驚くほどの英語運用力でまくし立て、鋭い論理力で切り込んで行きます。ジャッジに慣れていないこともあり、こちらもほぼ全力を尽くしてジャッジすることになりました。

「成人の年齢を18歳に引き下げるかどうか」がテーマだったのですが、賛成側も否定側も十分に準備がしてあり、聞き応えのある攻防が展開されます。中でも面白いなと思ったのが、児童虐待問題と成人年齢の引き下げ賛成を絡めた主張と、多重債務や詐欺事件の問題と成人年齢引き下げ反対を絡めた主張でした。

大会の運営もスムーズで、急造ジャッジとしては仕事に専念できて本当に助かりました。先生方のご指導の賜物だったと思います。高英研のディベート部の先生方の、いろいろな意味での「熱気」を肌で感じた一日でした。私は運良く大会の主席ジャッジの先生とずっと一緒にジャッジ出来たので、ディベートそのものに対しても理解を深めることが出来ました。

自分の自身の授業では、通訳の様々なトレーニング方法を英語教育に生かしているのですが、ずっと気になりつつも横目で眺めるだけだった英語ディベートに関しても、何とかもう少し学んで英語教育に生かしたいとしみじみ思いました。7月頃から同じテーマでずっと練習しているので、生徒たちはかなり慣れてきているのだそうです。それにしても、用意してきた原稿を読むわけには行かない質疑応答や相手の主張へのオフェンス、相手からのオフェンスを踏まえた自分の主張のディフェンスなどの際の英語でのやり取りは見事の一言で、大学生でもここまでは出来ないだろうと思ったほどです。後ほど懇親会で聞いたところでは、実際、大学生のチームを負かしてしまうほどだとか。時間の関係もあり、具体的なトレーニングについてはほとんどお話が聞けないままでしたが、何としても近々お話を伺って、日々の授業に生かしたいものです。

極めて個人的な話で恐縮なのですが、父が長年高校での英語教育に携わっていて、懇親会で私がその息子だと分かったとたんに、先生方が何人も集まって下さったのには感動しました。父が校長だったときに高校生だった方が、教員としてディベートチームを率いて参加していらして、父のエピソードを話して下さいました。また、一緒に世界校長会議に出た先生からも、そのときの思い出をお聞きしました。翌日の夕食を両親宅で食べたのですが、父はビールを飲みつつ、私の話を懐かしそうに聞いていました。まあ、今ではすっかり孫たちの、良き「おじいちゃん」です。

大会にジャッジとして参加したALT2人も懇親会に参加していて、ビールを飲みつつおしゃべりしたのですが、考えてみたらこれほど英語を使ったのは実に久しぶりでした。いや、「受信」にはフル活用しているのですが、英語から日本語への放送通訳が多いので、英語で「発信」する機会はそれほどないのです。アルコールも手伝って、舌がまわることまわること。いろんなことを話して笑っていました。何と言うのでしょうか、英語が純粋に好きでたまらなかった頃の情熱を、少し思い出したような気分です。

以前読んだマンガに、スランプに陥った音楽家が、楽器を習いたてで演奏することが楽しくてたまらない子供の演奏を聞いて、自分の演奏を取り戻すというシーンがあったのですが、私も高校生たちの英語への情熱を、少し分けてもらえたのかもしれませんね。どうもこのところ自分の英語トレーニングが壁にあたっていて、ちょっとすね気味だったのですが、素直にチャレンジを続けねばと思いました。

さて、明けて土曜日は、娘の幼稚園の運動会です。毎年、会場の設営と撤収の係をやっていたのですが、今年はその係の「補欠」になったので仕事は何もなし。子供たちが入園してから始めて、ずっと家族と一緒に観戦出来ました。娘はラテン系というかオージー系というか、人生を極力エンジョイするタイプのようで、いつもニコニコと手を振っていました。たま入れで2回連続最下位になっても、「リス組さーん、3位!」というコールとともにジャンプして「イエーイ!」と歓声を上げているのが遠くからでも良く見えます。ダンスもまあ何というか、独自のリズム感で、先生に引っ付いたりお友達と笑いあったりしながら、楽しそうにやっていました。私はというと、先週の小学校の運動会に続いて綱引きに出場して2連勝。通算4連勝です・・・って、単にチーム分けの時のクジ運が良かっただけですが。

運動会が終わって、両親宅でしこたま飲み食いしてきたのですが、どうも寝付けず、先週5百円で買ってきた「頭上の敵機」という映画のDVDを見ていました。第二次世界大戦における、ドイツ空爆に参加したアメリカ軍の重爆撃機隊の話で、被害が多い部隊を立て直すべく着任した司令官が主人公です。戦争映画ではあるのですが、中心となるのは人間ドラマで、リーダーシップのありようをいろいろと考えてしまいましたね。ある意味で語学教師も同じような立場なものですから。もっとも飛行機オタクでもあるので、「うーむ、この映画のB-17は機首銃座がないなあ。G型の投入はもっと後なのか」とか「あ、実機で胴体着陸シーンを撮るなんて、なんて勿体無いことを」などとマニアックなことも考えていましたが。しかし、やはり空中戦のシーンは強烈だったようで、その晩の夢では迫り来るドイツ軍戦闘機に向かって、必死に機銃を撃つ羽目になりました。起きてグッタリ。納得の行かない目覚めです。

さて、今週もまた頑張るとしましょう。
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2008年10月 3日(金) フレッヒ
こう言う時って・・・
  つい先日、ドイツ語通訳者数名とイベント会社の
社員の方を交えてのお食事会がありました。

 その席上で、衝撃的なお話が。

 あるイタリア語通訳者の方が、
(その食事会に来ていたメンバーの友人)
数年来に渡って
お付き合いのあるクライアントが来日したため
いつもの様にお仕事を依頼され、初日は難なく無事終了。

 2日目の朝、待ち合わせ場所に行くと彼の姿はなく、
しばらく待った後、タクシーの運転手だと名乗る方から
彼女の携帯に電話があったそうです。

 彼の話に寄れば、今乗せた外国人のお客さんが
目的地へ到着する直前に車内で倒れて、今救急車に乗せたところだと。
彼の背広のポケットから、彼女(通訳者)の名刺を偶然に
見つけて電話した次第だと運転手さんは言ったそうです。

 彼女は慌てて、病院に駆けつけ、
彼の家族に連絡して、病状確認をし、2日後に家族は到着。
成田に迎えに行き、病院に送り、家族や本人に付き添う中、
彼は4日後に亡くなったそうです。その後、日本で火葬したので
1週間以上に渡り手続き等で走り回り、お骨と共に
家族を帰国させ・・・。
しかも延命措置を取り外す場に、
自分たちは辛すぎて居たくないと家族に言われ、彼女が最期
を看取ったそうです。

 本当に面倒見が良くて、心温かい通訳者だとは
周りから聞いていましたが、そこで皆実は気になっていたのが
通訳料。

 しばらく経ってから、友人が、
通訳料はどうしたの?と
聞いたら、言えなかったし、貰ってないとの事。

 でも、彼女としては1週間以上走り回って
家族のお世話もし、他の仕事も何も出来なかったわけです。

 私が彼女の立場だったら、どうするか
本当に難しい所ですし、自分では絶対に言い出しにくい。
家族側が気付いてくれて、
言い出してくれるのが一番良いのでしょうが、
エージェントが間に入っていなく、個人で受けてしまった
場合の仕事は、こう言う事予期せぬ事態の時、金銭的な
対処に非常に難しい一面があります。

 私も直で請けているお仕事で
急病人が出て大変な思いをした事がありますが、
長いお付き合いのドイツ人クライアントだし
時間外労働は結局請求せず、展示会と平行しつつ
(思いっきり業務に支障は出ましたが、急病人のドイツ人本人が
その展示会の出展者側だったし、
私一人しか通訳者が居なかったのだから
仕方がないでしょう)何とか乗り切りました。

 そんな話をしたその日の晩に
日本人のクライアントのお兄様がなくなられて
私もお仕事で何度もお会いしているので、明日大宮までお通夜に。

 若くしての急逝だったので、非常に残念です。

 結婚式よりお葬式などに参列する事が多くなってきた
ここ数年。年を感じると共に、自分の健康管理にも
本当に気をつけようと思っています。
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2008年10月 2日(木) みなみ
Daylight Saving Time
 今週からDaylight Saving Time、日本でいうサマータイムになり、時計が1時間早くなりました。日本との時差は3時間から4時間になっています。
 日曜日の朝、目覚めたら、家中の時計を1時間早めます。とはいえ、私が起きるころには早起きの夫がほとんど済ませてくれているうえに、PCは自動的に切り替わっているので、あまり手間ではないのですが。
 体調が狂ったりしないかと思われるかもしれませんが、たかが1時間ですし、初日が日曜日なのであまり問題ないようです。
 それよりも、太陽が長い間楽しめるということで、なんだかみんな、うきうきしています。これからは、夜7時になっても明るいので、つい、夕食の準備を忘れてしまうのを気をつけないといけません(こんなの私だけかしら?)
 日本でもサマータイムが提言されたことがあったようですが、私からすると、日本で導入してもあまりメリットはないのでは、と思います。
 なにしろ、Daylight Saving Timeの最大のメリットは、太陽を楽しむことです。日本のように、夜遅くまで残業するのが「普通」の国では、手間だけが増えて、このメリットを享受できる人は少ないのではないでしょうか。NZのように、天気がいい金曜日には3時ごろから帰宅ラッシュで渋滞するような柔軟性がないと、このDaylight Saving Timeを生かすことはできません。
 ヨットハーバー沿いの職場に勤める知り合いが「先週の金曜日は、11時から職場のみんなでランチをクルージングで取ることになったんだけど、仕事が残っていたから片づけて、12時に合流したよー」と言ってました。そのあとはもう仕事にならなくて、そのまま4:30に帰ったそうですが、「ひどい渋滞に巻き込まれてしまった」と言っていました。
 ちなみに彼の職場は海軍(現場ではなく、事務職ですが)。日本では、金曜日の昼間から職場をあげて仕事放棄、ましてや公務員が平日昼間からクルージングなんて考えられないことでしょう。
 確かに、先週の金曜日は非常にいい天気で、さわやかでした。だから、NZの職場のあちこちで同じようなことが発生したはずです。そして、こういう働き方でないと、Daylight Saving Timeの恩恵を被ることはできないのです(きっぱり)。
 それに、日本の夏の昼間って蒸し暑くて、外で活動するのも大変ではないでしょうか? いっそのこと、涼しい早朝に出勤して、午後には仕事を終わらせてしまう、というふうにしたら、特に工事現場なんかはいいかもしれません。
 以前、ドイツに駐在している日本人と話した時、「ドイツでは天気がいいと、早く仕事を終わらせるために、朝4時とか、5時に来て働き始めるので、あまり度が過ぎると、早く来すぎないように注意しなければならない」と言っていました。
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2008年10月 1日(水) ぺこたん
皆さんからの御質問
今週は、色々なところでよく質問されることに、ちょっとお答えしようと思います。

●音楽業界の通訳・翻訳者になるには、どうすれば良いのでしょうか?
A: 皆さん、レコード会社やプロモーターや雑誌社などに数年間勤めた後に、独立し、それまで仕事してきた人達にお世話になりつつ、どこにも所属せずに、フリーランサーとしてやっています。
因みに私は、音楽雑誌編集部で約7年間働いた後に、今の仕事を始めています。そうしてその雑誌社に入れたのは、幸運と、その幸運を引き寄せる為の、少しばかりの努力とアクションの結果です。

●どういった勉強をすれば良いのでしょうか?
A: 編集部員として働き始めた当初は、英語の音楽雑誌やファッション誌など、インタビュー記事の載っているものを購入しては、インタビューの仕方や、(英語の)特殊な言い回し・専門用語を、ひたすら研究しました。
現在はこれといった“勉強”はしていませんが、毎回毎回のインタビューや原稿書きの中で、反省したり穴に入りたくなったり…と、そういうことから得ることは無限にあり、“これで良し”と思う瞬間など、まだ一度も無い…というのが現状です。

●日頃心掛けていることがあれば教えてください。
A: 心掛けていると言うほどのことではありませんが、本をたくさん読み、色々なところにアンテナを張り巡らせ、その世界の素敵なプロ達と会い、そうして色々な音楽を聴くこと。
そういうことが無性に楽しく感じられる限りは、この仕事を続けられると思っています。

●音楽業界の通訳・翻訳者の毎日は、どんな感じですか?
A: アルバム歌詞対訳作業は、1枚につき3―4日。それが理想。急ぎの場合は、2日で仕上げなければならない場合もあり。プロモーション来日通訳の場合は、1日から数日間の拘束。雑誌社からのインタビュー依頼の場合は、インタビュー1本につき30分から1時間ほど。レコード会社からの依頼で、複数の媒体用に書き分ける場合は、(その本数にもよりけりですが)だいたい1―1時間半ほど。その起こし・原稿書きは、30分物=約6000-8000字=1日。それが理想。だいたい45分が限界。ライナー・ノーツであれば、1日1本が理想的ペース。

●音楽業界の通訳・翻訳者の必需品・七つ道具とは?
A: パソコン、固定電話(電話インタビュー用)、携帯電話(外出時の業務連絡、メール転送用)、テープレコーダー・ICレコーダー等(インタビュー録音機)、テレホン・ピックアップ(電話インタビュー録音道具)、テレビ・DVD(字幕入れ用)、ステレオ、iPOD、電子辞書、速記ノート&ペン、落書き帳(何か思いついたらすぐに書き込めるよう)、ノーカーボン請求書(これを出さないとギャラが入って来ない!)、名刺、Thank youカード。
そうして何よりも、体力・気力・集中力・持続力。あとは“愛”!(笑)

●苦手なアーティスト相手の仕事依頼が入った場合は?
A: ヒップホップとラップとクラシック以外は、基本的に来るもの拒まず、去るもの追わず、時間の許す限り“何でも来い!”…の態勢。とにかく音楽とミュージシャンが大好きなので、どんなことがあっても、けっして苦しゅーない。

●音楽を仕事にして、楽しいですか? 嫌になることはないですか?
A: オフとオンの切り替えが難しい…不可能に近いので、気がついたら疲れていることもありますが、でもとにかく好きなので、瞬間瞬間、楽しくてたまりません。幸運なことに。
英語を使うようになって40数年、音楽を聴き始めて30数年、この仕事を始めて20数年。言葉+英語+音楽。これ以上に好きなこと、長続きしたことには、未だ出会えず…ですし…。

●ファンだったのに、仕事をして嫌いになったミュージシャンはいますか?
A: これ、よく聞かれること。でも、いません。魅力的な人達ばかりです。物凄い酔っ払いもいましたが(それも私の大好きなアーティストで)、根はとても素敵な人間で、この時も最終的には上手く仕事できましたし。

●よいインタビューをする方法や、よい原稿を書く秘訣とは?
A: 事前の下調べ。そうしてそのアーティストに対する想い。それがすべて。そのアーティストやアルバムの魅力を、ひとりでも多くの方々に伝えるには、自分はどうすれば良いか。それを考えながらやれば、必ずよいインタビューができ、よい原稿が書けます。
よい原稿とは、読み易い原稿のこと。つまり、分かり易い言葉、短くシンプルな文章、メリハリのある内容。具体的に言えば、例えば10行のところを5行、5行のところを2行にまとめる作業。難しい単語・余計な言葉羅列の長く理屈っぽい文章ほど、読み難いものはない。これ、当時の編集長に言われ続け、常々頭に入れていることなのですが…。

●歌詞対訳で心掛けていることは?
A: 学校でやってきた“英語のお勉強”にとらわれ過ぎないこと。基本はもちろん大切。しかし、“正しい訳”に拘り過ぎ、単語ひとつひとつを丁寧に訳していったら、逆に味のない対訳になってしまいます。右の物を左に移していくだけでは、よい対訳とは言えません。
では、最も大切なのは? それは、曲を聴きながら、そのアーティストの特徴を掴むこと、そのアーティストがその歌詞の中で、何をどういう風に伝えようとしているのか、それを感じ取ること。
そのアーティストにより、使うべき単語も異なります。例えば“I”でも、“あたし”“私”“ボク”“僕”“ぼく”、“you”でも、“あなた”“貴方”“貴女”“アンタ”“おまえ”などなど、訳し方は色々。そのアーティストに一番合った言い方を、考えなければなりません。

●今まで取材したミュージシャンの中で、最も印象に残っている人は?
A: ラットのウォーレン・デ・マルティーニ(生まれて初めてインタビューした相手であり、当時最も好きだったギタリスト)、マイケル・シェンカー(ギターの神様。独占大特集の為に、1週間ほど“追っかけ”をやったことも何度かあり)、ヨーロッパ(〃)、ハロウィン(〃)、ジューダス・プリースト(メタルゴッド。15歳の頃からの大ファン。紳士的で魅力溢れる人達。とても素敵に年を重ねています)。

●面白い取材裏話などあれば教えてください。
A: あり過ぎるので、これはまた今度の機会にでも…。

●個人的に好きなミュージシャンは?
A: ジューダス・プリースト、アイアン・メイデン、ラット、モトリー・クルー、スキッド・ロウ、テスラ、ヴァン・ヘイレン、エアロスミス、チープ・トリック、サラ・ブライトマン、エンヤ、ABBAなどなど。

●音楽を好きになるきっかけになった、アーティストやアルバムは?
A: 生まれて初めて買ったアルバムは、パートリッジ・ファミリー、それからカーペンターズ。小学校3-4年時(←年がバレそうだ〜)。現在好きで仕事の中心にもなっているHR/HMを聴くきっかけは、中学校3年の頃に聴いたホワイトスネイク、それからマイケル・シェンカー。

●その仕事をしていると、ミュージシャンと親しくなれますか? 因みに誰と親しいですか?
A: これも何度聞かれたことか(苦笑)。この“親しい”の意味が良くは分からないので、何ともお答えできないのですが……。でも、双方の間に隔たりがあり過ぎても、逆にあまりにも近しい関係にあっても、よい仕事・よいインタビューは出来ないのでは…。

●音楽業界で仕事をしていて、一番幸せ感じる瞬間は?
A: 一流のプロ達…クリエイティヴな人達と出会えること。一番幸せ感じる瞬間です。それはミュージシャンに限らず、例えば一流のカメラマン・写真家だったり、メイクアップ・アーティストだったり、デザイナーだったり、編集者だったり、レコード会社ディレクターだったり…。その分野の第一線で活躍している人達は、それだけに色気があって魅力的。並はずれた才能や感性を持っていますし、人一倍努力もしていますし、ぶれない姿勢と強い信念と真摯な態度で、仕事に取り組んでいますし、運を引き寄せる力も持っています。
そんな彼等と仕事をするのは、とても勉強にもなりますし、ワクワクします。感謝の気持ちで一杯です。
その他

2008年 9月30日(火) さるるん@ロシア
現実なのか、幻なのか
8月下旬に日本から送った段ボール箱いっぱいの本が10日程前に到着。どれも読みたい本ばかりだけど、なかなか読めずにいます。

悲しいかな、この春から本を読むときには老眼鏡のお世話になっております。昔、年上の山仲間が地図を読むときに、やたら地図を遠くに離して見る姿がおかしくて笑ってしまい、「あなたも今にこうなるのよ」と言われたものだけれど、その通りになってしまいました。聞けば、同年代の友人も、妹も、みんな小さい字を読むのに苦労しているとのこと。翻訳の仕事をしていても、字の小さい原稿や資料が出てくると、結構つらいです(泣) 

届いた本のうち、一番さくさく読めそうだった伊坂幸太郎の「グラスホッパー」を読みました。伊坂幸太郎、好きなんです。

一番好きなのは、「陽気なギャングが地球を回す」とその続編、かな。こんな奴らがいるわけがないというキャラクター設定、こんな銀行強盗がいるわけがないという設定なのに、登場人物に圧倒的な存在感があって、どこかに本当にいるような気がする、いや、ぜひ会ってみたい!と思ってしまうんですよね。

「グラスホッパー」は伊坂作品の中では好きな方ではなかったけれど、登場人物が幻覚を見ているうちに、どこまでが幻覚で、どこまでが現実か、わからなくなっていくのを読んでいて、ふと我が身を思い、寒くなりました。

もちろん幻覚を見るわけではありませんが、私の今の生活にはどこかリアルさが欠けているような気がします。在宅翻訳で、ずっと家にこもって仕事をしていると、現実との接点は希薄になります。ロシアで暮らしているのにロシア語が話せない、街では英語が通じない、会話できる相手がものすごく少ない状態です。一日中PCに向かい、仕事もインターネットで受注・納品し、日本の友人との連絡も、日本のニュースをチェックするのもみんなインターネット。なんだか自分がバーチャルな世界の住人になったような気がしてきて、こわい。う〜む、生活を見直して、何か考えないとまずいかもしれません・・・。
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2008年 9月29日(月) いぬ
ピアノと運動会と不採用通知と稲刈り
22日から大学の授業が始まった上に、いろいろなイベントが目白押しで、あっという間の1週間でした。

月曜日。久々の授業でR大学に行くと、聴講生が3人から5人に増えていました。実はこの授業、正規の受講生が1人しかおらず、しかもその人が授業に出てきていません。そんなわけで、全員聴講生という状態で授業を進めてきたのですが、前期に出席していた聴講生が、さらに友人を2人連れて来たというわけでした。こちらとしてはthe more, the merrierなので大歓迎です。

23日火曜日は、娘のピアノの発表会。連弾(と言っても伴奏するだけ)をやるので、私もステージに上がりました。和気藹々とした発表会で、とてもよい雰囲気でしたね。問題があったのは私の演奏だけです。う〜む、いつまで連弾してもらえるのかな。同じくお嬢さんと連弾しているお父さんがいらっしゃったので、写真撮影の時にちょこっとおしゃべりしました。でも、あの方はソロでも弾いてて、とても上手かったし、同じ次元では語れませんよねえ。

水曜は朝から夜まで授業が6コマ。D大学で4コマ教えた後、電車に飛び乗ってA大学の夜間部で2コマです。木曜日はR大学で授業が1コマ。授業が無い時間も授業準備と、その他の事務処理で埋まります。金曜日は事務処理に明け暮れ、夕方からは妻の友人が遊びに来てくれて、子供たちは大喜び。我々2人も遅くまであれこれとおしゃべりしていました。

土曜日は息子の運動会。「開場は午前6時半。時間厳守です」という学校からのお知らせに首をひねりつつ、運動会が始まる1時間半ほど前の午前8時ごろ校庭に行くと、保護者席はすでにビニールシートで埋まっていました。花見の場所取りですかっ!

一瞬呆然としましたが、皆さんシートを広げた後はいったん帰宅されたようで、周囲に人影はありません。強風が吹きすさぶ中、吹き飛ばされてしまっているシートもかなりあったので、開いたスペースを実効支配することに決め、ピクニックシートを広げて領有権を主張した後、用意してきた本を取り出して腰をすえて読み出しました。ちょっと寒かったですが、青空の下で本を読むのはなかなか爽快でした。ただ、昇る朝日の威力をあまり考えていなかったため、現在私の顔は左半分だけ真っ赤に日焼けしています。

さて、運動会は息子が私に似ずになかなかの運動神経であることが判明したり、保護者参加の綱引きで、温和な教頭先生が突如として猛々しい掛け声をかけたのに仰天しつつ一緒になって野生化して2連勝したり、息子が私に似ずに、ダンスもなかなか上手いことに驚いたりと、手に汗握ったり笑ったり食べたり飲んだり拍手したりしているうちに閉会式になりました。

帰宅してみると、6月の頭に専任教員の面接を受けたある大学から封書が。不採用通知でした。覚悟はしていたというか、とっくに諦めていましたが、それでもやはり「あなたは不要です」と言われるのは、ちとこたえますね。これでそろそろ二十連敗ぐらいでしょうか。5〜6連敗したあたりから数えていないので、正確には分かりません。

どこかで腰を落ち着けて、自分が納得の行くような教育が出来ると良いのですが、そうそう夢のような条件はないでしょうし、現時点で出来る事をコツコツとやりつつアピールを続けるしかないなと思っています。

翌日は稲刈りの体験に一家で出動です。虫を追いかけることに専念するかなと思っていた息子も、「僕もやってみる!」と子供用の鎌を持って、やる気満々です。

大人用の鎌には、鋸のような歯がついていて、一株ぐらいの稲は簡単にスパッと刈れます。息子と話しながら一度に4〜5株ぐらいを刈って、刈った稲を揃えて田んぼに置いて、という作業を繰り返しますが、これに不思議とのめりこんでしまいました。

稲を刈ることそのものは、結構無心になれて楽しかったのですが、刈った稲を脱穀のためにコンバインに入れるのが、ちょっとしたコツがあって少々面倒でした。その後は落穂拾いをやりつつ「ああ、この稲穂も脱穀すればちゃんと食べられるのに、何かの拍子にコンバインからこぼれ落ちて踏ん付けられちゃって・・・。俺もこの落穂みたいな存在なのかなー」などと昨日の不採用通知ショックを暫く引きずっていましたが、そのうちに作業に没入してしまい、「このぐらいでお昼にしましょう!」という声を聞いた頃には、すっかり気分も晴れていて、お腹が鳴っていました。単純なもんですね。

それにしても、食べ物を作るというのは本当に大変なことです。今朝、我が家のパン焼き器が故障したために、慌ててコンビニにパンを買いに走ったのですが、考えてみればそんなことが出来るのがイレギュラーなんですよね。いろんな意味で。

あとは、稲刈りをしていると、いろいろな生き物に出会いました。イナゴにバッタに蛙にトカゲ、あとは干上がったタニシとか。水田が様々な命を育んでいるのだなと思う一方で、本来は人間も、こういう生き物に囲まれているのが当たり前の状態なんだなとも思いました。昔と比べると家の中でもいろいろな生き物に遭遇する機会がグッと減りました。自分の生活空間から他の生き物を排除することで、人間は何を得て、何を失ってきたのでしょうか。

そんな思いも、また巡ってきた慌しい一週間に飲み込まれてしまいそうです。
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2008年 9月26日(金) フレッヒ
韓国舞台にハマる?!



 前回お伝えしたとおり、母とソウルへ
懸賞当選ツアーに行って参りました。

 私は4回目となるソウルだけど
母は初めてと言うこともあり、1泊延泊して3泊4日。
帰国便を最終便にして貰ったので、かなりゆっくりな旅でした。

 今回、4,5年前より韓国ドラマにはまっている
母がソウルでどうしても観たかったのが、NANTAと言う
舞台。舞台を壮大なキッチンに見立て、あらゆる台所道具で
音を奏で、それが爽快な音楽になってしまい、最後は
ちゃんとお料理が完成してしまうと言う台詞無しの
パフォーマンス舞台。

 しかし、このチケットが現地で取れず、
市内で急遽手配した舞台がこれ、「JAMP」。

 韓国だけなく国内外でも人気らしく、
外国人の姿も多数。こちらも台詞は殆どなしの
カンフーとテコンドーを混ぜ合わせたコメディーアクション舞台です。
なので、言葉が理解できなくてもOK.
お笑いやコメディーがあまり得意でない私も
アクションがかなり本格的で、かなり楽しめました。
舞台後にロビーで出演俳優人のサイン会が
あって、実はかなり興味を惹かれたのですが
母が眠そうだったので退散。

 次回のソウルは事前にネット予約して
舞台はしごするぞ、と。

 ソウルでは母がベジタリアンなので、
この様なスープにご飯、海苔巻きとかを食べました。
これで二人で1000円。手前はお肉が入った辛目の
ユッケジャンスープで、奥は母が頼んだ
アサリの出汁が効いた海鮮麺。もちろん小鉢の漬物類は
何度でもおかわり自由。
韓国の原宿?下町?インサドン入り口の食堂にて^^
お店も清潔で朝から混んでました。
やっぱ、舞台より韓国では食い気が勝つかな・・・。

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2008年 9月25日(木) みなみ
バレエのイグザム、今年も終了
 娘のバレエのイグザムが今年も無事、終わりました。これは、ロイヤルバレエの正式な試験官がやってきて、それぞれのグレードごとの課題をチェックする、というものです。この日だけは、髪の毛も先生にきっちりとアップにしてもらいます。
 バレエシューズをきれいに洗って、専用の塗料を塗ってきれいにしたり、リボンをつけ直したり、キャラクターダンス用のスカートの丈を長くしたりと、無事にイグザムを受けるまでに母親側の準備があれこれと大変なので、終わるとやれやれとほっとします。
 イグザムの結果は数週間後に分かります。不合格でまた来年も同じグレードのやり直しとなることはまずありませんが、100点満点でばっちり点数が出るので、クラスの何番目かが明確に分かってしまいます。
 娘より下の点数だった子は年ごとにやめていいき、今ではおそらく娘の点数は後ろから数えた方が早いはず。でもいいのです。娘が楽しんでやっている限りは。いつか、自分の壁に気づく日が来ることでしょう。
 私自身は、幼稚園から小学校を卒業するまでバレエを続けていました。トウシューズ(こちらでは「pointe shoes」)を履いて踊るようになるまでは、自分のことを天才かと思って、それはもう楽しく続けていました。体が柔らかいので、足を上げたり、開いたりするのは得意だったのです。
 ところが、トウシューズになると、うまく立てない! 特に片足ですっと立ちあがることができず、支えきれないためにひざが曲がり、おなかが出てしまいます。ひざの力がトウシューズを支えるには弱かったようです。
 たぶん小学校5年生ぐらいだったと思うのですが、「どうしてもできない」という経験をおそらく人生で初めてしました。そして、才能のある人、ない人の差をまざまざと感じたのです。
 それでも小学校を卒業するまでは好きで続けていましたが(発表会が特に楽しい)、中学校に上がる時には迷うことなくすっぱりとバレエはやめました。
 NZのバレエは私が習っていたものとはメソッドが違いますが、動作の基本は同じなのでうまい、下手は分かります。娘は残念ながら、バレエの才能には恵まれていないことは明確。しかも、白人の子の細くて、手足が長くて(しかもまっすぐ)、頭が小さいという体型に比べると、あきらかにアジア人は不利です。それでも楽しんで続けて、トウシューズまではがんばってくれればいいのになあと、母はひそかに願っています。
 本人は今のところ、「大きくなったら、パリのオペラ座か、ロンドンのロイヤルバレエかどっちに入ろうかな」と迷っているようですが。
 
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2008年 9月24日(水) ぺこたん
しばらく休んでいました
先週もお伝えしたとおり、しばらく怒涛の日々を送っていました。
電話インタビュー夜中に1本、明け方に1本、2-3時間寝て、7時半頃に起きて、家のことをやって、で午前中に1本、そうして昼過ぎに1本。その間に起こし&原稿書き&インタビュー下調べ&質問事項作成、そうして歌詞対訳&バイオ翻訳。〆切に次ぐ〆切。

土日祭日昼夜関係なく、レコード会社ディレクターや雑誌編集部員からは、あれこれ連絡が入ります。そうしてこちらが真夜中に入稿すると、その数分後に彼等から、“受け取ったよ、ありがとう”メールが届きます。
また同業者仲間に、“今日のインタビュー、ドタキャンだよ”愚痴メールを出すと、真夜中や明け方にも拘らず、“ありゃりゃ。で、こっちもさぁ…”などと、5分後には返事が! いやはや、とんでもない業界。みんな忙しいのでR。

そんな日々が続くと、寝ている時、ワケ分からない夢ばかり見ます。
エレベーターに乗っていて、降りたい階で止まらずドアが開かず、慌てている夢…とか、荒波を行く小船に乗り、目的の陸がすぐそこに見えているのに、なかなかそこに辿り着けず、苛々している夢…とか、明日学期末試験なのに、まるで勉強できていなくて焦っている夢…とか、深い山中でバス停を発見したものの、時刻表を確認したら、その日はもう最終便が出た後で、途方に暮れている自分…とか……(苦笑)。
まぁ、そういう夢を観ることで、密かに色々と発散しているのだと、仲間には言われますが…。

でも、いかんせんこれはいかん……と思い、仕事が一段落した先週末、その後に入った取材&原稿依頼を何本かお断りし、固定電話は留守電に(緊急連絡はみんな携帯にくれるし)、パソコンも開けず(メールはすべて携帯へ転送されるので、業務連絡には支障なし)。

そうして5日間ほど、ひたすらボーッとしながら、仕事から離れていました。

ゆっくり泡風呂に入ったり、好きな紅茶&甘い物を楽しんだり、絨毯の上に引っ繰り返り、雲の流れを追ったり……。
それから、部屋にある“本の山”の解体。そうして、頭と心に負担にならないような小説を、ひたすら読み耽ていました。
まずは『ディングルの入江』(藤原新也)。アイルランドが舞台の、詩的で映像的で、とても美しい作品。“ミナレットから響き渡るアザーンを聴く”…という場面が登場しますが、あれ、エジプトの地方都市を旅していた時、私もウットリ聴き惚れていた響き。
『氷の華』(天野節子)。のっぺり感は否めませんが、でも還暦間近の処女作。それだけでも唸りたくなります。見習いたい。
『四つの嘘』(大石静)。1年間だけ在籍していた、女子高校を思い出します。一致団結して体育祭などに取り組むのが最高に美しいと信じて疑わない、純粋培養なお嬢様達。ボーッと読むのに良いと選んだ本ですが、想像よりも読み応えがありました。
そうして現在、『償い』(矢口敦子)を読んでいます。

それから、テレビもゆっくり観ましたし、録りだめしてあった番組も、片っ端からチェックしました。
相変わらず女子アナ達がキャンキャンはしゃぎ、芸人達がドタバタやっていましたが…。
でも、COLDPLAY&SMAPの共演。あれは色々な意味で、とても興味深かったなぁ。その後、COLDPLAYのアルバム・バックオーダーが、大幅アップしたとのこと。嬉しい限りです(おっと、仕事絡みだ〜)。
世界遺産番組では、我がアルバータ州の恐竜の町を大特集。昔々よく“発掘”しに出かけた、懐かしい地。今では骨持ち出し禁止らしいですが…。私の恐竜好きの原点。
アメリカ大統領選特集。共和党副大統領候補、あぁいうタイプ、票を集めるんだろうなぁ…。嗚呼。

〆切を気にせずに、外出もしました。

まずは、ずっと参加できないでいた、友達との会食。
新宿高層ビル上階レストラン街、とても素敵でした。

それから久々のデパート巡り。気になる秋冬ものチェック。
ごっついブーツ(これは今年に限らずですが)、チェック柄、甘くないフリルつきブラウス、テーラード・ジャケット、ベスト、ネクタイ、ベルボトム、フリンジにスタッズに羽根。ずばり、“ボヘ・ロック”。文字どおり、“ボヘミアン・ロック・テイスト”もの。

それから地下食品階。いま話題のスイーツ視察。
帰りには家電屋。お決まりのコース。
いま気になっているのは、最新ICレコーダー、iTOUCH、小型パソコン。
それから先週お伝えしたとおり、デジタル一眼レフカメラ。もう2機にまで絞り込み済み。こうして家電屋に通い、触り、研究し、迷うことの面白いこと!
最後に喫茶店で、コーヒー&ケーキ&読書&人間ウォッチング。

それにしても……。

仕事=趣味=仕事。人生で最も好きだったことを、仕事にしてしまったわけで。ですからオフもオンも、あってないようなもの。原稿書きの合間に、iPODで音楽を聴いていたり…。
まぁ、好きな人に会い、好きなことをやっているのですから、まるで苦にはなりません。それ自体、やっていてこころ落ち着きます。それに、“フリーランサー、仕事なきゃタダのプー”。ですから忙しいのは幸せなこと。とてもありがたく思っています。

でも、気が付くと、それに夢中になっていて、そればかりになってしまっていて。そうしてあんな夢を観ているのでは、何だか……。

オフとオン。そのバランスの取り方。切り替え方。これ、一生の課題なのでしょうね。
いや、そんなこと、敢えて意識する必要もないのかも知れません。
でも、どうなのでしょう。少なくとも、取り立て屋(…原稿のね)に追われる日々からは、時々、自分を解放しなければならない気はします……。

……と、あれこれ考えつつ、数日のんびりしている内に、ヘンな夢も観なくなりました。
そうして、仕事が無性に恋しくなってきました。

と言うわけで明日、ショーン・ペン監督映画『INTO THE WILD』を観る予定。何年も前に原初を読み、そうして惚れ込んだ、実話が元になっている、アラスカが舞台の作品です。

その後、夕刻から仕事本格復帰であります。
その他

2008年 9月23日(火) さるるん@ロシア
誰もボルシチとは呼んでくれないけれど
ずっと寒かったモスクワですが、今週は連日最高気温が10度を超えるという予報が出ていて、ほっとひと息です。ただ朝晩は5度前後に冷え込むようです。

寒いときには、あったかいスープがうれしい。
ロシアのスープと言えば、ボルシチ。ボルシチの具と言えば牛肉とビーツを想像しますが、義母はビーツを使わないトマト味のチキンスープもボルシチと呼んでいます。

ちなみに、スープや煮込み料理をトマト味で仕上げて、たっぷりサワークリーム(ロシアではありとあらゆる料理に使う)を入れ、ディルやイタリアンパセリのみじん切りをパラリとかけると、それだけでロシア料理っぽくなります。

義母の作るボルシチをイメージしつつ、私が手抜きで作る「ボルシチ」をご紹介します。

【用意するもの】(量は適当)
骨付き鶏もも肉
じゃがいも、にんじん、キャベツ
トマトペースト(トマトピューレよりも水分が少ない)
塩、こしょう
ディル、イタリアンパセリ等
サワークリーム

我が家の場合、3リットル鍋にたっぷりお湯をわかし、骨付き鶏もも肉2本を入れ、とろ火で1時間〜1時間半くらいかけてスープをとります。

スープがとれたら、鶏肉をいったん取り出し、身をほぐしてもどし、小さく切ったじゃがいもを投入しコトコト煮ます。我が家の場合、この段階でひかえめに塩を入れたり、入れ忘れたりしています。(粒コショウやローリエを加えたり、省略したり、テキトーです)

続いて、スライサーですりおろしたにんじん(我が家の場合、長さ1.5cm位のペラペラの千切りという感じ)と、太めの千切りキャベツを投入。

野菜が好みの柔らかさになったら、トマトペースト(トマトピューレで代用可)、塩、こしょうで味を調え、火を消す直前に、みじん切りのディルとイタリアンパセリを散らす。義母の場合は、自分の菜園で育てたハーブをブレンドした魔法のドライハーブを何種類も持っていて、それを使って風味豊かに仕上げるのですが、私は省略。

スープ皿に盛りつけたら、各自好みでサワークリームを入れて、ディル、イタリアンパセリ等のみじん切りをかけて、いただきます。とってもロシアンなお味です。

私はボルシチを作っているつもりですが、夫がそれをボルシチと呼んだためしはなく、ロシア料理だとさえ思っていないようです・・・(無言) 娘はスープをご飯にかけ、たっぷりサワークリーム(ロシア語で「スメタナ」と言う)を入れて、「スメタナご飯!」と呼んでいます。それでも、みんな大好きなメニューです。
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2008年 9月22日(月) いぬ
講演会とコンサートとワークショップと
9月19日、朝日カルチャーセンターで行なわれた指揮者の佐渡裕さんと脳科学者の茂木健一郎さんの対談を聞きました。印象に残ったことを並べてみます。

佐渡さん
・「指揮者は時計である」というけれど、時計の本質は「狂わない」ということ以外にあるのではないか。
・自分は高校入学時代に、当時出始めのデジタル時計を買ってもらった。デジタル時計は機械式の時計と比べて「正確」ではある。
・当時の実家にあった柱時計は、1日5分ぐらいは平気で遅れる。毎晩7時の時報などであわせていたが、それで良いという存在感。誰も買い換えようなどとは言わない。
・「正確である」というのは時計としてMUSTであり、指揮者もそれは同じ。しかし「正確なだけ」で良いのか。
・バーンスタインは、一生懸命自分の考えを他人に伝えようとしていた。バースタインの前で指揮をしたとき「モノを整理することは誰でも出来る。指揮台には、『創造』出来る人が上るべきだ」と手を叩かれた。
・ワインを飲んだことが無いのに、生涯に一度だけヴィンテージワインを飲むと言うのはおかしい。感動はもっと身近にある。
・クラシックのコンサートを、そのような存在にするのではなく、様々な「感動するチャンネル」の一つにクラシックがあるようにするべき。

茂木さん
・愛することを知らないと感動できない。以前、聞くとゾクッとする(chillを感じる)曲を持って音楽家に集まってもらった。脳を分析するとその興奮がハッキリ目で見える。ところがそのような曲でも、きちんと聴いていない人に聞かせると無反応。
・プラントンは芸術には否定的だった。これは逆に芸術の持つ魅力(魔力)を分かっていたからではないか。

佐渡さん
・バーンスタインの演奏で、静かにゆったり流れる部分などで、だんだん聴衆のビートが消えて行くのが分かるときがある。音だけが残るその瞬間が「永遠に続いて欲しい」と思った。

茂木さん
・それはまさに、「ファウスト」に出てくる「時間よとまれ、お前は美しい」という言葉だ。

佐渡さん
・指揮者というのは、建築家というか、現場監督のようなものではないか。
・建築家は、何も無い状態で、「この建物は朝日を浴びたらこう見える、冬にはこう見える、この角度からはこう見える」と頭に描く。そしてそれを現実の建築物として形作って行く。指揮者もそういうものなのではないか。

茂木さん
・確かにさっきから佐渡さんは、運動性言語(動作を描写するような、何かを作るときの言葉)で語っている。自分が何かを受け止めるときの言葉である感覚性言語(評論家などが良く使う)も使いこなせる上で、運動性言語で語っている。
・Passion(情熱)だけは教えられない。

佐渡さん
・かつて月面宙返りのような技は出来ないと言われていた。ところが出来るとなると、みんなやりだす。自分としては、指揮で「月面宙返り」のようなことが出来ないかと思う。自分がそれをやる、1人目になれないか。
・子供の頃に夢中になったことを忘れるのが、イヤだ。
・バーンスタインが亡くなってから、人づてに自分についての言葉を聞いた。曰く、「俺はジャガイモを見つけた。今は泥がついているが、やがて泥が落ちれば、誰もが日常的に食べるような音楽を作る人間になる」
・それを聞いてから、自分はクラシックを広めていくという使命があると思っている。
・オーケストラの練習は、午前3時間午後3時間を2日で本番というパターンが多く、ベルリン・フィルなどではもっと短い。しかし、短時間で本番という形態が最善のものとは思わない。
・とは言え、時間をかければ良いというわけではない。時間をかけて誠実にリハーサルをやって、本番のパフォーマンスがどうということもない、ということもある。

その他にもいろいろ面白いことがあったのですが、メモに残っているのはこんなところです。
その後の質疑応答の時間で、妻が面白い質問をしました。
「指揮者は楽譜に書かれている作曲者のメッセージを汲み取って演奏するわけだが、その際何か指揮者が付け加えている部分はあるのか?」という内容です。

それに対する佐渡さんの答えも実に興味深いものでした。
・メッセージを汲み取って、それを元に「創造」するのが楽しい。
・もちろんやりすぎて恥ずかしい時はあるが、指揮者なら、小澤征爾のような大家も含めて全員やっていることだろうと思う。
・楽譜などは、各出版社のものを揃えた上で、原典をファックスしてもらう。印刷だといつも同じ形に過ぎないクレッシェンドの記号が、原典を見ると力が入っていたり赤字で書いてあったりするなど、作曲者の意図をよく伝えていることが多い。

帰りに新宿のスペイン料理店でスパニッシュオムレツを肴に妻とサングリアを飲みつつ、「やはり通訳者も、コミュニケーションに積極的に介入するような関わり方をしなくちゃね」などと興奮して話し合ってしまいました。

明けて20日。午後から講談師の国本武春さんのコンサート(・・・と呼んだら良いのでしょうか)とワークショップに行ってきました。

http://takeharudo.music.coocan.jp/

この国本さん、そもそも8月にサントリーホールで行なわれたファミリー向けクラシックコンサートにゲスト出演されていたのですが、その話芸にすっかり虜になり、今日の出演のことを調べ上げてチケットを購入したのでした。

改めて浪曲というものを聞いて見ましたが、これが実に面白い。私の感覚だと、歌舞伎と落語のちょうど中間という表現が一番ピッタリ来るのですが、まず聞いていて筋がちゃんと分かります。それに加えて言葉や節回しの妙もちゃんと味わえるんですね。笑わせて泣かせて、実に良い。

舞台装置などは無く、伴奏に三味線が一丁あるだけなのですが、客席にいて浪曲の世界に浸っていると、無限と思わせるような表現力を感じます。

先日、佐藤良明先生の「これが東大の授業ですか」を読んだ時に書いてあったことを思い出しました。ハリウッド映画のように徹底的に作りこんだものは、マクルーハン的には「ホット」というのだそうです。それに対して、聴衆自身が頭の中で音の隙間を埋めていくようなクール・ジャズなどは「クール」なのだとか。

だとすると、歌舞伎は恐らく「ホット」ですね。能に比べれば「ホット」とは言え、浪曲は間違いなく「クール」なのではないでしょうか。油絵と墨絵の違いといった印象です。

実は、大学時代の6年間(2年の留年を含みます。トホホ)、筝曲部で琴古流の尺八を吹いていました。お箏や三味線(「三弦」と呼んでいました)との合奏もやっていたので、三味線の響きには実に懐かしいものがあります。そんなこともあって、暫くの間、音に酔いしれていました。

続いて、着物からカジュアルな洋服に着替えての第2部ワークショップでは、ホール内から有志を募って、三味線を5分で弾けるようにして下さいました。

とは言っても、もちろん本格的な奏法をマスターしたというわけではないのですが、三味線を広めたいと思っている(自称「シャミーマン」だそうです)国本さんが、初心者でもとっつきやすいように様々な工夫を凝らしています。

・普通三味線は弦を1本ずつ弾くが、3本まとめて弾くことにする
・撥を使わず、ギターのピックを使う
・浪曲的な歌い方ではなく、地声で歌う

という工夫なのですが、これを聞いていて英語教育にも応用できるなあと考えていました。

もちろん、正統派の方々からは「あんなもの三味線じゃない」と言われることもあるでしょう。通訳学会で翻訳英文法に対して「これを最終プロダクトとされたら問題だ」という声が上がったのと同じです。

しかし、とにかく触れて知ってもらわない限りは、いずれ三味線は廃れてしまいます。そこで一気にああいう形で間口を広げると言うわけですね。

そして、ここが肝心ですが、当然の話、翻訳英文法と同じく、あれが最終到達点ではないはずです。本気でやりたいと言う方には、きちんとイロハから(恐らくは厳しく)教えてくださるのでしょう。

同じように英語のトレーニングにおいても、いきなり「スパルタ・スポ根」路線で、「おりゃー!シャドーイング100回!」とやってしまっては、誰も寄り付きません(いや、さすがにそんなやり方はしていませんが、あくまで極端な例えです)。何か「あー楽しい」と思わせるトレーニングをやって十分に引き込んだ後で、「楽しい」だけで終わらずに、もう少し実質的なトレーニングの比率を徐々に増やしていく。そんなやり方が出来ればなと思います。

思えば、大学2年の時に講道館で柔道を習い始めた時も、道着の着方を教わった後2人一組で組まされて、お互いの襟と袖を持ち合って「グルグルと、ダンスみたいに回って〜」などと言われて、「やけにソフトな教え方だなー」と思った覚えがありますし、今習っている空手にしても、「最初は見よう見まねで良いですから。自由に突き蹴りしてきて良いですよ。思い切り当ててみて下さい」と先輩や師範に、にこやかに言われましたね。

ようやく柔道着の帯の締め方を習った時点で「正しいやり方はこう。正式にはこう」などとこと細か〜く言われたら、果たして続いたかどうか(ハッ。しかし、子供に注意するときの私は、正にそんなイヤ〜な父親かも・・・)。筝曲部が結構そういう感じで、反発を覚えていた時期だったのです。

そう言いつつも、大学時代は、「春の海」をフルートとハープで演奏されたりするのが大嫌いで、「あんなもの、『春の海』じゃない!」と1人でプリプリしてましたっけ。

そうそう、こんなこともありました。イギリスにいた頃、筝曲部の後輩の松本君(箏パート)がCDデビューをしたと聞いて、おめでとうメッセージを送ったところ、わざわざCDを送ってくれました。で、その内容が、個人的にはかなり洋楽的な印象だったんです。

覚えのある方もいらっしゃるかと思うのですが、海外に住んでいると妙にナショナリスティックな気分になることがありまして、当時も心がそんなモードでした。それで、恩をあだで返すと言うか、「せっかくの和楽器なのに、洋楽器の土俵で洋楽器のマネをすることに意味はあるのか?」みたいな、返す返すも失礼な感想を送ってしまいました。その後も演奏家として活躍している松本君、あの時は本当にゴメン。
http://www.kotoprogressive.net/

まあ、そんなこんなの2日間。会場までの行き帰りに読んでいた、第2次世界大戦当時の補給戦に関する本と、リビアからの亡命者が書いた自伝的小説の内容などとともに、様々な印象やイメージが頭の中で渦巻いています。何とか使えるような形にして取り出して、自分の生活や仕事に生かしていければ良いのですが。
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2008年 9月19日(金) フレッヒ
いざ韓国へ
  最近、どうも私を含め、私の周りが懸賞運に
ついている様で、今日から母が当選した韓国旅行・ソウルペア
の旅に行って参ります。

 母は20年前より完全なベジタリアン。お肉はもちろん
牛乳・チーズ・卵類など、動物性の物は殆ど口にしません。
私は何でも食べる方だし、韓国豚焼肉・サムギョウプサルが
大好物なので、今回のソウルは、自分の中で修行僧の様な
旅になるであろう、今までとは全く違った韓国・食の旅に
なりそうです。

 昨日、(今の時点で木曜日)ドイツ人の方々を熱海にお連れして
終電で帰って来て、あと1時間後には成田に向かわねば
ならないので、さすが疲れで少しふらふらしています。

 しかし、昨日までの熱海では考えさせられるものが
ありました。

 熱海の山の上の宿泊施設に泊まり、森を散策していた
時の事。沢蟹も出るような美しい森でした。

 なのに、森の奥や崖になっている下を覗くと
冷蔵庫やテレビなど不法投棄の山・・・。
うちの近所の森でも見られる光景です。

 ドイツ人が口々と
「いや〜、信じられない。日本人でこう言う事を
する人がいるなんて。ドイツでは70年代までに良く見られた
光景だよ。それ以降は森やゴミ、環境に対する意識が
本当に急激に高まって、今に至るまで、こんな事をする人は
ドイツには殆ど居ないし、こう言う光景も殆ど見られない。」

 街や駅などでゴミが落ちていたり
する事はもちろんありますが、森などに粗大ゴミを
不当投棄したりと言う光景は、ドイツではお目にかかった
事がありません。日本人としてとても哀しく、恥ずかしく
思った熱海でのお散歩でした。

 環境先進国・ドイツ。また機会を見て
このお話には触れたいと思います。

 とりあえず、ソウルに行って来ます!
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2008年 9月18日(木) みなみ
異国での日本語
 英語圏に住んでいるだけで英語が上達するわけではありませんが、英語圏に住んでいると、母国語である日本語が衰えてくることをひしひしと感じます。日本語のボキャブラリーという貯金がだんだん目減りしていくという感覚が、私につきまとっているのです。
 いくらインターネットで日本の情報が簡単に手に入るとはいえ、日本語を使う機会はどうしても少なくなってしまいます。また、こちらの生活が長くなると、知らず知らずのうちに、感覚がNZ化していきます。
 以前に、あるベテラン翻訳者の方がどこかのサイトで、「英日翻訳の時に、文中にyachtが出てきた。しかし、どうも日本語のヨットとはイメージが違う。大型で、豪華な感じの描写がある。だから、ヨットではなく、クルーザーと訳した」と書かれていました。
 ずいぶん前に見かけたので、記憶がおぼろげで、覚え違いをしているかもしれません。でもとにかく、はっきりと覚えているのは、「私なら間違えなくヨットと訳してしまうなあ」と思ったことです。
 オークランドにはあちこちにハーバーがあって、大小様々なヨットがぎっしりと、さながら日本の駅前の自転車のように停泊しています。なにしろ、「シティ・オブ・セイルズ(帆の街)」と呼ばれるオークランドは、街の人口1人当たりのボートの所有率が世界一といわれているほど。
 そして天気のいい週末になると、ヨットの中でパーティーをしている風景も見かけます。そう、ヨットといっても、ゴージャスで、何十人もの人が乗船できる大型タイプも珍しくないのです。
 念のためにランダムハウス英語辞典で調べてみると、yachtの説明に、「日本でいうヨットは sailboat に相当することが多い」とあり、例文にはちゃんと、「a party aboard [or on] a yacht ヨット上のパーティー」がありました。さすが。
 でも、日本語に翻訳する場合の読者は、たいていは日本で生活する日本人です。そうすると、「ヨット」という言葉が持つイメージと、この豪華な大型ヨットのイメージとではギャップがあるはずで、翻訳者としてはそのあたりを考慮して日本語にしていかなければなりません。
 英語的感覚を身につけながら、日本語の感覚・能力を維持していく、ということが難しいと思う今日このごろです。
 
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2008年 9月17日(水) ぺこたん
限界に挑戦中の密かなる楽しみ
とにかく忙しい。
先週頭は、いきなりインタビュー1日4本、その後も1日1本の割合で、こなしていました。従って来る日も来る日も、インタビュー相手の下調べ⇒質問事項作成⇒インタビュー⇒起こし……の繰り返し。すっかり限界に挑戦体制であります。
その上、早くもクリスマス・アルバム関連の仕事も、ボチボチ始まっています。いやはや。

そんなバタバタした、季節感まるでゼロの毎日を過ごしていると、それだけ増えるのが、あれこれ思い巡らす瞬間、瞑想の時間。不思議に聞こえるかも知れませんが。気が付くと、いつの間にか…。
これがとても大切なひと時だったりもします。
そういう時間がある方が、むしろ仕事が捗るのです。良い取材ができ、良い原稿が生まれます。

仕事にばかり没頭し、〆切に追われてばかりいると、発想の泉が枯れてきます。それは、考えただけでも、恐ろしい状態だったりします。

そんなこんなの中、先日うっとり眺めたのが、仲秋の名月。
上空を見上げたら、薄ら蒼色の夕空から覗く、その黄金色の満月の、本当に幻想的で美しかったこと! うさぎ達、楽しそうに餅をついていましたよ。これ、ほんと。

その魅力的な絵をレンズに収めようと、さっそくカメラを向けたのですが、これがどうも上手くいかず。私の現愛機では、限界があるようです。
このような焦れったい思い、時々感じます。旅に出ることが多くなっているここ数年、その思いは募る一方。

そうして最近よく開くのが、折々に集めている、カメラ関係の雑誌やカタログ達。それを眺めながら、デジタル一眼レフカメラに思いを馳せては、あれこれ妄想しています。

そう、活字・写真中毒の私は、機会ある度に家電屋へ寄っては、カタログ収集に勤しんでいます。最新のiPOD・iTOUCH・iPHONE、ヘッドフォン・イヤフォン、ステレオ、ICレコーダー、携帯電話、電子手帳、パソコン、プリンター、マウス、マッサージチェア……。キリがありません。

そうして、どれを購入すべきか、たっぷり悩みます。
手に入れるその瞬間に至るまでの時間、掲載誌やカタログなどを眺め、店頭で現物に触れ、店員と話し、そうしてあれこれ考え迷う日々が、これまたとても楽しかったりします。

そうしていま夢中になっているのが、このデジタル一眼レフカメラなのです。

取材先で、プロ・カメラマン達の働く姿を見るたび、もうウットリです。そのさまはちょうど、楽器を持ったミュージシャンと重なります。そう、とっても色っぽくてカッコいい。
一眼レフカメラは、そんな彼等の仕事道具。ですから、素人は触れてはならないもの、入ってはいけない領域。そんな感覚をこれまで強く持っていました。

だいたい、あの値段! おまけに、レンズの横のあの数字の群! あれは何? 頭の中であれこれ色々と計算し、押したり回したり足したり引いたり合わせたり! そんなイメージがあり、数字を見ただけで失神する私には、到底無理だろうと、最初から眼中にありませんでした。

それがいまや、誰でもがごく普通に手に出来る時代。その傾向は特にここ数年、目を見張るものがあります。値段もごくごく手頃。私が4-5年前から愛用している普通のデジカメ、あれだけ出せば、いまは立派なものが手に入ります。長年溜め続けている500円玉に、ちょっとだけ足せば、何とかなりそう。

近くの公園などに行くと、老若男女、誰もがみんな、立派な一眼レフを首からぶら下げ、咲き乱れる花々や緑にレンズを向けています。
そんな光景を目にするたび、“日本はやっぱり平和だなぁ”と実感します。余談ですが。

編集者やレコード会社ディレクター友達には、アーティスト写真を自ら撮る人が大勢います。そんな彼等、そうしてプロ・カメラマン達は、口を揃えて言います。“最近の一眼レフカメラは、値段が手頃なだけではなく、機能そのものが充実していて、素人でも扱い易い。とにかくカメラに任せて、心でその絵を捉えればいい。サルでも出来る、ぺこたんでもきっと出来る!”…と。
お〜、さようか、さようか!!

そうして木をかけ登り、すっかりその気になってしまっている私であります。

と言うわけで、取り立て屋(…原稿のね)に追われる中、本日もまたドサクサに紛れ、写真集やカメラ雑誌やカメラ・カタログを眺め、プロ・カメラマン達とメール交換し、ネットでチェックしながら、“その子”がやって来る日のこと、あれこれ思い巡らせています。
それがいまの密かな楽しみ、とても幸せな瞬間だったりします。

↑ 私の夢を叶えてくれる予定の500円玉貯金箱。
その他

2008年 9月16日(火) さるるん@ロシア
寒いんです
このところ、モスクワは気温7、8度の毎日です。
ただ気温が低いだけなら我慢できますが、冷たい雨が降り続き、太陽がほとんど顔を出さない。これはつらい。なんだか気分もどんよりしてきます。

外に出るときは、東京の冬用のコートを着て、さらに毛糸の帽子と手袋が必要です。もっとも、道行く若者たちを見ると帽子や手袋をしている人はまだ少数派。でも、バーブシュカ(おばあちゃん)たちはもうベレー帽をかぶっています。笑ってしまうくらい、決まってベレー帽なんです。こんなに周囲のベレー帽率が高いのは、幼稚園時代(制帽だった)以来です。

ロシア人と言えば、毛皮の帽子。冬になると、かぶってる人は本当に多いです。話の種に買おうかと思ったら、いいものは本当に高い! 話の種のために出せるお値段ではありません。

秋でもかなり冷えるので、帽子は大切です。かぶっているといないでは大違いです。どうもロシア人は「頭を冷やしちゃいかん」と刷り込まれているようで、寒い日に帽子をかぶらずにいると、見ず知らずの人から「帽子をかぶりなさい」と注意されたりします。子どもに帽子をかぶらせていないと注意されまくりです。

ちなみにセントラルヒーティングがまだ入らないので家の中も寒いんです。まだ窓の目張りもしていないので尚のこと。体も頭も冬眠モードみたいでうまく働いてくれず・・・仕事がはかどらず困っているのです。
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2008年 9月15日(月) いぬ
日本通訳学会第9回年次大会
昨年の大阪外語大学(現大阪大学)での開催から早いもので1年、今年も通訳学会の年次大会がやってきました。今回は私も非常勤講師として勤務している大学での開催とあって、土地勘がある分リラックスして望めたと思います。

今回はその内容を一部ご紹介しますが、あくまで私のフィルターを通してのご報告ということで、私自身の考え違いや知識不足による認識の至らなさがあるかもしれないことを、あらかじめお含みおきください。

まずは柳父章先生の基調講演「翻訳の理論と歴史」です。印象に残ったことを列挙します。

・日本では、仏教の経典は翻訳されず、そのまま音読されて今日に至る。(よく分からない「しかし」ありがたい→よく分からない「だから」ありがたい)

・日本では、儒教の経典は漢文訓読という翻訳方で受容。以後、蘭文訓読、英文訓読へと受け継がれる

・日本で言う「漢字」は、中国語の文字ではない。あくまで日本語に取り入れられた「日本語漢字」であり、音も字形も意味も違っている

・日本文化は、漢字を異文明の「未知」な意味を入れる容器として育ててきた。(休憩時間に先生に確認したところ、今はそれに「カタカナ語」も当然加わっているそうです)

・中国の文字を受け入れて日本語で使う際、漢字2字で1語を表す表現方法を使う。「二字造語」。

・二字造語は、まとわりついてくる中国語の意味を日本語と切り離すため。意味的に無関係な漢字の「音」を使った。(万葉仮名もその方式だと思うのですが、質問しそびれました)

・大和言葉は1〜2拍が多い。二字造語は3〜4拍になる。意味が分からなくても、重要な単語だと感じ取れる。ex.「シャカイにおけるコジンのジンケンはビョウドウである」

・カタカナ語も日本語の中で3〜4拍で安定することが多い。ex.「パソコン」「リストラ」「パリコレ」ちなみに翻訳語以外でも、「ガリベン」「モトカノ」など。

続いて総会があり、会の名称を「日本通訳翻訳学会」と改称することになりました。

お昼をはさんで、午後はまず、神戸市外国語大学博士課程の石塚さんの発表です。同時通訳の際に、原語と訳語の違いが出ることに着目し、そこからいかに通訳者がメッセージを表面的な「言葉」を脱却してとらえて処理しているかという内容でした。(・・・と思います)

例に挙げられた通訳例では、agreementを「合意」として訳すのは分かるとして別のところでは「認識」と訳し、しかもこれが文脈から言っても適切な訳なのですが、どういう処理を通してこのような訳語が出せるのか、というようなお話だったと思います。

私はどうしても理論プロパーではなく、「その理論をどう通訳教育(あるいは英語教育)に応用するか」ということを考えてしまうので、「逆に、具体的にどのようなトレーニングをすれば、あのような適切な訳語が出せるようになると思いますか?」というような質問をしてみたのですが、やはり反復練習なのでは、といった回答を頂きました。

次は大東文化大学の田中先生。日本においては、特に大学における「通訳教育」が実質的にその手前の「英語教育」であることを指摘され、今後語学教育研究から得られた知見を通訳教育で活用していくべきであることを指摘されていました。受講者のレベルの話など、膝を打ちっぱなしで、質疑応答も実に有意義でした。

続いて愛知学院大学の中村先生の発表をお聞きしました。「自立した学習者を育成するシラバスデザイン」ということで、通訳や翻訳の授業で行なったアクションリサーチを紹介され、どのようにしたら学生さんに問題点と解決法に「気付いてもらう」かをお話されていらっしゃいました。後期の授業を控えて、これは今回の学会での個人的に大ヒットとなる発表でした。

どうしても「教え込もう」としてしまいますが、授業中にカバーできることは限られている以上、やはり学生さんの「気付き」が大切になるなと改めて思います。読み手や聞き手を想定して発表させ、学生同士でフィードバック、さらに講師からのフィードバックというやり方は、通訳学校の基礎コースなどでも応用できると思います。

その後は青山学院大学の稲生先生で、通訳の授業に使えるインターネット教材をいろいろと紹介していただき、「助かった!」と思いました。現在紹介された教材をサルのように見まくりながら、後期の授業計画を練り直しています。

2日目の個人的ヒットは、国立舞鶴高専の宮崎先生の「スピーキングテストの評価に、リーディングの難易度分析法を利用する」という内容の発表、モントレー大学大学院の武田先生が開かれた「通訳研究における翻訳理論の応用」というワークショップと、東京外国語大学の河原さんによる、「翻訳英文法」の言語学、翻訳学的再評価でした。

スピーキングの評価は、テスティングポイントの設定も難しく、評価そのものの時間もかかるため、曖昧な評価になってしまいがちだったのですが、宮崎先生はリーディング難易度分析法が、実際のスピーチの評価とかなり関連性があるとお話されており、暗闇に光明を見る思いでした。また、指定した時間内に話す語数もかなり正確にスピーチ力を反映するというお話もうなづけます。岐阜大学の寺島先生も、英作文において、書ける語数と英作文力の相関があると書かれていたと記憶していますが、特に初級から中級の学習者において、「量」は実力を測る上で簡便かつ正確なモノサシになると思いました。

武田先生のワークショップは、以前読んだ水野先生の翻訳理論についての資料の非常に良い復習になりました。同時に様々な理論から、どのように新たな立論を行なうのかという、研究の糸口の見つけ方としても、非常に参考になりました。ただ私は理論に弱いので、どれが特に重要な話か見当がつかず、パワーポイントを必死にメモすることに終始してしまいました。もっと勉強せねば。

河原さんの発表は理論派の若手ホープらしく、ボリュームたっぷりの資料と解説があったのですが、池上さんの「する」と「なる」あたりのお話に馴染みがあったぐらいで「まだこんなに知らないことがあるんだなあ」と呆然としてしまいました。

翻訳英文法については、翻訳の勉強をする人の指針の一つとして大いに有効だと個人的には思っており、河原さんもそれを支持する姿勢を示していたので、大いに勇気付けられました。もちろんあれで最終プロダクトとするのには問題がある局面が多いでしょうが、プロが無意識に行なっていた処理を、顕在意識にのぼらせて解説したという点で、翻訳英文法は画期的だったと思います。

以上、駆け足で振り返った第9回通訳学会年次大会でした。2日間の発表をたっぷりお聞きして、お腹一杯です。しばらくかけて、内容を消化して行きたいと思っています。
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2008年 9月12日(金) フレッヒ
気になるお塩で世界ツアー



 昔からお塩が大好きで
と言うより、調味料集めが趣味みたいなもので
調味料には惜しみなくお金を掛けるようにしています。

 ドイツはアルペンザルツなど、岩塩が有名で
日本でも多く流通していますが、
最近注目しているのは沖縄の塩。
特に与那国島。

 石垣や宮古など八重山諸島は
さらっとしたパウダー状の物が多く、
あまり私好みではないのです。ミルでいちいち挽かなきゃ
いけない様な、粒の大きいお塩が大好き。
それをステーキや天ぷら、サラダに合わせます。
お肉の下味にも、もってこい。
 



 石垣の塩と上部右端・ピンクの物以外は
全て与那国のお塩で粒が大きいもの。
岩塩用のミルに入れて挽きます。
2枚目の写真は、見っけもののパキスタン岩塩。
(蔵前のインドショップで購入)
ピンク色も自然の色で、採取したまんま。ハワイの
火山塩に近いのかな。まだ試しては居ないけど
楽しみです。

 昨晩、ドイツの岩塩もゲストの手土産で
仲間入りし、お塩で世界ツアーの幸せ気分を堪能しています^^
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2008年 9月11日(木) みなみ
ビリー・ジョエル
 12月にオークランドで1回だけ、ビリー・ジョエルがコンサートを開きます。ビリー・ジョエルといえば、私が学生だったころに大ヒットを次々と飛ばし、とても人気がありました。実は、中学校の時に初めてデートをした初恋の人が作ってくれたカセットテープに、ビリー・ジョエルが何曲か入っていたりして(えへへ)、ビリー・ジョエルといえば、私にとって青春を思い出すアーティストの1人なのです。
 社会人になってからはとんと聴くこともありませんでしたが、家にベスト盤が転がっていたので、軽い気持ちでかけてみました。
 おお、メロディーをすべて覚えている! しかも、学生時代に何を言っているのか聞き取れなかった、サビ以外の部分の歌詞の英語が一語ずつクリアに分かる! 
 ということで、我ながらびっくりしました。しかも、その歌詞自体を聞きとって初めて分かったことは、たとえ高校時代に英語が分かっていても、ビリーが言いたいことは決して理解できなかったであろう、ということです。
 あれから20年以上たって、私なりにいろいろと経験したからこそ、歌詞に込められた思いが感じられるのだろうなあと、なんだかしみじみとしてしまいました。
 東京にも11月に来るみたいですね。こちらは早くもチケットを入手しました。あー、楽しみ! それにしても、10代のころに、ビリー・ジョエルのコンサートに夫と、しかもなぜかニュージーランドで行くことになろうとは、思いもよらなかったです。
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2008年 9月10日(水) ぺこたん
素敵な出会い、素敵な縁
昔々のその昔、都心のど真ん中に、有名なディスコがありました。今でいうクラブのようなものです。とにかく、そこでは曜日によりDJが入れ替わり、掛かるタイプの曲も異なっていました。
私の好きな音楽ジャンルは、いわゆるメインストリームではなかったので、“その手のファン”は、自分の好きな音楽を聴く機会、その魅力を仲間と享受する場に、とても飢えていました。
そんな人達(…私達)にとり、このディスコは一度は詣でたい、聖地のような場所であり、その曜日には、遠方からせっせと通う人もいた程でした。

私は南米から帰国直後の高3の春に、初めて其処を訪れ、その独特の雰囲気にすっかり魅せられ、受験シーズンを挟んだ翌春からは、月に何度も、足を運んでいました。

其処には、雑誌編集部員、音楽評論家、レコード会社ディレクターなど、音楽業界で働く錚々たるメンバーの集う一角がありました。日本人のミュージシャンもよく来ていましたし、来日中のアーティストが、フラッと顔を出すこともありました。
私達一般人は、そんな彼等を、遠巻きにウットリ眺めていたものです。

そんな中に、とても目を引く、とても素敵な女性がいました。
私が10代の頃から愛読していた、某音楽雑誌の編集部員であり、私が夢中で聴いていたミュージシャンにインタビューし、素敵な記事を書かれていた人でした。“あそこにOOOさんがいるよ! うわぁ〜、キ・レ・イ〜! カッコいい〜!”…と、仲間内で、遠くからキャーキャーやっていたものです。
そう、みんなの憧れの女性でした。

その数年後、私は縁あって、彼女の働く雑誌社の編集部員になりました。
一方、みんなの憧れだったその彼女は、既に東京のオフィスを辞められ、“音楽のメッカ”に活動拠点を移し、そこで取材をこなし、原稿を送る現地特派員になっていました。

その彼女が、私が入社した直後に一時帰国し、いきなり会社へ顔を出したのです。
そうして社員にひと通り挨拶して廻った後に、編集部へササーッとやって来て、“彼女、今年入った子? ちょっと貸してくれない?”…と、いきなり編集長(=彼女の元上司であり、かつ私に入社の機会を与えてくれた変人…もとい…恩人)に向かって言い、そうして私に、“ねぇ、これから一緒に、レコード会社を廻ろうっ!”…と誘ってきてくれたのです。

それが彼女との初対面の瞬間、初めて交わした会話でした。

そうして道中、色々な業界話を聞かせてくれながら、その日1日、一緒にレコード会社巡りをし、色々なディレクター達に紹介して貰い(その後とてもお世話になった彼等の多くは、いまや重役クラス!)、サンプル盤一杯の紙袋を両手に(当時はまだあの重く巨大なLP!)、充実した思いを胸に抱きながら、夕刻、会社へ戻ったのでした。
学生時代の友達何人もが、会社の人間関係で悩んでいた時期。おまけに血気盛んで少々尖った感があり、集団生活の苦手な、可愛げのない新人の私に対し、彼女はとても温かく接してくれたのです。

その日を境に、“こんなにたくさんのアルバムを、タダで貰えるなんて、夢のような世界だ!”…と、私はこの仕事が一気に好きになりました(笑)。
そうして、“私も周囲や、後から入って来る人達に、優しくしなければなぁ”…とも思いました。心底。実際、そうしてきました(…してきた…つもりです)。

とにかく、
あの日、あの瞬間のことは、ついこの間のことのように、鮮明に覚えています。思い出すたび、なんだかジーンときます。
いまの私にとり、とても大切な、とても想い出深い、私の原点、私の出発点のようなものなのです。

その約8年後、私も雑誌社を離れてフリーになりましたが、あの頃に出会った多くの方々にお世話になりながら、今でもこうして同じ業界で働くことが出来ています。
そうして数年に一度、一時帰国する度にお会いしている彼女は、ひとりだったのが、ふたりになり、3人になり、そうして現在では御家族4人と、彼の地に根を下ろし、とても幸せに暮らしています。

この間、パーソナル・コンピューターなる物が普及し、遠く離れた地に住む私達は、メール交換しては、頻繁に近況報告が出来るようになりました。
モダン・テクノロジーに感謝です。

先日、その彼女の住む街を、両親が旅行で訪れました。
ファミリー宛てに何か日本の物を、ふたりに託したいと思った私は、メールで訊ねたところ、食料品や書物やCD(あの当時はLPだったのが…ね!)と共に、旦那さんには、ある洋楽バンドの日本限定グッズを、リクエストされました。
それが、な…な…なーんと、そのバンド・ファンクラブの会長とは、仕事を通して知り合った、20年来の友達だったのです!
これまた、なんて嬉しい偶然なのでしょう。

そうして彼女は、御家族を伴い、両親の宿泊先へ訪ねて来てくださり、荷物も無事に受け取ったとのこと。その喜びの声が、数日前にメールで入ってきました。

昔々、あるディスコで遠巻きに眺め、そうして憧れていた彼女。
その彼女と御家族の為に、私はせっせと日本のものを集め、そうしてそれを私の両親が、彼女に直接届けたわけです!
とても素敵な縁。とても不思議でなりません。考えるたび、こころ躍ります。

哀しいことに、みんなが楽しく集っていた件のディスコは、私が社会人となり、雑誌に携わるようになって間もなく、閉鎖されました。
その何年かの後には、ふたりの雑誌もなくなりました。
洋楽業界、時代(とき)は確実に流れています。
それでも其処で、愛する音楽を通して巡り会った人達とは、20年以上経ったいまでも、強くしっかりと繋がっています。
こんな嬉しいことはありません。

それにしても、
振り返るたび、人との出会いの不思議を、強く感じてなりません。
その素敵な縁に、感謝の気持ちで一杯です。
そうして、思います。
人生、此処まで歩んで来られたのは、自分の努力や才能や意志などによるものでは、けっしてないということ。そんなことは、ほんの微々たるもの。恐らくは、100の内の5%といった程度に過ぎないでしょう。
それよりも、もっと、他の何かによるもの。力まず流れに身を任せてきた結果、魅力的な人達と巡り会い、ひとつの道を歩むようになり、そうしていま此処にいる。そう思えてなりません。

そう、何かこう、見えない力によって、導かれているのだ……と。
その他

2008年 9月 9日(火) さるるん@ロシア
新学期
9月1日、ロシアの新学期が始まりました。
この日は、ロシアの子どもたちにとって特別な日です。
うちの子の通っている現地校の場合、学校の玄関前に全学年の生徒と父兄が集まり、入学式兼始業式が行われます。この日には子どもたち一人ひとりが先生に花束を贈る習慣があり、花束を抱えた子どもたちがずらりと並ぶ姿は壮観です。

このセレモニーが屋外で行われるのは、どうも4年前の北オセチアでの学校占拠事件の影響のようです。あの事件は、まさに9月1日のこの新学期のセレモニーを狙ったものでした。

去年もそうでしたが、今年も9月1日は10度を切る寒さで、日本の冬用コートが必要でした。日本から戻ってきて1週間目だったので、いきなり夏から冬になった気分でしたが、その後モスクワもまた暖かくなり、この数日は半袖で過ごしております。

新学期の楽しみのひとつは、新しい教科書を見ること。
私はロシア語がだめなので内容はよくわからないものの、なんだか見ているだけで楽しい気分になります。

あいにく昨年度の教科書の画像なのですが・・・
音楽の教科書から「秋の音楽」




ロシア文学の教科書から「きつねとおおかみ」
「ロシア語」の授業は、文法(書き方を含む)と文学の時間に分かれています。



ロシア語(ロシア文学)の授業では、日本よりもかなり多い分量の文章を読ませます。夏休みにも読書リスト(20編以上がずらりと並ぶ)が渡されました。いいことだ、と興味深く感じています。
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2008年 9月 8日(月) いぬ
原点回帰
摩天楼のように積みあがった未読の書籍の谷間に、ひっそりと明かりをともすディスプレイ。横幅はたっぷりあるはずの机なのに、どういうわけだかいつも数十センチの隙間で作業をする羽目になってしまいます。

ここ半月ほどは特にその傾向が顕著で、というのも、アマゾンで数十冊、数万円分の書籍をまとめ買いしたからなのです。書籍を数万円と言っても、本業の英語関連のものはごく一部で、残りは「ほしいものリスト」に1年以上入れっぱなしになっていたような「読みたいんだけど、今読む絶対的必要性はないなあ」と思っていた本ばかり。軍事関連の本や敗戦当時の日記やら、リビア人の作家の自伝的小説やら、The World Amanac for Kidsなんかのやさしい英語書籍やら、ライトノベルやら、谷口ジローのマンガ(「晴れ行く空」と「遥かな町へ」)やら、そんなものです。

ここ数年、「論文書かなきゃ、でも書きたくない」病に苛まれていて、自分をあれこれ追い込んでみたのですが、結論が出ました。今のやり方じゃ、ダメです。

いくら自分に専門知識がなくて、専門書やら論文やらを読まなくてはいけないと言っても、どうしてもギアが入りませんでした。修行僧のように「これを正面から乗り越えない限り、先はないのだ!趣味の本など読んでいる暇があるか!」と自分を叱咤していたのですが、そうやって「読まねばいけない本」と向き合っても、一向に内容が頭に入らず、夏休みの宿題と向き合った小学生のように、どうやったら課題から逃げるかばかりを考えていました。

本来の私は、濫読というか、雑食性というか、「それを知ってどうなるの?」というものでも面白いと思うとあれこれ知りたくなってしまう性質で、本や、テレビやビデオなどから得た様々な情報を駆使して仕事に役立てていたのですが、「それではまずいだろう。体系的に学ばねば」と思ってここ数年自分なりにあれこれやってみました。いや、やってみようとしたけれど、やれなかったというのが正確ですね。

情けない話ですが、「やらねばならない」と思うと、10分ほどしか机の前に座っていられないのです。これは子供の頃からの悩みで、何か自分はおかしいのかなあと思いつつこの年になるのですけれども、興味を持ったことだと数時間は平気で打ち込めるので、やはり自己コントロールが未熟ということなんでしょう。

それもまずい、と思って自分を厳しく叱りつけていたのですが、そうこうするうちに新たに何かを学ぶ、情報を吸収するということ自体が面白くなくなってしまい、何と言うのでしょうか、自分の中の貪欲な部分がやせ細ってしまったように感じるようになりました。

このままじゃいかん、というわけで原点回帰です。まだリハビリ中なので、自分でもいまいち食いつきが悪いなと思う時もありますが、隙あらば夢中でページをめくる本があるというのは、実に幸せなことだなと思います。映画も見てみようと思い立ち、会員になったままで放置状態だった、岩波ホールの上映作品を確認したりしてみました。今月終わりには、8月中に一家で行った子供向けコンサートで知った、浪曲師の方のコンサート兼ワークショップに行く予定です。

大学時代に吹いていた尺八を引っ張り出してみたり、妻が大学時代に弾いていたクラシックギターを実家から譲り受けてきてみたり(私自身はギターは弾けませんが、弾いてみたいなーと常々思っていたのです)、空手でお土産に青あざをたくさんもらってきたり、まあ久しぶりに自分に好き勝手を許しています。その一方で、「最低限これだけはやろう」という勉強と研究の目標を決めて、極力毎日こなすようにもしているところです。

ひげ鯨が大量の海水からプランクトンを漉し取るがごとく、情報を大量に吸収して、その中から役に立つものを拾い上げる。それが私の真骨頂だったはず。自分の立ち位置を確認して、思い切りやりたいものです。

・・・などと書いていると、長男が「お父さん、僕、絵本作りたいから、こんな本を借りてきたの」と、今日連れて行った図書館で借りた本を見せてくれました。そういえば、やりたいこととやらねばいけないことのせめぎ合いで苦労している人が、ここにもいたのでした。

1学期は「もっとご本が読みたいのに、宿題やれって言われるのやだ!」とサメザメ泣いていたりすることも多かったですね。こっちも切羽詰っているので「やらなくちゃいけないことは、やらなくちゃいけないの!」と鬼になってしまっていましたが、まあ、気持ちはすごくよく分かってはいたのです。ごめん!

父として言行一致させるためにも、原点回帰した後は、「結果」を出さねばなりますまい、と思う日曜日の午後なのでした。
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2008年 9月 5日(金) フレッヒ
万国共通に受けるゲームとは・・・



 最近ドイツ人ゲストだけでなく、ゲスト盛りだくさんの
フレッヒ家です。

 年がら年中お客さんばかりの家で、お泊りの方も
多いので、我が家にはウノを始め、ゲーム類が一通りを
越す数で揃っています。でも、テレビゲームは二人とも好きでは
ないので、一切ありません。

 ドイツ版人生ゲーム「SIEDLER」、これは超お勧めです。
日本でもタカラから日本語バージョンが出ていて、在日ドイツ人に
プレゼントされました。小学校4年生くらいから大人まで楽しめます。

 でも、やはりどんな小さな子供でも、どんな国の人でも
間違いなく一緒にやれて盛り上がるのは、この「ジェンガ」。
単なる積み木崩しですが、少々ルールがあって、
片手しか使ってはいけない、上から三段目までは取ってはいけない
となると、俄然燃えるのです。

 100パーセント天然木材だし、お子さんがいるおうちに
プレゼントに持って行くことも。

 是非、人種を超えて楽しめる皆さんお勧めのゲームが
あったら教えて下さいね。
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2008年 9月 4日(木) みなみ
春の訪れ
 オークランドに春がやってきました。あちこちで、木蓮、桜、梅、桃、椿などが色とりどりの花を咲かせています。日本では、梅、桃、桜の順で咲いていくのが通常だと思いますが、こちらでは本当にいっぺんに木々が花を咲かせます(なので、私には見分けがつかない)。
 今日は家の近所をウォーキングしていたら、なにやらいい花の香り。あちこちの庭先でフリージアが咲いていたからでした。
 夜はまだまだ冷え込みますが、日中に洗濯物を干していると、暖かな日差しと穏やかな風が春の到来を感じさせます。太陽が照っているだけで、なんだか心が弾むようになってくるのはなぜでしょう。
 今年は特に春めくのが急な気がしたのですが、夫によると、「こんなものでしょう」とのこと。どうやら、例年ならこの時期は日本に帰省するためにバタバタしているのが、今年は落ち着いているために(娘のバレエのイグザムと発表会の都合で、年内の帰省は取り止めになった)、私にしみじみと春を感じる余裕ができているためのようです。
 そう、人間の感覚なんて、相対的なものなのです。だから、自分の気持ちひとつで、辛いことも楽しくなる(はず)です。一日、一日を大切に、そして楽しく、愉快に生きていきたいものです。


真っ青な空の下で、色とりどりの花が咲いています
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2008年 9月 3日(水) ぺこたん
愛おしの空色
私は、空を眺めるのが無性に好きです。

旅に出て、素敵な風景と出会うたび、まず気になるのは、その地を包み込む空色のこと。
そうして立ち止まり、上空を見上げてみます。

私が育ったロッキー山脈の麓と、その周辺の大草原を覆う空は、とても高く、とても広く、そうして表情豊か。
辺りには、人工のものは何ひとつなく、地と空の境界線が分からないほど、自然に満ち溢れていて。その場を360度クルッと回っては、自分を取り囲む自然風景を愉しむのが、幼いその当時から、とても好きでした。

ヴァンクーバーのとある島には、空を眺める、お気に入りの場所があります。
そこの芝生の上に横になりながら、刻一刻と変わりゆく空色を眺めるのが、此の上なく好き。色々な表情を見せてくれるので、一日中眺めていても、まるで飽きない。

仕事机は、南側の大きな窓に面しており、その時々の光と影を眺めるのが、原稿書きの合間の、柔らかな瞬間になっています。
寝室の東側少し上の方にある、横長の窓は、ずっと開け放ったまま。陽が沈む頃も、白いレース・カーテン1枚を閉じるだけ。そこから臨む、移ろいゆく空色を、夜中や明け方に、ベッドに横になりながら観るのは、至福のとき。

先週は連日、機嫌の悪い天候続きで、日夜、飽きずに部屋から外の様子を眺めては、うっとりしていました。
雷がピカピカ光る時の空色は、最高級の夢舞台。墨絵の世界。どんなに優れた演出家でも、あれには敵わないでしょう。

そう、悪天候の時の空には、いつもこころ躍ります。
霧。靄。雨雲。今にも雨が降りそうな瞬間。嵐の前の静けさ。薄ら蒼色、或いは灰色のビロードに覆われ始め、見る見る内に不機嫌色に変わる、喜怒哀楽の激しい空。まっすぐで、分かり易くて、理屈っぽくなくて、媚びていなくて。それはそれは素敵です。

そうして、その後に現われる、雨上がりの澄み渡った空。これまた、とても美しい。

もうひとつ、無性に好きなのは、朝夕の静寂なひと時。その僅かな瞬間に見せる、青…蒼…藍…瑠璃色による、夢の大合唱。儚き色世界。
そこから、影になっている木々の間から、黄金色の満月が、顔を見せてくれたなら。それもまた、最高に贅沢な絵風景。

美しい空色と出会うと、言葉というものの無力さを痛感します。
自然の織り成すこの夢作品の美しさを、なんとか伝えようとしても、それを的確に表現するような言葉が、いつも見つからないから。文章を書く仕事をする身として、その都度もどかしくてならない。
大自然の美しさに比べると、我々人間の生み出す言葉の、何て空虚で薄っぺらなこと…。

移ろいゆく時間、移ろいゆく季節。朝焼けと夕焼け。光と影。太陽と月。
尊くて、荘厳で、激しくて、穏やかで、温かくて、束の間で、繊細で、儚くて。
そうして、とても愛おしくて……。


↑ 小船から観た真夏の知床半島。
この直後、生暖かい風と共に大粒の雨が降り出す。そうして海の上に虹が掛かり、その神秘的な光景にこころ躍る。


↑ 夏の終わりを告げる物寂しげな安曇野の夜。
天使が舞い降りて来そうな上空を眺めながら、ここ数日間の楽しかった旅に想いを馳せる。


↑ 立山連峰を見守る穏やかな雲々。
この夜は、連峰に建つ“星々の降るホテル”に泊まる。


↑ 北アルプスを包み込む蒼い瞬間と満月。
ほんの数分の儚き瞬間。うっとり眺めている内にその姿を消し、シャッターを切るのを忘れていることが多い。


↑ 黒姫山で出会った不機嫌な雲。
この直後から降り出した大雨の凄かったこと!


↑ 安比高原の元気な真っ青空。
草原では馬、羊、ヤギ、ウサギなどがのんびり散歩していた。


↑ 自宅の庭から見上げた空色。
何日にも渡り続いた雨嵐雷の間の、束の間の静けさ。
その他

2008年 9月 2日(火) さるるん@ロシア
またリレーでお題をいただきました
昨日のいぬさんのブログで野口健さんの講演が紹介されているのを読み、懐かしい思い出がよみがえってきました。背負うものとはちょっと違うのですが。山登りが好きでネパールが大好きで、休日があれば山に行っていた頃のことです。

ヒマラヤンアドベンチャートラスト(HAT-J)が、世界各地からエベレスト登頂者を招いてシンポジウム(おそらく登山と環境がテーマ)を開催したときにお手伝いをさせていただいたことがありました。田部井淳子さんが代表を務めるHAT-Jが清掃登山を広め始めた頃にあたると記憶しています。初登頂者のエドモンド・ヒラリー卿、超人ラインホルト・メスナー、クリス・ボニントン等、錚々たるメンバーが集まり、私はヒラリー卿のアテンド係になったのです。

ヒラリー卿はエベレスト登頂のときにシェルパのテンジンに命を救われたからと、その後現地のシェルパ族の生活向上のためにずっと尽力してきました。病院や学校を作ったり、水力発電にチャレンジしたり、植林をしたり。ヒラリー卿の講演を聞いて、単なる資金援助ではなく、本当に現地の人々と何があの地域に必要なのか話し合い共にプロジェクトを推進しているんだと感激した記憶があります。

アテンド係になってヒラリー卿とじかに話す機会に恵まれたのに、当時の私は自分の英会話力に自信が持てず、人前で英語を話すなんてとんでもないと思っていたものだから、何も聞きたいことも聞けず、ただ会場内の移動のご案内をしていただけ。(あ、サインはしっかりいただいてしまいました) 当時の自分を訪ねられるものなら訪ねて、「何やってるの?」と蹴りをいれてやりたい(号泣)

それは置いておいて、極限状態を経験したエベレスト登頂者の多くが、自分は生きているのではない、生かされているんだという思いを持っていることに共感を覚えました。レベルが違いますが、私もヒマラヤトレッキングの経験が二度あります。ヒマラヤの峰々を見ると本当に神々の座だと感じます。心の中のおごりが消え、謙虚な気持ちになります。別にヒマラヤに限ったことではないのですが、自然の中で極限状態を経験すると、自分は生かされているのだという思いを持ち、生かされているからには何か世の中のためにしなければという思いになるような気がします。

また、このシンポジウムのとき、名前も出身国も忘れましたが、女性のエベレスト登頂者が「私が驚くのは、エベレストを登頂した女性が少ないということではなく、エベレストに登ろうと思う女性が少ないこと。みんな挑戦する前から、自分には無理だと決めつけている。やればできるかもしれないのに。そのことが残念でたまらない。」と嘆いていたことは今でも忘れられません。

  *****************************************************

【今週のロシア】
世界から孤立させられつつあるロシア。
8月28日にCNNのインタビューに答えたプーチン首相の発言に、ロシアの言いたいことがみんな主張されていると思います。この数日のロシアの報道も、欧米・日本の報道も、このインタビューからの引用が多いので、ご興味とお時間があれば是非読んでみてください。http://edition.cnn.com/2008/WORLD/europe/08/29/putin.transcript/
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2008年 9月 1日(月) いぬ
背負ってしまったので、次はみなさんも・・・
登山家の野口健さんの講演会に妻と2人で行ってきました(だいたいこういう面白い話を見つけてくるのは妻なのです)。いまやすっかり人口に膾炙した感のある「清掃登山」に端を発した氷河湖決壊の危険性の話がメインで、それから話は第二次世界大戦の戦没者の遺骨を日本に戻そうという運動にまで及びました。

印象的だったのは、「僕は登山家だから、現場に行く。現場に行くと、現状を見てしまう。現状見てしまうと、背負ってしまう。」という言葉でした。

以下、公演内容をざっと列挙します。

*清掃登山について*
・エベレストに上ろうと現地入りすると、日本隊のゴミがあちこちにある。ヨーロッパの登山家たちから、次のように言われた。
「中国隊や韓国隊のゴミも、確かにある。しかし、発展途上国である(このあたり意見は当然分かれるでしょうが)そういう国がゴミを捨てるのと、先進国である日本隊がエベレストにゴミを捨てるのは、意味が違うだろう」

・それではとシェルパを集めて清掃隊を組織したものの、始めはシェルパからの抵抗もあった。

・ネパールは40〜50の民族からなる多民族国家で、ヒンズー教に基づくカースト制が根付いている。基本的に1民族1階級で、シェルパ族は真ん中ぐらい。そしてゴミ拾いは下層カーストの仕事だという認識があったため。

・しかし、ゴミを拾ううちに、シェルパたちの考え方が違ってきた。2008年からはシェルパが自発的に国際清掃隊を組織。

・シェルパたちの意識が、ゴミを拾ううちに変わってきた。清掃隊から3人の犠牲者が出たときに、野口氏が「隊長として自分に責任がある。しかし、亡くなった人への責任は、取りようがない。こんな犠牲を出すようなことは、もうやめようと思う」と言うと、シェルパのほうから「いや、最後までやろう。エベレストからネパールを変えたい」という声が上がった。

・亡くなったシェルパの奥さんにお悔やみを言いに行くと、子供を抱きながら「主人は赤ちゃんだったこの娘に『お父さんはすごいことをやっている。お前が大人になる頃には、ネパールは大きく変わっているぞ』と繰り返し語っていた」と言われた。

・韓国で「これがあなたたちの国の登山家が出したゴミだ」と記者会見で見せ付けると、取材陣から罵声が飛び、翌日には大々的に報道された。それがきっかけで、韓国人の有名登山家主導の清掃登山も始まる。怒るという反応も大切。

・中国で同じことをしたが、新聞には一行も取り上げられなかった。


*氷河湖の決壊の危険性について*
・清掃登山などでエベレストに行くたびに気付くのは、温暖化と気候変動。ついに氷河や氷河湖が溶け出した。

・いわゆる「エベレスト街道」の上にある氷河が溶けると、数万人が全滅する。これは登山家とシェルパといった、個人レベルの活動ではどうにも出来ない。

・シェルパの苛立ちと怒りはつのる。「俺たちは温暖化の原因を作ってないじゃないか!」それを聞けば、やはり「背負って」しまうもの。

・北極の氷が溶けるのは、ビジュアル的に訴えやすい(やせこけたシロクマとか)が、氷河はもともと栄養分もなく生物もいないので、ビジュアル的に「地味」。

・氷河が溶けると、下流のバングラデシュで大洪水。一年で川幅が250メートル広がったと言われ、次に来るときに証拠になるように写真を撮って帰ると、今年は250メートルどころか、500メートル近く広がっていた。1200人の児童がいた学校が、跡形もない。別の場所に疎開したが、児童数は半分の600人ほどに。残りは?と尋ねると「流されたまま、安否が確認できないまま」とのこと。

・何とかしなければと「水フォーラム」で訴えたが、その後に何のアクションも起きず、非常に落胆する。

・それに対する野口氏の父上の言葉。「国際会議とは、大きな流れを作る場だ。1回の会議、数日間の話し合いで、全て解決するわけがない。ましてやお前は、友人を助けようとしているんだろう。1回やって上手く行かなかったからと言って、諦めるのか?」

・洞爺湖サミットなどでも訴え、福田総理などとも面会して、アクションにつなげる。


*遺骨収拾活動について*
・エベレストで、体調が悪化して死にかけた。もう助からないと思い、手帳に遺言を書き、それでも足りないのでマットに、続いてテントにも書く。それでも死なない。「日本に帰りたい」としみじみ思う。その時「第二次世界大戦において、海外の戦場で戦死した方々は、どんなに日本に帰りたかっただろうか」と思う。「生きて日本に帰ることが出来たら、遺骨収拾の活動をしようと決心する。

・遺骨収拾に関して、日本政府の対応はあまりに冷たい。

・武装ゲリラの出るような場所で、30人ほどの武装ボディーガードをつけて遺骨の調査をする。自決したらしく、骨がバラバラになっている遺骨が、終戦時そのままの状態で残っている。持って帰りたいが、あくまで名目は「調査」なので、骨に手を触れるのは違法。

・帰ろうとすると「おい、数十年放っておいて、ようやく来たのに、もう帰ってしまうのか」と呼びかけられたような気がした。「済みません。もうすぐ正式な迎えが来ますから」と言って帰る。


講演の内容は、大体以上です。その後質疑応答に入りました。講演会の楽しみの一つは、この質疑応答で、いろいろな情報をさらに引き出すことです。

まず一人目が手を挙げ、何を聞くのかなと思っていると「すみません、サインしてください」。これにはガクッと来てしまいました。

次に二人目。福島県出身の方で、帰省するたびに地球温暖化の影響を感じるというような話を長々としたあと、質問をするのかと思えば「これからもどうぞ頑張って下さい」。

以後大体そんな調子で、聞きたいことがあって手を挙げていた私は、質問時間が終わってしまうのではないかと、かなりヤキモキしていました。

ようやく順番が回ってきて尋ねたのは、「氷河や氷河湖の決壊に対して、世界としてどんな対応が出来るのか」「このような問題に対して、我々個々人としてどんなことをしていけば良いのか」ということでした。

野口さんの答えです。

・氷河湖に関しては、いくつか対策があり、地理的社会的条件も考えながら対応したら良い。
水門を作る
穴を開けて水を抜く
危険地帯からの村ごとの移住など

・温暖化は止まらない。

・温暖化によって被災した地域からの「環境難民」受け入れということができないか。すでにニュージーランドはツバルからの移民を受け入れている。しかしこれは、ニュージーランドで働ける人だけという条件があるので、家族がバラバラになってしまう。

・環境問題に関しては、自分ひとりで背負ってはいけない。他人を巻き込んでいくこと。富士山清掃登山、1年目は百人しか集まらず。今では6500人突破。

・上からの目線で、環境を語ってはいけない。(環境問題は「ボトムアップ」の動きが基本)

・環境保護団体のあり方も考えるべき。かつては過激な活動をして注目を集める必要があったが、今では十分注目は集まっている。あまりやりすぎると一般の人々から「引かれて」しまう。

講演の終わったあと、カフェでお茶を飲みながら、妻とあれこれ熱く語り合ってしまいました。今日の話は、英語教育の現場と英語教育そのものの研究についてなどにもいろいろ当てはまることが多く、我々自身もいろいろ「背負って」しまったね、などという内容です。

そんなわけで、次は読者のみなさんも「背負って」みてはいかがでしょうか。



おまけ その1
ブログを書くためにキーボードを叩いていて思わず爆笑した誤変換。

「正装登山」

モーニングやらドレスやらを着込んだ紳士淑女が酸素ボンベを担いで冬山にアタック!みたいな。

おまけ その2
ブロクの内容には全く関係ないのですが、昨日の夕食の席で、「地面をずっと掘っていくと、何があるの?」という話になりました。すると小学校1年生の息子がおもむろに、

「関東ローム層」

あまりにカルトな答えに笑っていると、幼稚園児の娘が目を輝かせながら、

「じゃあ、ブラジル!」

食卓は爆笑の渦に。お嬢さん、掘り過ぎです!地球の裏側まで行っちゃってますがな!
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2008年 8月29日(金) フレッヒ
久々にグッタリ・・・
  少し前に来日したドイツ人。
私は日本側の商談通訳で呼び出され、
日本側の本社へ出向く事になっていました。

 初来日の彼、30代後半で自動車部品を
日本向けに輸出しています。今回は彼にとっては
ハードな内容となる、クレームオンパレードな
商談。そちらが悪いんだから、日本にそっちが来て
当然だろうと言う事で、ドイツ側の社長である彼が
来日しました。

 数々の失礼はあれど、まず失礼その1は、
彼の寝坊で後れたであろう事は間違いない。
なんと、飛行機に乗れなかったと言う事で、
直前に1日来日がずれ、日本には1日半の滞在に。

 それをですね、
日本側の担当者から緊急用にと聞いた私の携帯に
SMS(ショートメール)で報告を入れてくる・・・。
自分からちゃんと謝って、まずは取引先に一言電話なりメール
するのが、万国共通の礼儀だと思うのですが・・・。

 失礼その2:リムジンバスを押さえ、ホテルも押さえて
あったのに、滞在時間が1日半しかなくなってしまったから
時間もないし、そんな遠くまでバスで行ってられないから、
私に迎えに来いとまたもやショートメール。
よっぽど私は通訳者であって、運転手ではないと返事しようかと
思いましたが、日本側の英語が出来る担当者に直接
頼んでくれと、怒りを抑えました。

 失礼その3:結局成田空港近辺にに自分で部屋を取り、
リムジンバスで
大宮に現れるも、謝罪一切無し。そして成田を東京も大宮も
東京かと、私に会うまで思っていたのは、
まあ初来日なので、ご愛嬌。

 失礼その4:私は日本側に雇われた通訳であって、
あくまで、お互いの言葉をつなげる仕事をしているのに、
日本側の様子や反応まで、通訳には関係ない感情的な部分など、
いちいち細かい事を気にしては聞いてくる。これには参りました。
だったら、自分で通訳者を別に雇うべきです。

 ずっこけその1:「お昼が遅くなってしまったので
ランチタイムは終っているのですが、近くのお蕎麦屋さんへ
行こうと思います。アレルギーなどありますか?何か食べたい物
のリクエストなどありますか?」←ワタクシ

 ドイツ人「あまりお腹は空いていないんだけど〜、
そうだなあ・・・。あ!あれ、日本は北京ダックが有名で
美味しく食べれるんだよね。あれとご飯なんかがいいかなあ。」

 ワタクシ「・・・・。北京ダックは今オリンピックをやっている
中国に寄られて、食べた方が良いでしょう。ここは日本ですから
どこでも簡単に北京ダックが食べられると言うのはありません。」

 本当に久々に振り回されたお仕事でした・・・。
そんな自分にお疲れ様!とまたまた自宅で
ドイツ式BBQパーティーで
ぐいっとな。
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2008年 8月28日(木) みなみ
大学生気分
 先週の木曜日に、オークランド大学に講義を聞きに行ってきました。
 知り合いの翻訳者が翻訳の授業を持っており、この日は特別講義として、NZ人の特許翻訳(日英)者が話をするからと誘ってくれたのです。
 なんでも今年は大学側の手違いで、この講座は新規募集をしないことになってしまっていて、学生が去年からの継続の3人のみだそうで、要はにぎやかし、ということです。「部外者がいいの?」と聞いたところ、「ぼくの授業だから、問題なし」とのことで、お言葉に甘えて参加することにしました。
 講義の内容は非常に具体的に、どのツールを使って、どんなふうに特許翻訳(日英)をしていくかというものでした。私は特許翻訳はまったくの門外漢だし、これからもすることはないと思いますが、ほかの翻訳者の作業ぶりを知ることができて、大変興味深かったです。
 なかでも、非常に「へえー」と思ったのは、講演をしてくれた特許翻訳者が自ら、「私は日本語が読めない」ときっぱりと言ったことです。読めなくてもまったく問題がなく、日本語をコピーペーストして、PCの辞書で意味を調べていくそうです。その説明を聞いていると、まるで日本語というパズルを解いていくかのようでした。
 確かに私も、単語の意味はもっぱらPCに入っている辞書で調べますが、「翻訳者たるもの、調べた単語は読めなければ」という義務感にかられていました。そっか、こんな割り切り方もあるのね、となんだか目からうろこでした。
 また、人口でいうと中国が圧倒的に多いが、中国では英語ができる人も多いので、特許翻訳は日本語が「おいしい」とのことでした。
 さらに、さらに、興味深かったのは、今どきの大学生の様子です。通路をはさんで前方に、とってもきれいなお姉さんがいました。この講義はほかの言語をターゲットにしている人もいたので、日本人かどうかは分かりませんが、アジア系のすらっとした黒髪美人でした。
 講義はコンピューターが一人一台あるコンピューター室で行われ、そのお姉さんはずっとキーボードをカタカタと言わせていました。私はてっきり、講義の内容を入力しているのかと思って、何気なく、彼女の画面を見たら、なんと、ホットメールをやりとりしているのです。
 とっても姿勢よく、きっちりと座っていたので、前から見たらさぞかし真面目に講義を聞いているように見えたことでしょう。そのあとも彼女は、1時間30分ほどの講義の間、SNS(顔写真がいっぱいの画面だったので)とホットメールを行ったり来たり、していました。
 私が大学生だった20年前には存在しなかった講義の過ごし方(さぼり方)がとっても新鮮でした。ということで、ほんの一瞬だけ、大学生気分を味わってきました。
 ちなみにオークランド大学の翻訳コースにはThe Postgraduate Diploma in Translation Studiesという、学位取得者を対象にした1年コース(パートタイムも可能)があります。このコースである程度の成績を取得すると、NZで翻訳者として公式文書(戸籍謄本、職歴証明書、卒業証明書など)を翻訳する資格が得られます。
 もちろん、私のようにフリー翻訳者として働くには資格は不要ですが、翻訳者としてNZで就職するためには、こういった資格を求められることが多いようです。
 また、日本と違って、私立の英語学校(星の数ほどあります)で翻訳コースを開講しているところは、私の知る限りありません。もっぱら、大学か、ポリテクニックという公立の専門学校で学ぶことになります。
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2008年 8月27日(水) ぺこたん
第29回オリンピック北京大会を振り返って
史上最多の204の国と地域が参加した、17日間に及ぶ北京オリンピックが、8月24日、幕を閉じました。
学生時代、ずっと陸上競技をやっていて、年1回の運動会の為に学校通いしていたような私にとり、テレビをつけると、必ず何らかのスポーツが観られるというのは、なんとも贅沢で幸せな日々でした。

●8日(金)
**開会式@鳥の巣。
あぁ華やか。でも長過ぎ! 巨人の足跡花火、一部がCGとの後日報道あり。それでも良いじゃないの。一大スペクタクル・エンターテインメント・ショウなのですから。斬新で素晴らしかったと思います。女の子の歌が、実は口パク? 国家の名誉の為? でもまぁ、これインターテンメント先進国では、決して珍しいことでもなく。唯一気になるのは、ご両人の思い。
☆☆視聴率: 日本37.1%、中国98.1%。mmmnnn…。

●9日(土)
*バレーボール女子・対アメリカ戦。あややややぁ〜〜〜。
*競泳男女共。日本新記録、それでも予選落ち。世界の壁を実感。

●10日(日)
*サッカー男子・対ナイジェリア戦。あややややぁ〜〜〜。

●11日(月)
*バレーボール男子・対ベネズエラ戦。およよよよっ〜〜。
*競泳男子100M平泳ぎ・金メダル・北島選手。
★有言実行。とにかくカッコ良かった。インタビュー中、家族だ苦労だ何だとプライベートをフニャラフニャラ持ち出さず、浪花節調一切なし。それがまたスマートで素敵。
☆☆それにしても…頂点を極め、4年後にまたそこに立つということ。4年に1度の大舞台に、自分のベストを合わせることの凄さ。それまでモティベーションを持ち続け、その瞬間にかけられること。己との戦い。とても眩しく映ります。

●12日(火)
*柔道女子63キロ級・金メダル・谷本選手。5試合すべて“1本勝ち”。気持ち良かった! これぞ柔道、JUDOではなく。しかし、“伝統”か“進化”か。難問だ。
*体操男子団体・銀メダル・日本。とにかく強かった中国。文句なしの金!
★それにしても…富田選手、相変わらずの美しさ。アスリートもアーティスト。真っ先に思い浮かぶのは、この人。
☆☆しかし…競争相手に負けて欲しいようなニュアンスのアナウンス。あれは頂けない。気持ちの良いものではない。

●13日(水)
*野球・対キューバ戦。あ〜〜〜。
*サッカー男子・対オランダ戦。あ〜〜〜〜。
*バレーボール女子・対ポーランド戦。お〜〜〜。

●14日(木)
*バレーボール男子・対中国戦。あ〜〜〜。
*体操男子個人総合・銀メダル・内村選手。
★好物:チョコレート、趣味:寝ること、体育の成績:殆ど3、マイペースなKY…との報道あり。いいぞ、内村くん! 4年後に期待。
★しかし…あん馬で2度落下も、銀メダルを取れたのは、驚き。“点数判定物競技”、ナゾ多し。

●15日(金)
*バレーボール女子・対キューバ戦。あ〜〜〜。
*柔道女子78キロ級・銀メダル・塚田選手。おめでとうございます!
★それにしても、金メダルに輝いた選手。何度もベルト直し、試合中断。あれはアリ…なのですか?

●16日(土)
*野球・対韓国戦。ふ〜〜〜。
*バレーボール男子。対ベネズエラ戦。あ〜〜〜。
*レスリング女子48キロ級・銀メタル・伊調選手。とても爽やかで素敵でした。
★授賞式でカナダ国歌を久々聴いた時は、ウルウルしちゃいましたが…。
*レスリング女子55キロ級・金メダル・吉田選手。心からのおめでとう! 辛い半年を想像。負けは人を強くすること実感。
*陸上男子100M・準決勝・タイソン・ゲイ選手(米国)。ショック!
**そうして、そうして…男子陸上100M決勝! 金メダル・ウサイン・ボルト選手(ジャマイカ)。あれは何だったのでしょう?!! 呆然……。

●17日(日)
*バレーボール女子・対中国戦。あ〜〜〜。
☆☆余談:女性アナウンサーのキーキー甲高い声、あれは何とかならないものか。同時通訳クラスでさえ、真っ先にやらされたのは、低く太く落ち着いた声を出す訓練だったが…。

●18日(月)
*陸上女子棒高跳び・金メダル・エレーナ・イシンバエワ選手(ロシア)。世界新記録。相変わらず素敵。
*バレーボール男子・対アメリカ戦。あ〜〜〜。

●19日(火)
*体操男子種目別・富田選手。ありがとうございました。4年後も観られるのでしょうか…。
*バレーボール女子・対ブラジル戦。ふ〜〜〜。
☆☆余談:コカコーラのオリンピック版TV-CM。いつものことながら、さすが魅力的!

●20日(水)
*陸上男子200M決勝・金メダル・ウサイン・ボルト選手。カール・ルイス以来、100M&200M金メダル獲得。マイケル・ジョーダンの200M世界記録、12年ぶりに破られる。それも御本人の面前で!
*野球・対アメリカ戦。3軍選手相手に、これか?

●21日(木)
*ソフトボール・対アメリカ戦。上野投手。計413球!!
★アメリカ・チームを見ていると、アメリカン・スクール時代の友達等を思い出します、色々な意味で。
★★それにしても…試合の内容とは別に、何と言っても、宇津木元監督のあの解説! とってもブラボ〜であります!!
*サッカー女子・日本チーム。感動いたしました!

●22日(金)
*陸上男子400Mリレー。日本、銅メダル、おめでとうございます。バトン渡しの凄技、深く感動。
★ジャマイカ、強過ぎです! ゴール直前、他の国の選手が一瞬画面から消え、日本人としてとても焦りました(苦笑)。
*カヤック・女子500M・日本・6位入選。今回ゆっくり観戦し、そのカッコ良さを知りました。
*野球・対韓国戦。あ〜〜〜。

●23日(土)
*野球・対アメリカ戦。なんじゃ、こりゃあ〜〜??
*サッカー男子。ナイジェリアVSアルゼンチン戦。流石です。
*シンクロ女子・フリールーティン。ロシア、文句なしの金メダル。日本5位、素人見でも、妥当と実感。哀し。
☆☆そうそう…“精一杯やったから、悔いはない”という、今回競技後度々耳にしたセリフ。あの瞬間あぁ言い切りたくなる気持ち、分からなくもないが、本当は物凄く悔いて欲しいし、そう言って欲しい。そこで満足してしまったら、その時点で成長は止まってしまい、先へは進めなくなりそうだから…。

●24日(日)
*バレーボール男子・アメリカVSブラジル。最後の最後に、素晴らしい“第一級品もの”、見せて貰いました!
**閉会式@鳥の巣。
開会式に比べ、コンパクトだったので、ホッ。
★あっ、ジミー・ペイジ、出ていましたね〜! どうせならロバート・プラントで聴きたかったなぁ。そうして…あの盛り上がりのまま、4年後のロンドンに思いを馳せながら、大会を終わらせて欲しかった。予想外の場所で、ワン・リーホンくんの元気そうな姿が観られて、嬉しかったが…。

こうして振り返ってみると、今回は随分“ライヴ”で観たな…と思います。現地との時差も僅か1時間だった為、原稿に追われがちな夜間とは異なり、楽しくじっくり余裕で観られました。
それにしても、長年何かに打ち込んできた人、そういうものを持っている人は、それがどういう分野であれ、とてもとても美しい!

★★最後に……私の中のNO.1モーメント: 16日の陸上男子100M決勝。
金メダリスト・ウサイン・ボルト選手の“あの”走り! あれはいったい何だったのでしょう?? 力抜き周囲見渡しゴールする100M走者、生まれて初めて観ました……。
その他

2008年 8月26日(火) さるるん@ロシア
この先どうなるのかな
2ヶ月近く日本で過ごしましたが、いよいよモスクワに戻ります。
例によってバタバタしているので、今日は手短かに。

ロシアとグルジア・米国がこの先どうなるのか予想がつかず、ただごたごたが長引くことは間違いなく思え、漠然とした不安を抱えて日本を離れることに。モスクワの友人の話では、日常生活には変わりがないとのことだけど・・・。

成り行きによっては、ロシアから生活拠点を移すことになるかも、などと思う今日この頃。

今回の日本滞在中、ロシアにいるときと同様に翻訳の仕事が続けられたことは、心強いことでした。どこに行くことになっても、インターネットとご縁があれば仕事ができるというのは不安材料をひとつ消してくれます。

それにしても、パキスタン情勢も不安定だし、北京五輪後の中国の行方と日本への影響も懸念されるし・・・鬱々。

しばし、すべてを忘れて、このシベリアンタイガー君のようにだら〜んとしていたい気分です。

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2008年 8月25日(月) いぬ
「ビジョン」を持つこと
通訳学校で放送通訳の授業をやってきました。一回完結の授業なのですが、6時間に及ぶ長丁場を生徒さんも頑張って乗り切っていました。通訳する長さが短く、私がいくつかヒントを出す以外には、実際の時差通訳とほぼ変わらない条件で通訳にチャレンジしていただき、パフォーマンスを録音してクラスメート同士でフィードバックをした後に私がフィードバックし、最後に私のパフォーマンスを流します。

通訳経験もなく、英語のレベルから見ても少々大変かなと思っていた方もいらっしゃったのですが、積極的に課題に取り組んでいて頼もしく感じました。私自身、大学時代から通訳学校時代まで(正直な話、今でもそうなのですが)、いつも劣等感に苛まれながら勉強していたので、実力は少々不足していても「食らいついてくる」方についつい目が行ってしまいます。

授業後にたっぷり時間をとって質疑応答したのですが、全体的に通訳者としてどう稼動したいのかという具体的「ビジョン」が持てていないようでした。興味を持ったら、まずは実際に通訳者が働いている姿を見ると良いと思います。通訳付きの講演も探せばたくさんありますし、NHKでは毎日放送通訳のついた海外ニュースを提供しています。

実際にそのような姿を見て(もっとも放送通訳では通訳者の姿は見えませんが)、自分をその姿に重ね合わせ、そこに至るまでにはどのようなことが必要になってくるかを考え、実行する。これが一般的な道筋になってくるように思うのです。

昨日もそんなことを話して帰ってきたのですが、家に戻るとポストにチラシが入っていました。自宅近くに出来る介護施設の職員を募集する内容です。看護士や介護職員の常勤・パートの月給や時給などもハッキリ書いてあって、それを見て考え込んでしまいました。

あれだけ大変な業務内容で、しかも社会的なニーズも非常にある仕事なのに、率直に言うと、もう少し何とかならないのだろうかと感じる額です(もちろん業界の相場というものもあるとは思いますが)。しかも、介護職員の経験者と未経験者は月給にして1万円、時給にして50円しか違いません。積み重ねた「経験」に対する評価がそれだけだとしたら、「経験者」の勤労意欲はどれぐらいかき立てられるものなのでしょうか。

看護士や介護職員を目指して勉強している学生さんもたくさんいると思いますが、あの現実を突きつけられたら、「ビジョンを持つ」こともなかなか難しいのではないでしょうか。もちろん「金銭」だけが勤労意欲の唯一の源だとは全く思っていませんし、もっと崇高な使命に突き動かされて仕事にまい進することがあることも分かっています。しかしやはり、霞を食べて生きていくわけには行かない現実がある以上、ある程度の報酬や勤務体系の整備は必要だと思うのです。しかも、看護士も介護職員も、これからの日本にとってますます大切な仕事になるというのに。

日常感じるこういった様々な「社会のひずみ」があります。しかし、私を含め、大抵の人は自分に直接関係しない限り、それを見過ごしてしまうものです。場合によっては、直接関係していても、目をそらしてしまうことすらあるでしょう。それに対してその問題を抉り出して多くの人々の目の前に突きつける、それがジャーナリズムの一つのあり方だと思います。

ジャーナリストとしてそのようなことを行なう能力は、私自身にはありませんが、せめてそのような能力がある人(ジャーナリスト)がスポットライトを当てた様々な問題の報道に、放送通訳者として微力ながら協力できればと思っています。胸を痛めたり憤ったりしながら、「視聴者の皆さん、聞いてください。こんなことがあったんです」と思いつつ、マイクのスイッチを入れているのです。

そして、そのときに的確な通訳をするためにも、日々の努力を積み重ねていかなければと思っています。浪花節的な話なのは自覚していますが、それが私の抱く理想的放送通訳者の「ビジョン」です。

・・・もちろんなかなか実現できないからこそ「理想」なのであって、実際には「今日もサボってしまった」とため息をつくことの方が多いのですけれども。
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2008年 8月22日(金) フレッヒ
ドイツ軍団が次々と・・・



 先週の出張者のお客さんの通訳愚痴を
書く暇もなく、我が家には続々とドイツ人軍団が
やって来ています。

 本日から3日間は11歳のドイツ人女の子。
彼女は日本でしか育った事がないのですが、
お母さんがドイツ人、お父さんがイラン人、住処は
茨城の山の中と言う、ある意味特殊な環境です。

 毎年、夏休みと冬休みにうちにお泊りに来るのを
楽しみにしていて、もう7年目位になっているかな。

 預かり始めた当初は、ドイツ語で話すのが一番ラクだった
彼女。いつの間にか日本語に逆転していますが、
うちの相方と3人になるとドイツ語だし、パパが入ると
ペルシャ語だし、日本人の方が増えると日本語。
もちろんこれに英語圏の方が入ると英語で話します。

 そんな11歳、私は他に知りません・・・。
それも日本の田舎の学校に普通に保育園から行っているのに。

 1年に1回はドイツで約1ヶ月間、現地の学校に
両親が行かせているようですが、きちんと完全に使い分け
それぞれの言語の読み書きが出来るとは本当にあっぱれ。

 そんな彼女に最近は、あれってドイツ語で何て言ったっけ?
と私が聞く様になってきています。まずい、まずい。
ちょっと前まではそれが逆だったのに!
 
 このスーパー小学生と今晩は
南イタリアの家庭料理、
「サルティンボッコ」を作りました。
生ハムの牛肉巻きです。(生ハムを塩コショウした牛肉とバジルの葉、とろけるチーズで巻き、小麦粉を塗してオリーブオイルで焼く。
最後に白ワインとバルサミコ酢で軽く蒸して出来上がり)

 このお料理、国籍・年齢を問わず大好評。
来月に入ったらまたドイツ人が3週間我が家にホームステイ。

 間に翻訳地獄が入らないことを祈るばかりです・・・。

 

 
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2008年 8月21日(木) みなみ
アオテアロア
 ニュージーランドの先住民、マオリは、約1,000年前に太平洋上の島々からカヌーに乗って、アオテアロア(「白く長い雲のたなびく国」。マオリ語でニュージーランドのこと)にやってきた人々の子孫です。
 現在でも、多くのマオリのイウィ(部族)は、どのカヌーに乗ってやって来たか、自分のファカパパ(家系)を辿ることができます。そしてイウィごとに文化や宗教、習慣が異なるため、NZの書類で国籍を書く欄には、マオリの場合にどのイウイに属しているかを記入する欄が必ずあります。
 数百年の間、マオリの人々が暮らしていた土地にその後、多くのヨーロッパ人がやって来ました。やがて土地の所有権をめぐって白人とマオリの衝突が深刻化し、1840年2月6日、英国側とマオリ首長たちとの間で、ワイタンギ条約が締結されました。ワイタンギは、この条約が締結された地名で、北島の一番北の方にある小さな町です。
 それまで入植者と先住民マオリとの間で紛争が絶えなかったこの地域の沈静化のために、さらにニュージーランドとの貿易を保護するために、ワイタンギ条約は締結されました。「ニュージーランドの主権を英国女王に譲渡する代わりに、土地や漁業権などは引き続きマオリが所有する」というものですが、「マオリ人は英国民としての権利を与えられる」という点が、オーストラリアのアボリジニへの処遇と大きく異なるとされています。ただ、この日を境に、ニュージーランドが実質的に英国の植民地となったのは事実です。
 この条約は今でも生きていて、ニュージーランドの国としての在り方のよりどころとなっています。しかし、英語版とマオリ語版で意味が異なる部分があり(英国側の翻訳者の意訳とも、誤訳とも、はたまた概念の違いからやむを得なかったとも言われている)、土地や権利に関する解釈の違いはいまだに物議をかもしています。
 と、なぜ長々と書いたかというと、先週、マオリの歴史に詳しいキウイの知り合いに誘われて、マオリの一部族が1,000年前に上陸したと言われている、オークランド東部のCockle Bayに行ってきたからです。
 その浜辺には、樹齢2,000年という大木が立っています。この木には、マオリの先祖が上陸して、後に続く人たちのために大きな赤い目印を付けた、という伝説が残っています。
 大きな木、というイメージをはるかに覆す、本当に大きな、大きな木でした。1,000年前にはおそらく、すくっと立っていて、いい目印になったそうですが、今では低く這っています。
 ニュージーランドの歴史をずっと、黙って見てきた木なのだと思うと、なんだか言葉にはできない感動がこみ上げてきました。


マオリの伝説を説明する碑。



樹齢2,000年の大木。対象物がないので小さく見えるかもしれませんが、這いつくばっているとはいえ、十数メートルの高さがあります。
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2008年 8月20日(水) ぺこたん
憧れの白神山地へ
柔らかな緑広がる、大好きな東北への旅に、再び出ていました。
“原生林”“針葉樹”という言葉に、妙に心ときめく私の、今回の目的地は“白神山地”。

朝6時に自宅を出発、さっそく東北道へ。
幾度かのトイレ休憩(&アイスクリーム・タイム!)を挟んだ後、岩手県に到着。
まずはアスピーテラインを上ります。
日本屈指の絶景道路として知られる、人気のこのドライヴィング・コース。秋田県鹿角市から岩手県八幡平市まで、全長約35キロありますが、今回はその中の12キロほどを走行。とてもとても“Long And Winding Road”です。

↑ 八幡平アスピーテライン。

そうして午後3時頃に、八幡平展望台に着きます。
岩手山、広大な樹海や湿原、小沼などが望める絶景地点です(標高約1600M)。
地上とは常に5-10℃異なり、真夏でも15℃程度までしか上がらず、この日はなんと12℃!
ひんやりした風運ぶ香りと、そうして針葉樹覆い茂る山々は、我が愛しいのカナダ・バンフ&ジャスパーを彷彿させ、とてもとても素敵です。
余談ですが、“アスピーテ”とは、ドイツ語で“楯状(たてじょう)”の火山のことだそうです。

↑ 八幡平展望台。

さて、今宵の宿泊先は大鰐(おおわに)温泉近くの阿邪羅山(あじゃらさん。標高約700M。不動明王を指す梵語の“アチャラ”に由来)に建つリゾート・ホテル。津軽平野を見渡す、自然に抱かれたとても素敵な地。
6時頃着後、部屋に荷物を置き、近くを散策。
薄霧に包まれた山々を、暮れゆく夜空がゆっくりと覆うその瞬間は、とても幻想的で贅沢な光景でした。

↑ 宿泊先の部屋から望む、薄霧に包まれたゴルフコース。

その後、同ホテルにてビュッフェの夕食を取り、温泉に入り、そうしてテレビでオリンピック観戦した後、真夜中12時頃に就寝。

明け方、開け放たれた窓から吹き込む風で、いったん目が覚めます。
壁際の長椅子に横たわりながら、目を瞑り、そうしてその音と匂いとひんやりした空気を全身で受け止めている内に、自分が何処にいるのかを、一瞬忘れてしまいそうになりました。

再びベッドに潜り、結局5時半に起床。ボーッとしながら朝食を取った後、朝靄の中を散歩。そうして7時半に宿を後にします。

↑ 宿泊先から望む津軽平野。

さて、青森2日目です。
道の途中、見渡す限りの林檎の木・木・木! 遠く津軽まで来たことを、改めて実感します。
その木々に薄靄が掛かり、とても美しい絵が描き出されていました。

その中を2時間ほどのドライヴ。そうして今回の旅の第一目的地である、“白神山地”に到着。
此処は、青森県南西部&秋田県北西部にまたがる、標高100-1200メートルに位置する世界自然遺産であり、世界最大級といわれるブナ林が、ほぼ現生の姿のままに残されていることで知られる地です。

さて、いよいよ長年の夢だったブナ林の中へ。
まずはインフォメーション・カウンターにて地図を貰い、350円で長靴を借ります。

↑ ブナ林散策コース。

今回2時間ほど歩くコースを行ったのですが、これが想像以上にアップダウンの激しい道のりで、おまけに朝の雨により地面が滑り易く、途中、遭難届けを出そうかと思ったほど(苦笑)。日頃運動不足の身には、かなり堪えました。いやはや。
クマゲラやツキノワグマに代表される、哺乳類、鳥類、昆虫類の宝庫としても知られますが、今回は残念ながら、その誰にも会えず(ツキノワグマにはあまり遭遇したくはないが…)。

↑ 白神山地を覆う薄靄。

それにしても、大自然に抱かれながらの散策の、気持ち良いことと言ったら!
無事に出発地点へ戻った後、バスタオルを借りて露天風呂に入り、仕上げにクマゲラ印のアイスクリームを。
嗚呼、極楽極楽〜。

ところで…
ここ東北の緑の深さは、今月上旬とは明らかに変わってきており、季節の移ろいを感じずにはいられませんでした。
秋はすぐ其処。信じられないほどに蒸し暑く、長く厳しかった今年の夏の日々とも、別れを告げる瞬間が来ているようです……。

↑ 東北の柔らかな緑。


↑ 今回の土産は“山ふきジャム”。大好物の“ルバーブ”に似ている…かな? 楽しみ!
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2008年 8月19日(火) さるるん@ロシア
孤独な国・・・
来週いよいよロシアに帰ります。
気になるのは、やはりロシアvsグルジア&米国がこの先どうなるのかということ。北京五輪開会式から、あんなニュースが飛び込んできたものだから、今ひとつオリンピック気分にはなれず鬱々としています。

昨日いぬさんが「ロシアのグルジア侵攻が不気味な動きだと感じていた」と書いていらっしゃるのを見て、また暗い気持ちに…。

ロシア人の目線で見ると、今回の直接のきっかけはグルジア軍による南オセチア分離独立派への攻撃であり、そのような内戦を阻止する役割を担うロシア、グルジア、オセチア(南と北)の四者から成る平和維持軍のグルジア兵がロシア兵を攻撃したことです。根本的な原因は、欧米(特に米国)がグルジア・ウクライナと結託してロシアを囲い込もうとしてきたことだと思います。両国のNATO加盟はロシアには耐えがたいことです。

そんなことは忘れ去られ、国際社会での報道は大国ロシアが小国グルジアをいじめている、「侵攻」「侵略」しているというイメージ一色です。

グルジアの無辜の人々を巻き込んだロシアの武力行使は批難されてしかるべきだと思いますが、一方的にロシアが悪いようなイメージができていく国際世論の動きが怖いです。ロシア側に立った発言をする国もないし、つくづくロシアは孤独な国だと思います。

初動対応が遅かった米国がグルジア支持を明確にし、必要以上にロシアを非難するのを見るたび、ため息がでます。ポーランドが米ミサイル防衛配備に合意したとのニュースにますます暗澹たる気持ちになっています。「ミサイルはイランに対抗するためのもので、ロシアを念頭に置いたものではない」と言われても、それを信じるロシア人はいないでしょう。嫌な展開です。
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2008年 8月18日(月) いぬ
リハビリを終えての社会復帰
う〜む、ハンドルネームの存在意義って何だろうと、しみじみ思う今日この頃です。

さて、お盆は妻の実家と私の両親宅でのんびりと過ごしました。たまりに溜まっていた抜書きノートの作成をしてスッキリする予定でしたが、新たに本を読んでしまって、バックログがさらに増えるという泣き笑いの事態にもなりましたが。家族と過ごす時間も取れたし、後期の授業の大目標を立てたり、それに沿ってあれこれ考えたりする時間もあったし、何はともあれ、上々のお盆休みだったと言えるでしょう。これほど徹底的にオフを満喫したのは数年ぶりです。

それにしても、テレビをつければオリンピックか高校野球ばかりで、世の中スポーツ以外のイベントは起きていないのかと思うほどでした。スポーツイベントが悪いというわけでも、私が興味が無いというわけでもないのですが、それ以外の情報を入れたいと思ったときに情報源が限られているというのはつらいですね。

特にロシアのグルジア侵攻が不気味な動きだと感じていたのですが、新聞などの報道でも隔靴掻痒の感があり、情報を求めてネットをウロウロしていたところ、父が自分が購読しているTIMEの最新号(8月25日号)をポンと放ってくれました。グルジア情勢について特集を組んでいたのです。民家の前に停まった戦車の写真のキャプションがThe Empire Strikes Back。いやー、どういう捉え方をされているかがよく分かります。記事を読んでいる間に頭の中に流れるBGMは、「ダースベーダーのテーマ」でしたよ。

その直前にあったSamantha Power氏のCommentaryも興味深かったです。ロシアの侵攻について、Diplomats and intelligence professionals must acknowledge that honor and humiliation often weigh as heavily in the minds of statesmen and citizens as do economic and security interests. (中略)They must avoid the habit of projectiong onto others their own ideas of what is rational. という件があり、なるほどそうだなと思うと同時に、いまさらそんな事を、とも思いました。

イギリスで放送通訳をしていたときに、チェチェン紛争(今調べてみたら、厳密には第二次チェチェン紛争)の報道にリアルタイムでかかわったこともあり、ロシア情勢には個人的に興味を持っています。別段TIMEの報道が公正だとも思っていませんし、どのニュースを選択するかという時点でメディアの中立性などということは制限付きの概念に過ぎないと思っているので、TIMEの記事を鵜呑みにするつもりもないのですが、とにかく何らかの情報が入らないことには始まりません。そうなると、英語が「道具」として使えることは、非常に大きなアドバンテージになってくると思います。

先日読んだ「『達人』の英語学習法」(竹内理 著)に、こんなことが書いてありました。

「発展途上の国においては外国語学習は特権であり、ある程度発達した国では権利となり、先進国では義務になる」といわれることがあるが、日本の中学校や高等学校における英語学習は義務の段階に至っている感が強く、積極性があるとは言えない。(p.13)

確かにそうだと思います。日本で普通の生活を営む上では、例えば英語が出来ないばかりに適切な治療を受けられずに命を落とすなどということはないわけで、そういう意味では、日本に生活しつつ英語を学ぶ「利点」はそれほどないと言えるでしょう。ただ、英語を学ぶ「意義」はあると思うのです。例えば今回のような、国際情勢をキャッチするアンテナが確実に1本増えるということが挙げられます。「それがどうした」という考えも、当然あるとは思うのですが、日本における「普通の生活」は国際社会の平和(というか、安定)に立脚していることを考えると、それはあまりに狭量な言い分だと思うのです。

放送通訳者としては、少しでも英語を磨き、知識を拡充し、常により良い通訳パフォーマンスを目指して努力して行きたいものだなと考えています。引用ばかりで恐縮ですが、やはり先日読んだ「カリスマ教師の心づくり塾」(原田隆史 著)の一節に、ギクリとしました。

心というのは難しいもんで、困難なことを達成した時に強くなるのではなくて、挑戦している過程で強くなるのです。(中略)出来ないことに挑戦するのではなくて、今出来る何かをやり続けることで、心は強くなります(p.162)

困難な目標に挑むことを、「出来なかったときの言い訳」にしないようにしようと思います。自分の「今、出来ること」をやり続けたいものですね。
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2008年 8月15日(金) フレッヒ
ドイツ人に大人気な・・・、これ!
   


 ドイツ人に大人気なこれ、
そう坦々麺です!

 中国本場四川の坦々麺と違って
日本は汁入りが多いのと、様々なバージョンがあって
各お店、本当にレベルの高い坦々麺に
仕上がっていると思います。
麺やスープにこだわる日本人にあっては、
このメニューは本場中国で食べるより、
日本で食べた方が楽しめるのではないかと勝手に思うほど。

 ドイツやヨーロッパの中華料理店では
この日本で大人気のメニュー「坦々麺」を見かけることは
まずありません。大抵、酢豚やなんちゃって北京ダック
(皮より身を食べる)など、
こってり&量と油が多いお馴染みの物を良く見かけます。

 だから、ヨーロッパ人で日本に来るまで
坦々麺を食べた事がなかったって言う人、本当に多いのです。

 私の坦々麺好きがドイツ人相方にも伝染して、
10年ほど前から、二人でいろいろな坦々麺を
食べ歩いてきました。
それが周辺の在日ドイツ人にも伝染して、
ドイツ人を何人も引き連れて、
坦々麺ツアーをした事がありました。

 上の写真は、昨日ランチで食べた
秋葉原UDXビル一階の坦々麺。
久々の感動坦々でした。
坦々麺だけで7〜8種類あったなあ。
冷やし坦々も劇的に美味しそうで、次回狙うは冷やし坦々。

 しかし、先週、ドイツからの出張者
(39歳、初来日のドイツ人会社経営者)に、

 「お昼は軽くていいな〜。日本って北京ダックが有名なんだよね!」
って言われた時には超脱力。

 本当に日本の事を表面的にしか知らず、
お箸も持ったこともなく、魚も食べた事無いと言う
保守的なドイツ人に久々に会いました。
今時、日本の会社と商売を
している会社にしては、珍しいです。
そしてこれがまたかなり勘違い
社長・・・。このお話は次回。
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2008年 8月14日(木) みなみ
オリンピック
 今週は皆さんのブログもオリンピック一色だろうと思って開いてみたら、あら、びっくり。どなたも書いておられません。なぜでしょう? 
 私は特にスポーツ好きというわけではないのですが、ちょこちょことテレビ観戦を楽しんでいます。こちらでも日本と同様、オリンピックは連日連夜、テレビで放映されています。ニュージーランドはまだメダルは取れていませんが、今、一番の話題であることは間違いないと思います。
 開会セレモニーは、いろいろ物議をかもしていますが、イベントとしてみると、中国の素晴らしさがビジュアルで伝わってきて、なかなか感動しました。ただ、入場行進がアルファベット順でなく、中国の漢字表記による画数ということで、日本がすぐ出てくれたのは良かったのですが、NZがなかなか出なくて途中で寝てしまいました。後から知りましたが189番目で、NZは中国と4時間の時差があるので、午前3時30分ごろだったらしいです。ちなみにNZは漢字で「新西蘭」です。
 こちらで優先して報道されるのは、当然ながら、NZの選手が出場している種目となります。陸上や水泳は日本と同じですが、日本ではおそらくあまりゴールデンタイムに放映されることはないであろう、カヌー・カヤック、ボート、ヨットなどなど、水関係が延々と放映されます。中国は暑いと頭では分かっていても、水を見ているとなんとなく寒くなってきます。
 また、シドニーで正式種目となったトライアスロンは、金・銀メダルを制覇しただけに、今年もメダルが期待されています。
 さらに、サイクリング、乗馬、射撃、ホッケーなど、今ひとつ馴染みのないスポーツが並びます。私としては、体操とか、新体操が見たいのですが、お昼にしか放映されていません(NZ選手は一人も出ていない)。ましてや柔道なんて、まったく無視です(おそらく野球も)。スポーツなんて万国共通と思っていましたが、国によって人気度も注目度も全然違います。
 日曜日には、ホッケーを学校でやっている娘と一緒に、日本対NZの女子ホッケーのライブ放送をじっくり観戦しました。こちらではホッケーは非常に人気があります。
 この試合は日本が2対1で勝ちました。そしてこの試合中、私が驚いたのは、どちらを応援するかで私の心が非常に揺れ動いたことです。文字どおり、「どちらもがんばれー、どちらも勝てー」という感じで、両方を応援していました。4年前なら迷わず日本を応援していたと思います。
 そしてなぜか「利益相反(Confilict of Interest)」という言葉がぽわんと浮かんできたのでした。ちなみに「利益相反」とは、会社としての利益と個人としての利益がぶつかることなので、まったく使い方は誤っていますが…。
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2008年 8月13日(水) ぺこたん
あの時代(とき)を忘れても、サザンオールスターズは忘れない
30年程前、南米での生活を始めてまもない頃、友人が“このバンド、いま凄い人気なんだよ”…と、あるカセットテープを送ってくれまして。
で、すぐさま聴いてみた…次の瞬間……思いっきり仰け反ってしまいました………。

“な…な…な〜んじゃ、これゃ〜〜〜ぁ〜〜〜っ?!!”

だって……
何を言っているか、さっぱり分らない。日本語なのか何語なのか、それすら判断不明。タイトルからして、まるでナゾ。メロディーもハチャメチャ。リズムはちょっとブラジリアン、リオのカーニバル・テイスト。だけど、江の島のことを歌っているみたいだし……。
……遠い南米の空の下、意識朦朧としました。

でも、なにかこう、耳に残る、身体にまとわりついて離れない、そんな不思議な魅力を感じたのも、事実…。

それが、“サザンオールスターズ”だったのです。
そうしてその時に聴いたのが、彼等のデビュー曲「勝手にシンドバッド」。

でも、これは結局、一発屋だろうな。この一曲で終わりだろう。“風変わりなバンドの風変わりなシングル”。サークル活動、学園祭の延長。祭だ、わっしょい! 脳天気に楽しもうぜ! でも、ただそれだけ。翌年には“あの人はいま”。まぁそんなところだろう…。そう思ったものです。

その翌年に耳にしたのが、「いとしのエリー」。
まだ南米に拘束されていた頃。
デビュー曲とは打って変わり、うっとりするような、美しい歌詞&旋律のバラード。“えっ、あのメチャクチャ・バンドが、こんな曲もやるのか?!”。予想を思い切り裏切ってくれました。

トドメは、「チャコの海岸物語」。
無事帰国後。確か、受験の頃。
ちょっと甘酸っぱく切なくて。それでいて、色々な意味でエロエロ桑田さんらしさが見え隠れ。
これで一気にハマりました。

そうして学生生活突入。バンド活動にちょっとだけ興味のあった私は、彼等が出た軽音楽サークルを覗いたりもしました。
そう、“ベターデイズ”。名作「Ya Ya(あの時代〈とき〉を忘れない)」の中で、“目に浮かぶのは〜♪”と歌われている、あのサークルです。
“互いにギター鳴らすだけで分かり合える友”。あれには妙に憧れました。それから、桑田さん&原さんという、とても素敵なカップルにも…。
残念ながら、当時のこぢんまりした可愛らしい“涙のチャペル”は、もう存在せず。跡地には、“あんなもの前にして涙する人はいないだろう”と思うような、巨大なコンクリート・ビルが建ち、チャペルはその中に、遠慮気味に収まっています。
それにしても、なんて美しい曲なのでしょう。
早く卒業して、音楽&雑誌作りに専念したかった私には、“美しすぎるほど忘れられぬ日々”など皆無ですが、それでもこの曲を聴くたび、あの4年間のキャンパス・ライフを思い出します。
心にじんわり染み渡る、私が最も好きなサザン・ナンバーです。

その後、雑誌社時代の思い出の1曲と言えば、「逢いたくなった時に君はここにいない」。
うーん、ちょっとイタイ歌です。

それから、「真夏の果実」。
桑田さん初監督映画『稲村ジェーン』の主題歌。
同映画で華々しくデビューした俳優・加勢大周を、社を上げて応援していた関係もあり、今のように暑い真夏日に、同僚御一行様で観に行った、思い出深い映画&楽曲。耳にするたび、当時のひとコマが鮮やかに蘇ってきます。
真夏というよりは、祭りも花火大会も終わり、移ろいゆく季節を実感する、ちょっと物寂しい時期に、なぜか聴きたくなります。

そうして退社直前に聴いていたのが、「涙のキッス」。
“マザコン男・冬彦”が強烈印象の、TV連ドラ『ずっとあなたが好きだった』と、イメージがダブってしまう嫌いがありますが、あのカップリングにより、大ヒットしたバラード・ナンバーです。

その後、フリーになってから耳にした曲といえば、もうこれしかありません。そう、グループ史上最高のヒット・ナンバー、「TSUNAMI」。
2000年日本レコード大賞受賞曲です。
“人は誰も愛求めて闇に彷徨う運命”“めぐり逢えた瞬間から魔法が解けない/鏡のような夢の中で/思い出はいつの日も雨”…等々、非常に抒情的で独特な歌詞が印象的。“ソングライター”としての桑田さんの凄さに、改めて唸ってしまいます。
私の心の中では、彼はずっと、“和製ポール・マッカートニー”なのですから! そうして余談ですが、英語の発音も、非常に美しい!

……と、ご覧の通り、思い出すのは超メジャー・ヒット作ばかり。すべてのシングル&アルバムを完璧にフォローしていたような、熱心なファンではありません。また海へ向かう時に、車中でサザンを聴くような人間ではありませんし(だいたい、海よりも山へ向かうタイプだし…)、だいたい、その時々に流行った曲を聴いては、思い出に浸り涙するような、可愛い女でもござんせん。
それでもこうして振り返ると、人生の折々に聴いていたサザン・ナンバーが、必ずあることに気づかされます。
意識したことはないけれど、でも常に、ふんわり身近にあった音楽、日々の生活に寄り添ってくれていた音楽なのですよね。
どの曲も、とても懐かしい匂いがします。

そのサザンオールスターズは、先日、シングル「I AM YOUR SINGER」を発表しました。これは、“30年の間に出会った人々に対する感謝の気持ちを込めた歌”であり、活動休止前最後の曲とされています。
しかし何年かの後に、必ず、彼等はまた素敵な歌を引っ提げ、我々の前に戻って来ることでしょう。きっと。
それまではファンも変わらぬ想いで、待ち続けていますよ!
もちろん、この私も……。
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2008年 8月12日(火) さるるん@ロシア
高田屋嘉兵衛
週末に野外劇「星の城、明日に輝け」を見てきた。
史跡五稜郭の堀のまわりを舞台に500人が演じるスケールの大きい函館市民創作劇。素人劇とは言え、夜の五稜郭の幻想的な空間での野外劇はなかなかのものである。今年の出し物は高田屋嘉兵衛による箱館の開拓から現代に至る歴史を描いたもの。

高田屋嘉兵衛には思い入れがある。

子どもの頃、函館市内にある嘉兵衛の銅像の前を通るたびに祖父に「誰の銅像だ?」ときかれ、「タカダヤ カヘイ!」と答えるたびにほめてもらったものだが、知ってるのは名前だけで、実のところ何をした人なのかはとんと知らずに育ってしまった。(ちなみに、私に英語を教えてくれたのはこの祖父である)

1982年に司馬遼太郎が高田屋嘉兵衛の生涯を描いた『菜の花の沖』を出したことで、ようやくどんな人だったのかうっすらとわかったけれど、同書を読む機会はなかった。昨年秋に友人が「おもしろかった」とモスクワまで本を送ってくれてようやく、嘉兵衛の本当のすごさを知るに至った次第。

全6巻は読むのに時間がかかったけれど、司馬の嘉兵衛への思い、日露関係そして日本のあり方への思いがあふれた迫力ある作品だった。やはりクライマックスは第6巻。通商を求めてやってきたロシアのレザノフが幕府に追い返されたことに腹を立て、蝦夷で略奪行為に及ぶ。これに怒った幕府は蝦夷地を厳戒態勢に置き、1811年、国後島に上陸した艦長ゴローニンを捕え幽囚するに至る。副艦長リコルドが、ゴローニン奪還の交渉材料にすべく1812年択捉沖で嘉兵衛の船を拿捕。そこからの嘉兵衛がすごい。捕われた事情を知ると、もつれた日露関係を自分が解きほぐそうと捕虜になる覚悟を決める。ロシア語など初めは少しもわからなかったのに、その志を果たすべく、リコルドと気迫のコミュニケーションをとる。ゴローニンを救うという強い意志を持つリコルドもまた嘉兵衛を理解しようと必死に向き合う。この二人の間に育った信頼関係がすごい。両国の和解はこの二人がいればこそ。

異言語間のコミュニケーションに携わる立場として、二人の姿には打たれるものがある。また、外交というのは、人なのだともあらためて思う。今や私も日露関係が良くなることを切実に願う立場になったこともあり、いろいろな意味で嘉兵衛の存在は何やら羅針盤のような気がしている。子どもの頃、銅像を見上げていたときには思いもしなかったけれど。
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2008年 8月11日(月) いぬ
殴り殴られ蹴り蹴られ
趣味で通っている空手道場の夏合宿に一家4人で参加してきました。と言っても、空手着に袖を通したのは私だけで、残る3人は見学です。

今回の目的は昇級審査だったのですが、合宿での昇級審査は初めてで、てっきり軽く稽古をしてからだろうと思い込んでいました。ところがいきなり「審査始めます!」と言われて、あれよあれよと言う間に自分の組み手の番が来てしまいました。5人組み手の4人目あたりで、周りを気にする余裕がなくなり、5人目はもうスタミナ切れで、一発蹴りこむと3発ぐらい返されて、拳を振り回すのが精一杯のまま終了。もうヘロヘロです。

試合後、いろいろアドバイスを下さった顔見知りの黒帯の方にご挨拶に行くと「いや〜、見事な・・・泥仕合だったね」というお言葉を頂戴しました。とほほ。

その夜の打ち上げで、イタリア語会話の本を出されている方とお話をしたのですが、最近イタリア語にサビがあがったように感じたので、ディクテーションを軸にした勉強をし始めたそうです。いやー、すごい。10月には、空手と語学学習を絡めた講演を、大学で行なうとか。ぜひ見に行きたいものです。

その後会長を中心にした飲み会で、3時ごろまであれこれ話していたのですが、語学と武道の共通点を何度も指摘されていらっしゃったのが印象的でした。

翌朝は型の審査と記念撮影。会長のご厚意で部外者である妻と子供たちも一緒に写真に納まりました。

その後海岸に移り、海に向かって正拳突きをしたあと、そのまま組み手稽古。これは半分遊びみたいなもので、お互い相手を転ばせて砂だらけにするのが目的なのは公然の秘密です。実は昔、柔道をちょっとやっていたので、足をかけて2人ほど「餌食」にすることが出来ました。

解散した後、近くで泳いでいた妻と子供たちを呼んで、車で帰宅しました。今日は息子の誕生日。一応これが私からのプレゼントのつもりだったのですが、どうやら一番楽しかったのは海岸での「貝拾い」だったようです。・・・ま、こんなもんでしょうね。
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2008年 8月 8日(金) フレッヒ
ドイツ人の不思議
   


 ドイツ人の相方が居て、ドイツにも留学・就職して
長く生活した経験があり、そして現在は通訳者として
生計を立てていても、
やっぱり私は日本人であり、なんじゃ、ドイツ人
と思う事が未だに多いです。

 相方とは10年一緒に日本で生活しているので
相方について不思議に思ったり驚かされたりする事は
もう少なくなっています。
けれど、甥っ子とは言え、ドイツ人の16歳の若者が
一つ屋根の下で暮らしているんですから、
今回改めていろんな不思議が生まれました。

 その1:下着が洗濯物に回ってこない
 
 *下のパンツですね、これが洗っている形跡もないのです。
Tシャツとかズボンはたくさん私に渡すなり
洗濯機に入っていて一緒に洗っているのに
下着、履いてないのかな〜・・・。
これは、ドイツ人女性をを真夏に
実家で長く預かった時も出た同じ疑問。一人だけじゃなく
みんなそうだったのです。そして今回甥っ子も。
夏は下着を履かないのか?? 
ちなみにうちの相方は履きます。

 その2:寝る前にシャワーを浴びない。
     シャワーは出かける前か、汗をかいた直後。
 
 *ヨーロッパは日本以上に本当に水を大切にします。
また音に敏感なドイツ人は、夜21時以降に水の音でさえも
出す事を遠慮します。(特に集合住宅やマンションの場合)
日曜日に洗濯機や掃除機を使う事も
非常識と考える人も多いです。

 しか〜し、こんなに暑い日が続いている日本。
汗をかいたまま、汚れがついたままの体・頭で寝られちゃったら
お布団が汚れるじゃないの〜!

 と主婦としては思うわけです。
なので、毎日とまでは行かないですが、しょっちゅう布団を
干してシーツを洗って・・・と、
最近は主婦業に忙しい日々を送っています。
相方がお風呂好きで良かったぁ。

 
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2008年 8月 7日(木) みなみ
自分に合わない仕事をするということ
 私は小さいころから、特に夢がなく、なんとなく引かれたレールに不満を持つことなく、進んできた気がする。小学校の卒業文集のテーマが「将来の夢」だったのだが、なりたいものが何も浮かばなくて、本当に苦労したのを覚えている。このときはとりあえず、「学校の先生」と書いたが、「ならないだろーなー」と子供心に思っていた。一応、英語教師の資格は取ったけれど。
 まあ、こうやって生きてこれたということは、ある意味で平穏な人生だったということで、ありがたく思っている。
 しかしこんな私でも、いやでたまらない仕事をしていたことがある。私はあるメーカーで10年間、広報の仕事に従事していた。その間に、社内ビデオの制作という仕事を2年ほど担当した。
 撮影する機材はプロ仕様(テレビ局のカメラマンが肩に担いでいるタイプ)で、しかも古いタイプだったため(数百万円するので、一企業がそうそう買い換えられない)、取材に行く先々で「かわいそう」「大変だねえ」と同情され、自分でも「なんてかわいそうな私」と思っていた。編集機材の操作も、機械音痴の私はなかなか覚えられず、それぞれの端末に絵入りのマークを入れて、間違えずに接続できるようにするなど、私なりに必死だった。また、編集は独りで編集スタジオにこもる必要があり、孤独な作業だった。
 今、思うと、なんであんなに思いつめていたのだろうという気がしてくるが、日に日にやつれていくほど、いやで仕方がなかった。
 そして数カ月後に、部長との面談で、「これ以上続けられない。もうビデオからは外してほしい」と訴えた。すると、「大変なのは分かっている。でも、今やめたら、中途半端なままで後悔するはず。ビデオの仕事が一人前にできるようになってからでも遅くないのではないか。あと半年(1年だったかな?)、我慢してみてはどうか。一人前になったら、必ず交代するから。ビデオ編集のスキルを持っていれば、部内でいざ必要になった時に、そのスキルを発揮できるから」と励まされた。
 そう言われて、なんだか妙にすっきりとしたことを覚えている。「確かに、今の私ではビデオの仕事をしたとは言えない」とようやく自覚できた私は、自分なりに仕事をこなしていった(文句は相変わらず、言っていたけれど)。こんな私を支えてくれた周囲の人々に、今思うと、感謝の気持ちでいっぱいである。
 そして今、ビデオ撮影する時に「ここは右からパンして、5秒静止」とか考えられるのも、たまに入る、映像用のスーパーの翻訳に、作業段取りを考慮しながら取り組めるのも、このビデオ編集の経験があるからこそ。
 でも一番いい収穫だったと思うのは、自分に合わない仕事がどれだけつらいか、そして、自分に向いた仕事をやれることがどれだけありがたいことかを実感できたことだと思う。
 今、自分に合わない仕事をせざるをえなかったり、何をしたらいいか、悶々としている人に、「私のように我慢してはどうか」などど言うつもりはない。ただ、僭越ながら言えることは、「今、やっていることだって、決して無駄にはならない。そこからきっと、自分がしたいことが見つかるし、今の経験を生かせる時が来るはずだから」ということである。
 
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2008年 8月 6日(水) ぺこたん
東北の夏の夜を彩る二大祭
先日、東北方面へ行って参りました。
今回の目的は、青森ねぶた&秋田竿灯。ここ数年、毎年のように訪れている、大好きな夏祭です。

朝5時半起床。そうして最寄りJR駅から7時30分発のバスに乗り、いざ東北道へ。
途中、昼食&何度かのトイレ休憩(&アイスクリーム・タイム!)を挟んだ後、夕方5時頃に青森市入り。

青森ねぶた祭りは、木の枠組みに紙絵を張った、色とりどりの武者人形。約22台のねぶたと、浴衣に花がさ姿で、鈴をつけた踊り手(跳人・ハネト)が、“ラッセーラ、ラッセーラ”と跳んで回って踊る、華やかな夏の祭典です。

さて、まずは毎年陣取っている、お気に入りの“四つ角”へ直行し、持参の折り畳み式椅子で場所を確保。それから屋台で焼きそば&焼き鳥&アメリカン・ドッグ&クレープ&お茶で、早めの夕食。
そうしてワクワクしながら待っていると、7時ちょうどに、花火の華やかな音が鳴り、祭の開始です!

ここで豆知識:
祭の起源ですが、享保年間の頃に、灯篭を持ち歩きながら踊った記録が残っているそうです。これが明治時代に人形をかたどった灯篭が主流となり、戦後に大型化し、現在の形に至っているのだとか。
農作業の妨げとなる“眠気”を送り出す習俗“眠り流し”の、“眠り”“眠たい”の方言“ねぶたい”が、後に“ねぶた”になったのだと言われています。
制作日数は約3か月。約300人の“ねぶた師”が、前年の祭の翌日から、翌年の構想を練り始め、年末頃にはそれが具体化されるのだそうです。
高さは台車を含め、約4トン、幅9、奥行7、高さ5メートル迄の制限あり。新聞紙片面大の和紙約2500枚使用、総費用約2000万円。例年約300万人が観戦。6日間の祭終了後、ねぶたの殆どは解体されるのだそうです。もったいない!

9時頃まで、その迫力&鮮やかなる色彩を堪能した後に、再びバスに乗り、宿泊先の安比高原を目指します。
暗い山道を登りつつ、目的地に到着したのは、ちょうど日付が変わる頃。
本日の走行距離、約900キロなり!
ホテル・チェックイン後、おにぎり&お茶の夜食をとり、シャワーを浴びた後、2時に就寝。


↑ ねぶた。今年は大雨の為に、ビニール・カヴァー付き。

翌日は、朝7時起床。ホテルで朝食をとった後、近くを散策。
前森山の麓のこの安比高原、近くには岩手山がそびえ立ち、テニスコート、放牧場、小動物小屋、バーベキュー広場、花壇、アスレチック・フィールドなどがあり、1日ボーッと出来たら素敵だろうな…と思うような、自然に恵まれた、とても美しくゆったりした空間です。

↑ 緑に覆われた、緩やかな丘が魅力の安比高原。
冬にはスキー客で賑わう地ですが、この時期の宿泊客は、殆どが東北夏祭観戦客(笑)。

その後、ホテルを11時頃にチェックアウト。
まずは、田沢湖へ向かいます。そうしてしばし湖畔を散策した後、稲庭うどんの昼食(&アイスクリーム・タイム!)。

その後、みちのくの小都市“角館”へ。
城下町風情溢れる武家屋敷を見学。此処には夏祭見学の度に訪れているのですが、次回は雪降り積もる頃に、また足を運びたい場所です。
そうして夕方5時過ぎに、秋田市入り。

秋田竿灯は、五穀豊穣を祈る夏祭。今年は過去最大の約255本もの竿灯の共演です。

さて昨日同様、折り畳み式椅子で、竿燈大通り沿いに場所を確保した後、屋台のフライド・チキン&ポテト&おにぎり&お茶で夕食。
6時半頃から交通規制、7時に竿灯の入場、それぞれが定位置につきます。そうして合図と共に、竿灯が一斉に立つのですが、この瞬間がもうたまらない!
“稲穂”が夜空に揺らめく、とても幻想的な絵と、差し手が平手・額・肩・腰でバランスを取りながら、竿を支える妙技は圧巻。支え切れずに、観客側に倒れてくる瞬間もまた、この祭ならでは大迫力。観ている側との距離感は、何度体験しても、本当に掘り肌が立つほどに興奮します。

ここで再び豆知識です:
祭の起源ですが、藩政以前に、笹竹などに願い事を書いた単冊を飾り、町中を歩き、最後には川に流す、“ねぶり流し”が原型なのだそうです。
それが宝暦年間に、長い竿を十文字にしたものに灯火をつけ、太鼓を打ちながら歩く現在の形へと変わっていったのだと言います。
竿は、大若・中若・小若・幼若とあり、最大で長さ12メートル、重さ50キロ、灯の大きさ64X45センチ、数46個。例年約130万人が観戦。竿燈大通りをいく、4日間の祭典です。


↑ とても幻想的な竿灯。

雨粒が大きくなった為に、祭は予定よりも早く、8時半頃には終了。
1時間後に再びバスに乗り、何度かのトイレ休憩(&アイスクリーム・タイム!)&仮眠を取ります。

そうして空色が徐々に変わりゆくそのさまを、飽きることなく眺めつつ、明け方5時半に最寄り駅へ到着。朝焼け空の中、無事帰宅です。

↑ 今回の土産。ねぶたの鈴&竿灯の鈴&角館の草履!
その他

2008年 8月 5日(火) さるるん@ロシア
日本の花火
8月1日から5日まで函館港まつり開催中。
1日には、函館港の花火大会に行ってきました。
一万発の花火が打ち上げられました。

夜空に色とりどりの花火が舞う。その繊細さ。
大玉のドーンとお腹に響く音と静寂のバランス。
日本の花火、やはり美しいです。
ひとつひとつが職人さんの作品なんですよね。
実に風情があります。日本の心を感じます。

ロシアのただ派手に打ち上げる花火とは全然違う。
もっともクレムリンの花火は近くから見たことがなく、
いつもアパート最上階の窓からなので、
公平さを欠いているかもしれませんが。
ともあれ、ロシア人、花火が大好きです。
モスクワでは普通の人が公園で打ち上げ花火をします。
(ちょっとした花火大会のようです)
夜中のとんでもない時間にバンバン音が続くこともしばしば。
特に大晦日の夕方から元旦にかけては
一晩中あちこちで花火が上がり、眠れないほど。
花火好きと言うより火薬好きなのかもしれません。
男の子は爆竹とか自分で作ったりしてるし。

ロシアの花火を見るたびに、
(米国で暮らしていた頃は米国の花火を見るたびに)
「花火ってこうじゃないんだよな」と思っていたので、
故郷の花火を見て「これ、これ、これなのよ〜」とうれしかった。
日本の花火には日本の文化、美意識が凝縮されています。

でも、この花火の日本らしさをうまく言葉で表現して伝えることは
私にはできそうもありません。
私は、好きなものや大切にしたいものはきっちり言語化せず
イメージのまま抱えていることが多いからかもしれません。
(言語を扱う仕事をしているというのに!)
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2008年 8月 4日(月) いぬ
価値観 この厄介なもの
結局のところ、誰もが自分の考えが正しいと思っている。もちろん中には謙虚極まりない方もいるだろうが、自分の方針を打ち立てねばならない必要性に迫られた場合、自分なりに「これが正しい」という考えを持たざるを得ない。

問題は、その考えに「いや、それは違うと思う」という反対意見が出てきたときにどうするかということだろう。肝心なのは、どれだけ自分の意見を相対化できるかだ。自分では絶対的と思っていた価値観が、数ある考え方の一つでしかないとなった時、さてどうするか。

理想的には、新たに出てきた意見と自分の意見をすり合わせて、取るべきところは取り、捨てるべきところは捨て、結果的に自分の考えをより良いものにしたいところだ。

しかし実際はどうか。自分自身でも指摘された問題点を感じながらも、自説がいかに正しいか、相手の主張がいかに根拠にかけるかという論陣を張ってしまったりする。水掛け論から泥仕合に終始して、肩で息しながら自分の言動を後悔しても、もう遅い。

様々な本も読んでみたし、経験者の話も聞いてみた。しかし、どれもこれも自分が関わっているケースには上手く当てはまらなかったり、実行してみても効果がなかったり。そういうものだとは頭では分かっているものの、どう対処したら良いのか頭が痛い。

一つのことに対して複数の人間が判断を下す以上、価値観の衝突は避けがたいのだから、なるべく有意義な結論を導き出したいものなのだが、よくよく考えてみると、枝葉末節まで考え尽くして出た結論ゆえに、途中から幹を見失っていたということもありうる。

最大公約数的なもの、別の言い方をすると最低限これだけはというものを決めて対処するしかないのだろうか、というのが今日のところの結論だ。

まあ、大上段に振りかぶってみてはいるものの、要は何が言いたいかというと、子育ての悩みなのだが。
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2008年 8月 1日(金) フレッヒ
甥っ子初来日!
  今、ドイツ人相方のお兄さんの長男16歳、
私からすると甥っ子に当たる訳ですが、
単身初来日中です。

 乗り継ぎ便を難なくこなし、無事日本に到着しましたが
5日を過ぎても時差ぼけが続いています。

 やはり、生まれて初めてヨーロッパ大陸を出た彼には
日本の暑さと時差は、かなりキツイ模様。

 着いて翌日には、実家の祇園祭に掘り込み、
約5時間に渡って、私の幼馴染や近所の人に
混じり、山車を引かせると言う荒業。
ごめんよ、甥っ子。

 

 

 
 
 
 来日3日目には、我が家の近所にある
世界一の直立大仏、牛久大仏にご案内。
(約120メートルで、何と内部にエレベーターで
入れます)

 歴史も何もあったもんじゃないけど、
(約30年前に10年かけて墓地を売り出すための象徴として
建てられた)
この大きさと迫力、そして内部にまで(高さ約80メートルの大仏様の胸の所まで)入れると言うのは、ギャグに近いものもあり、
とにかくお客様を案内すると受けます。

 日本の観光地のお約束、
写真にある様に、「顔だけ本人」に収めました。

 
 

 

 最近のヨーロッパからの観光客は
私のお客様も含めて、日本の物価安に驚き
感激して買い物天国!さながらの買いっぷりです。

 彼も日本のセンスと品質の良さ&お買い得感に
感激しっぱなし。

 日光どころの騒ぎじゃありません・・・。悲
今朝は一人渋谷&原宿散策に出かけました。
スイカカードにも感激。昨日私と秋葉原&上野アメ横散策を
しているので、まあ、一人でも問題ないでしょう。
銀座線を使うと、外国人が見たい&買いたい要所の
殆どを見れてしまうので、(浅草〜銀座〜表参道〜渋谷など)
銀座線を使う事を彼にもお勧め。

 もうしばらく甥っ子のアテンド生活が続きます^^



 

 
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2008年 7月31日(木) みなみ
週末のお出かけ
 ただいま(7月30日NZ時間22:00)、外は大嵐。大雨と大風が吹き荒れています。このところ天気は大荒れで、オークランドは冬真っ只中。停電が心配な今日このごろです。
 でも2、3週間前まではかなり天気がよく、快適でした。2週間ほど前の週末の午後、あんまりお天気が良くて、ぽかぽかしていたので、思い立って、家族で近所(車で15分ほど)の公園、Ambury Regional Parkに行ってきました。娘が幼稚園のときに遠足で来た以来なので、5年ぶりです。
 ここには牧場があって、無料であれこれ動物たちと親しむことができます。朝10時に行くと、乳しぼりのパフォーマンスを見ることもできます。
 私たちが行ったのは午後3時ごろでしたが、いいお天気に誘われて、何組かの家族連れが来ていました。お金がかからずに、気楽に緑に親しむ機会が多いのがニュージーランドのいいところです。

 

ここはプケコ牧場か、というほど、プケコがうじゃうじゃ。池や沼などのじめじめしたところでよく見かける鳥です。



プケコのアップはこんな感じ。



フレンドリーなお馬さん。ごあいさつに来てくれたので、なでなで。



七面鳥。顔に似ず、かわいらしいピーピー声で、私のカバンをつっついていました。



にっこりほほ笑んでくれたヤギさん。



ファームのヒツジは通常、人間を見ると逃げ出すのですが、ここのヒツジは非常にフレンドリーで、なんとこちらに近寄ってきて、触らせてくれました。予想よりごわごわとした感触で、いかにも暖かそうでした。さすがウール。

 人懐こい動物たちと文字通りふれあい、穏やかな日差しの中で(ちょっとシャワーは降ったけれど)戸外の空気を満喫して、思った以上にリフレッシュとなった時間でした。
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2008年 7月30日(水) ぺこたん
ブレーメンの音楽隊と過ごした地獄の夏合宿
四季折々の風景を目にしたり、その温度や匂いを身体で感じるたび、必ず思い出す過去のひとこまがあります。

たとえば厳冬。白い息を吐きながら、白銀の世界へと足を踏み入れた途端、瞬く間に引き戻されるのは、カナダでの幼年期。ロッキー山脈の麓の小さな町で過ごした、キラキラとした日々。
そうして真夏。この蒸し暑い季節が巡って来るたび、真っ先に蘇って来るのは、大学4年時、同時通訳クラスの夏合宿……。

新学期開始当初、その同時通訳クラスを受講していたのは、テストに合格した計8人。そう、(私の記憶が確かならば…)映画を観た後に、その内容に関する質問に答えたり、簡単な英日&日英通訳を行ない、それをテープに吹き込み、提出する試験。その後に、現役同時通訳者でもある、同クラスの先生による、英語を交えての面接。その年は、8人に1人という合格率だったと、後日聞きました。偉いこっちゃ。
従って、“同じ学費を払い、授業を受ける権利は同等にあるはずなのに、どうして受けたいクラスが受けられないのか?”“なぜ帰国子女に有利なことをするのか?”等といった意見が、学生側から続出。
“今後伸びそうな、将来性のあるような、自分の後継者になるような、そんな学生だけを集めて指導に当たりたい”…との見解の元、行なっていたテストのようでしたが、大学側からの指導もあり、翌年からは結局、(私の記憶が確かならば…)最低15人は受講できるようにしたようです。余談。

何はともあれ、このクラス恒例となっていたのが、地獄の夏合宿。
その厳しさは、合宿開始前、“これを全部聞いて、ちゃんと予習しておくように!”…と、箱2つに丁寧に詰め込まれたカセット・テープを、事前に計20数本渡されたところから、いきなり始まっていました。
録音されていたその内容は、テレビ等で実際に行なわれた同時通訳、著名人によるスピーチ、ひたすら数字羅列のテープなどなど。日英&英日、半々ほど。
つまり、要約すると、“眩暈のするような内容の録音テープ山盛り”なり。

そうして、その“現場”となったのは…
長野県内の某湖畔近く、小高い丘の上にある小農場。そこにぽつりと建つ、こぢんまりとしたロッジ。すぐそばの木々の下では、羊や山羊や馬やうさぎやニワトリ達が、のんびり草花をムシャムシャ。放し飼いの彼等は、「ブレーメンの音楽隊」よろしく、“なにやってんのぉぉぉ〜?”と、中で唸っている私達の様子を覗き込んでは、何やらヒソヒソ会議を開いてばかり。

し…しかし……
覗かれた私達は、泥棒でもなく、酒盛しながら金貨を分けていたわけでもなく、その中に引きこもり、来る日も来る日も、ひたすら同時通訳の訓練を受けていたのでした。

そう、約6日間、食事と風呂とトイレと睡眠時間以外は、ヘッドフォンをつけながら、ひたすら通訳・通訳・通訳の日々。
その食事中も、“あなたのあの時のあの訳し方だけどさぁ〜”などと、獄中の監視員…もとい…合宿の先生に、あれやこれや言われながらだった為に、心休まる瞬間など無いも同然。
そうして言うまでもなく、外でウロウロしている音楽隊と、戯れる時間も一切なし。

おまけに、当初8人いた受講生も、脱落やら海外留学やらで、結局この夏合宿に参加したのは、僅か5人。
と言うことで、先生に指されたと思ったその直後に、また指される…という、とんでもない状況。再び順番が回って来るまでに、ちょっとひと息入れる…などと悠長なことをやっている間もなし、緊張しっ放し。
おまけに、自信のない箇所=指されたくないと思う時ほど、見事に指されるという始末。たぶんそういう時は、目が怪しげに泳いでいるか、泣き顔になっているか…の為、ベテラン先生はきっと、簡単に見抜いてしまうのでしょう。でも、そういう人を敢えて指すというのも、ちょっとひどいよなぁ……なーんて話は、今更さて置き…。

その通訳をするたびに、“コメント”が返ってくるのですが、これがまぁいつも、もう開き直り、笑って遣り過ごさないと(あくまでも心の中で…ですが)、どうかなってしまいそうな、そんな辛辣極まりないものばかり。
でも、でも、それ以上に辛かったのは、その辛辣なコメントすら頂けずに、“はい、次の人っ”…と、完全に無視される時。あれは痛かったなぁ〜。

そんな日々の中、唯一息抜き出来たのは、中日に行なった湖畔サイクリング。それも、アシスタントの先生と共に。まるでこちらが脱獄しないよう、監視する役回り(苦笑)。まぁとにかく、要するに“手厳しい先生相手に、君達も大変だろうけれど、まぁひとつ後半戦も、頑張りたまえ”…と言うことだったのだと思います。
そうして最終日には、無事終了の“ご褒美”として、希望者のみ、乗馬もやらせて貰えました(私はもちろん、やりましたよ!)。

卒業後、先生の助手&受講生達の指導という名目で、先生に呼び出され、この夏合宿にお邪魔したことが、2度ほどあるのですが、その時に結局やったことと言えば、現在の自分の仕事の内容&経験談を、ちょっとだけ話した程度。あとは受講生が真剣なまなざしで、特訓を受けているすぐ外で、音楽隊と芝生の上に横になりながら、信州の澄み切った青空をボーッと眺めたり、乗馬に興じてばかりいました。同じ場所でも、当時は“監獄”に感じられたのが、その時はまるで別世界に思われたのですから、おかしなものです。

その後、合宿場を都内に程近い某所へと移し、規模を縮小しながらも継続中…と聞きましたが、現在はどうなっているのでしょう。

数年前、久しぶりに“現場”近くへ立ち寄ったついでに、当時の場所を辿ろうとしたのですが、結局分からず仕舞いでした。

あれから20数年が過ぎたいま、私の心の中に鮮明に残っているのは、あの澄み切った青空と、それから可愛いロッジと愛らしい音楽隊の動物達だけ。大変だった地獄の特訓自体の記憶は、年月の流れと共に、朧げになってきています。

それでも、心底ありがたく思っているのは、あの夏合宿を経験したことで、とても大切なものを、ひとつ得られたこと。
それは……

“どんなことがあっても動じない心”

そう、あの緊張感溢れる、恐怖に満ちた、スリリングな日々に耐え抜いた結果、心臓に毛がボサボサ生えました。

会議通訳者や、ブースに入る同時通訳者にはならず、英語をコミュニケーション・ツールのひとつとして使いながら、音楽家の宣伝活動に従事するようになった私ですが、現在どんなアーティストと接し、どんな状況下に置かれようと、よほどのことがない限り、緊張せず慌てずあがらず、楽しく仕事が出来ています。
それは、あの蒸し暑い真夏の数日間で得た、最大の収穫であり、通訳者・言葉を繰る者としてのスキル云々以上に、私にとっては、かけがえのない財産となっています。
その他

2008年 7月29日(火) さるるん@ロシア
北海道だな〜
この数日、函館は涼しいというより、肌寒い。
昨日は一日中冷たい雨が降り、長袖で過ごしたほど。暑い日はそれなりに暑いけれど30度を超えることはない。快適。ぺこたんさんがブログで「夏に強いとか冬に強いとか、体温調節とか汗腺とか汗穴の数とか、そういうことは、身体が形成される年代に、どういう地でどういう過ごし方をしたかに、左右されるのでしょうか?」と書かれていたけれど、能動汗腺(実際に汗をかいて体温調節の働きをする汗腺)の数は幼年期に過ごしたところの気候で決まるとか。私の体は函館仕様。東京で夏を過ごすには、能動汗腺が足りません!(でも、みなみさんの情報によると大人になってからも体温調節能力は変わり得るのですね)

この夏は6週間函館で過ごすのだけれど、思えば、こんなに長く実家で過ごすのは社会人になってから初めてのこと。函館そして北海道を再発見するような気分である。

先週、娘と札幌に行ってきた。モスクワから引越した娘のお友達(双子の男の子!)に再会するために。丸二日、三人は目いっぱい走り回って遊び、母たちはバテバテになった。その分、最後に大通り公園のビアガーデンで飲んだビールがおいしかったけど。


札幌には何度か行ったことがあったが、旧道庁の赤れんがの中に入ったのは今回が初めてだった。その売店「赤れんがストア」の商品にビックリ。

まず、「北方領土グッズ」。文房具(メモ帳、消しゴム、鉛筆)、タオル、バッグ、Tシャツ、時計などが揃っている。この品揃え、北海道ならではと思い、夫(ロシア人)へのお土産に北方領土時計を買いました。使ってくれるかな?


それから、「開拓者精神の発信グッズ」。
まず、“Boys, be ambitious!”のクラーク博士。これは昔から札幌のシンボルのようなものだったからわかる。でも、新渡戸稲造の『武士道』グッズに「???」 新渡戸が札幌農学校出身だからだそうで。北方領土グッズに、『武士道』グッズが並ぶ棚。刺激的でした。

北方領土の展示コーナーも充実。そこにやってきた韓国人団体客。ガイドの男性が熱心に説明していたけれど、竹島問題があるだけに、どのように説明しているのか気になった。

ともあれ、ああ北海道だな〜と感じる場所だった。

函館に帰る電車の中、携帯に仕事の打診の電話。グッドタイミング。たっぷり遊んだ後は、しっかり働きます、はい。
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2008年 7月28日(月) いぬ
挫折していたエンジン換装に再着手
メジャーなところではムスタングでもいいし、最終型のスピットファイアでもいい。マニアックなところでは、シーフューリーでもいい。1940年代後半、第二次世界大戦の終盤から終了直後あたりに登場した、極限まで発達したプロペラ戦闘機を思い浮かべてもらいたい。ああいった戦闘機は、例えばイギリスのミーティアなどの黎明期のジェット戦闘機と、実力的に拮抗していたそうだ。

英語を使って勝負している自分のことを、たまにこういうプロペラ戦闘機に例えてみることがある。技術の積み重ねもあるし、実戦経験も積んだ。そうそう撃墜されない自信もあるし、逆襲することだって状況によっては可能かもしれない。そう思う。

しかしやはり、旧式なのだ。基本的には大学受験までの英語力をベースにしているわけで、英語の処理速度の限界値も、大学時代と根本的な違いはないのではないかと思ってしまう。もちろん数字的には伸びているけど、マイナーチェンジ。

時代はジェット戦闘機なのだ。今まで培ってきたものを使って、圧倒的なインプットをして、そこから今までとは一線を画した実力をつけねばならない、と思う。

次から次へと敵機(仕事)が現れる中、新型機の開発よりも現行機の改良で何とか今まで乗り切ってきたが、やはりジリ貧の感は否めない。思い切って英語をオーバーホールし、新しい理論にのっとって、一からエンジンを組み上げてみようと思う。それが今年の目標だ。

今まで壁と感じていたものを、全て打破する。シャドウイングも、リスニングも、精読力も、速読力も、語彙も、そして総合力としての通訳・翻訳力も。もうこれ以上自分の乗機の力不足を感じながら戦いたくない。


・・・などと書いたのが、恥ずかしながら3年以上前です。結果的にこの時もくろんでいたエンジン換装には挫折しました。口に糊するための仕事に追われて、というのがその言いわけです。

それで、今はどうか。コックピットの風防の前方では、相変わらずプロペラがうなりをあげています。ミサイルも積んでみてはいるのですが、いまだ主な武装は機関砲。苦戦は相変わらずです。被撃墜も、3度ほど経験しました。その都度脱出して再出撃してはいますが・・・。しかし、それだけではありません。エンジン換装を目指した材料の研究から実際のエンジンの試作も平行して始まりました。

6月の頭ぐらいに、何ともしがたい閉塞感と言いますか、力不足を感じて以来、ずっとおざなりにしてきた基礎力強化のトレーニングをコツコツやり始めました。そこに先週、「痛くない注射針」の開発で有名な岡野工業株式会社の岡野雅行さんのご著書「人生は勉強より『世渡り力』だ!」を数時間で一気読みしまして、今までの自分の姿勢が「職人」としていかにふがいないものだったかをあらためて痛感しました。なんとしても今度こそは換装をするところまで行ってやろうと思っています。

岡野さんの言葉で、「なるほど」と思ったものを抜書きして、今回のブログを終わりたいと思います。

「しゃべるときは、10のものを100にも1000にも膨らませられなきゃダメだね。目の前にモノがあってさ、その説明をするんなら、10を10でもいいんだよ。相手は見りゃ分かるんだから。だけど、言葉は聞くそばから消えちゃうんだよ。10を額面通りに言ったんじゃ、1か2しか残っちゃいないよ」(pp. 76-77)

「自分の仕事は安売りしちゃダメなんだ。そのためには、人に出来ないことをやらなきゃな。誰でもできることなんてのは、相手の言い値でやるしかなくなるんだよ」(p.82)

「変わり者って言われるような人間じゃなきゃダメなんだ。変わってるから、人と違う発想が出来るんだし、人と違うものが作れるんだよ。優等生と言われて喜んでるようじゃ、先が知れてる。当たり前のことを、当たり前にしか出来ねえってのが優等生だもん」(p.89)

「人のために何かをしてあげたことがあるかい?(中略)なにも大袈裟なことをしろってわけじゃないんだ。(中略)自分が食った蕎麦が旨いなと思ったら、それを誰かに奢るだけだっていい。俺が旨いと思ったものを、あいつにも食わせてやりたいって気持ちが大事なんだよ」(p.93)

「人と出会うってことは何か意味があるんだよな。意味なく終わらせちまうのは、感性の問題だって気がする。感性を鈍らせちゃいけないよ」(p.121)

「一流のものはマネしようったってできないんだよ。逆にいえば、簡単にマネできてしまうものは一流じゃないってことなんだ」(p.138)

「三十数年前、難しくて誰もやりたがらなかった『ステンレスのライターケース』に挑戦、何度も失敗を繰り返した末に成功させた。当時は日本全体が好景気で、誰も難しいことに手を出さなかったのだ。その結果、ステンレスの電池ケースを深絞りでつくれる職人ということで依頼された。『人のやらないことをやる』というモットーが、ここでも生きている」(p.177)

「俺から仕事をとったら何も残んねぇよ。それは俺が一番よく分かってるんだ。仕事をやらなきゃ、俺には何の価値もないんだよ」(p.186)

「頑張ったら、それを評価してもらうために何だってするべきなんだ。(中略)誰かが認めてくれるまで待ってようじゃなくて、認めさせるために、人脈でも、コネでも、自分が持っている芸でも、何でも使えばいい。何でも使って自分をアピールするんだよ。」(p.194)

他にもいろいろな言葉があるのですが、キリがないので、このぐらいにしておきます。さて、今日の分のR&Dに取り掛かるとしますか。
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2008年 7月25日(金) フレッヒ
ドイツと靴
  私事ですが、昨晩深夜の教育テレビで
主人の仕事振りが紹介されました。

 主人は、日本語に訳すと、「整形外科靴マイスター」
と言う職業に従事しています。ドイツは日本とかなり異なる
教育制度なので、15歳の時から、靴や経営、整形外科に関わる
あらゆる事を実地を含めて学び、もうかれこれ25年以上
主人は靴に携わっています。

 靴職人や靴のデザイナーさん方は、世界中に多数居れど、
整形外科の知識に特化した靴職人は、ドイツを始め、
オーストリア、オランダ、スイスなどドイツ語圏に集中しています。

 主人に聞いた所、第一次世界大戦直後辺りから、
負傷兵のために、義肢装具士が作る義足だけでなく
普段の生活で履ける様なリハビリ靴の必要性、
また中敷に寄る歩行改善などが急務であると
注目され、医師と提携して、職業として確立したようです。

 写真は完全オーダー靴の製作模様ですが、
この様にデザインシューズもお客様の足に合わせ、
フットプリント(足の形状プリント)を取り、
木型を起して一つ一つ手作業で仕上げていく
と言う仕事もします。

 日本で多いのは、やはり外反母趾やリウマチなどで
足が変形されているのお客様の靴や
中敷の調整やフルオーダー。
スポーツ選手の専用中敷の注文も多いです。
また小児麻痺などで歩行が不自由なお客様の靴も、お作りしています。

 もちろんデザインが素敵で、足元がウキウキする様な靴も
私は好きです。でも、主人と知り合ってからは、そう言った靴も
本当に必要な時にしか履かなくなりました。
そして、自分専用の中敷無しには、いられないほどに。
(私の中敷が若干の左右脚調差を調整し、
 またO脚調整もなども入ってい るフルオーダー中敷)

 巻き爪なども、ドイツからの矯正ワイヤーなどが普及し始めていますが、根本治療は歩き方と靴。

 夏はどうしても楽なサンダルが多い季節ですから
この時期に是非自分の足をじ〜っと見つめ直してみては?笑

 でもでも、足の健康は、冗談抜きに
体全体に関わってくる問題ですから、
靴・歩き方・爪・皮膚(爪水虫など)など
全体を自分なりに、またはプロの元で
一度チェックしてみるのもいいかもしれません。
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2008年 7月24日(木) みなみ
日本の夏
 日本は暑いみたいですね。こちらは冬で、私は今、フリースを着込み、ひざ掛けを使っているので、なんだか不思議な気持ちになってきます。
 NZでは夏(12〜2月)でも温度が30度を越えることはなく、湿度も低く、快適です。このため、家や日陰にいれば、真夏でも汗をかくということもありません。
 水曜日のぺこたんさん、子供時代にどこで過ごしたかは、暑さ、寒さへの対応力に大きく影響すると、個人的経験から思います。
 3歳からNZ暮らしの娘が5歳のときに、9月に日本に帰省したときのことです。空港に迎えに来てくれた父の車で実家に向かっていたのですが、あまりの暑さに、「車から出るー」と自分でドアを開けかけて(高速道路を走行中です!)、大騒動になりました。
 9月とはいえ、むわーんと湿気が高く、初春のオークランドから出発した身には確かにこたえました。おまけに一緒に迎えに来てくれた妹が冷房嫌いなので、エアコンが控え気味、さらに、チャイルドシートに座らされていたので暑さに拍車がかかり、「切れて」しまった模様です。
 それから数日間は温度調節がうまくいかないみたいで、娘の顔は真っ赤で、まるでゆでだこのようでした。その後は、通わせてもらっていた近所の保育所の運動会の練習も元気にこなしていましたが。
 ただ、大人になってからでも体は変化するようです。以前、ほかの翻訳者さんのブログで読んだのですが、スイスに駐在している日本のビジネスマンは、日本に帰ってから汗腺が夏の暑さに対応できるように、サウナを使って汗を流すよう、会社からのお達しがあるそうです。
 私、NZに来てから、汗だくになったことって、そういえばないかもしれません。運動といえば、近所を20分ほどウォーキングをする程度で、これでは夏でもちょっと汗ばむ程度にしかなりません。それに、サウナも苦手です。もしこのまま閉じ込められたらどうしようという気持ちがこみ上げてきて、じっとしていられないのです。
 ということで、もはや私の汗腺は機能停止状態です。ただでさえ、日本の夏は苦手で、夏ばてするタイプだったので、日本に夏に帰ることは、もはや不可能かも・・・。
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2008年 7月23日(水) ぺこたん
暑い〜〜〜〜〜っ!!!
それにしても、蒸し暑いですねぇ〜。

今週1週間なにをしたか、ここで書けそうなことはあったか、振り返ってみたのですが、“とにかく極暑だった!”…ということ以外、まるで思い浮かびません……。

マイナス20度に迄なるような北国で、眼出し帽(←デストロイヤーみたいな…と言えば、ある年齢以上の人ならピンとくる“アレ”です)を被り、ツルツルに凍った道路を、元気にスケートしながら学校へ通っていたという、凍るような幼年期を過ごした、夏生まれでもない私には、この蒸し暑さは、とてもとても堪えます。

人間の体質、夏に強いとか冬に強いとか、体温調節とか汗腺とか汗穴の数とか、そういうことは、身体が形成される年代に、どういう地でどういう過ごし方をしたかに、左右されるのでしょうか? 誰か、教えて。

とにかくです…
外出時には、タオル・ハンカチは欠かせません。それも行きに1枚、帰りに1枚。飲み物も行きに最低1本、帰りに最低1本。扇子とサングラスも必需品。
よほどのこと、そういうTPOでない限り、履くのは素足にサンダル。ストッキングや靴下では、もれなく蒸れます(←と言いながら先日、気になっている秋冬物エンジニア・ブーツを試着…試足?…してきましたが。余談)。草履も愛用中(←最高に心地好い。昔の日本人は賢かったんだな…と、つくづく)。
それでも途中から、足がもつれ、頭が朦朧としてきます。

そう言えば、
経費節減なのか、地球温暖化云々の流れなのか、最近の電車内やデパート内や会社内、昔のようには冷房を利かせていませんよね。辛っ。
汗もかかず、涼しげな顔をしている人達を見かける度、日頃どんな生活を送っているのか、どんなことを心掛けているのか、インタビューしたくなります。

原稿書きも思うように捗りません。
ボーッとしている内に、日が暮れる日が暮れる…で、通常よりも作業に時間がかかり、入稿が予定よりも1日ずつほど、ズレてきています。夏フェス関連の仕事も、場所は遠いし野外が多いし…で、何だかんだ言いながら、そうとう断ってしまいました。申し訳ない。

夜もなかなか寝付けません。
毎晩冷房を、1時間タイマにセットして寝るのですが、あっという間に1時間…で、また1時間再セットする…の繰り返し。そうして明け方、気がつくと再び付いていたりします。寝ている間、知らぬ間に、無意識の内に、また運転ボタンを押してしまっている…のだと思います。たぶん。あぁ、怖っ。

あまりにも寝つきが悪いので、開き直って、iPODで音楽を聴くこともあります。
でも、大好きなHR/HM系は駄目です。余計に目が冴えてしまいます。でも、眠気を誘うような音楽は、そもそも好きではないので、iPODには入っていません。
開き直って、本を開くこともあります。
が、これまた読む物を選ばないと大変です。愛してやまない東野圭吾氏の作品は、本当に本当に駄目。先日『さまよう刃』『流星の絆』(←なんて素敵なタイトルなのでしょう!)と、立て続けに読破しましたが、彼はいけません。ひと晩中、寝かせてくれません。

そんな感じなので、朝方はボニョーッとしています。
なので電話が来ると、フニャフニャ言いながら、出るには出るのですが、先方が何を話しているのか、まるで理解できていない&自分がどう答えているか、まるで分かっていない…という場合が多く、後でパソコン・メールを開けて、“先程は仕事を快諾くださり、ありがとうございます”…などと書かれた文面を発見するたび、“はやっ? 私はあなたに何の仕事を快諾したってか??”…と慌てること多々あり。グッド・グリーフ。

そう言えば、いま思い出しましたが…
Heavy-dutyな皮ジャン&スタッズ姿でキメている、某ヘヴィ・メタル界の王御所が、“あ〜、衣装を決める時、真夏のこともちゃんと考えておけば良かったと、つくづく思うよ”…とため息つきながら、半袖Tシャツ&ジーパン姿から、御着替えしていましたっけ。でもその衣装、とても素敵なので、ひとつ我慢してください!(笑)余談。

いやぁ……
本当は1か月くらい、涼しい地へ“夏眠”しに行かれれば良いのですが、夏は特に忙しいので、そんな思い切ったことは、やっていられないのです。
あっ、そうそう、8月上旬には夏祭りの為に青森&秋田、下旬には待望の白神山地へ行く予定。それが今のところ、唯一の“猛暑脱出計画”なのであります。

ところで……
“初雪”って、毎年いつ頃でしたっけ??
その他

2008年 7月22日(火) さるるん@ロシア
身近な国
土曜日に娘と「はこだてロシアまつり」に行ってきました。




ロシア極東国立総合大学函館校が主催で、学園祭の枠を超え、
市民にロシアについてもっと知ってもらう場でもあります。

ピロシキやブリヌィ(ロシアのクレープ)を食べたり、
クワスや白樺エキス入りラムネを飲んだり、
ロシアの曲の合唱を聴いたり、人形劇を見たり、
キオスクのロシア民芸品をひやかしたり、
体験コーナーでロシアの衣装を着てみたり…。

今年は「函館におけるロシア年」だそうです。
モスクワにいると日本は遥か彼方なのに、
北海道に戻るとロシアは隣国だと感じます。
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2008年 7月21日(月) いぬ
夏休みのあるべき姿とは・・・?
小学校に入学した長男にとって、初めて迎える「夏休み」がやってきました。私が子供の頃の夏休みっていったら、そりゃあもう指折り数えて楽しみにしていたものですが、息子のリアクションは「学校行かなくて良いんだ。はー、良かった」という、なんと言うか、極めてうすーいもので、父としてはちょっと肩透かしを食ったような気分です。

まあ、最初の夏休みですからね。そのありがたみを実感するところまでは行っていないのでしょう。事情が飲み込めて、夏休みを楽しみにするのは2年生からなのかもしれません。

で、昨日から始まった夏休み、とりあえず午前中は水泳教室行って、午後に目医者さんに行って、夕方の空手の稽古はお休みにして、ブラジルに行ってしまう幼稚園の元同級生のさよならパーティーを夜遅くまでやって、今日はまたもや水泳教室。その後お昼寝して図書館に行って本を返してかりて、一家でカラオケに行ってついでに夕食を食べて帰館。

こう書くとaction packのようですが、我が家的には結構ゆるーく時間が過ぎています。

印象的だったことは、というか腹が立ったことなんですが、水泳教室に来ている保護者のマナーの悪さ!子供たちが準備運動している時はともかく、係りのお姉さんからの連絡の時まで、まあ大声でおしゃべりするわ、携帯ではなすわ・・・。子供に何かを習わせるというのは、目的である技能だけではなくて、社会性とか礼儀とか、そういった総合的な意味合いがあると思うんですけれど、「金は払ったから後は任せた」的な態度は、実際はそうは思っていないにしても、そばにいて愉快ではありませんでした。

息子が空手を習っているときに、いつも他のお子さんの保護者の方々と一緒に見学をしているのですが、一部にやはりそういう方がいて、イヤだなあと思っていました。だから今回も、ついつい点が辛くなってしまったのかもしれませんね。

しかし、学校の授業参観に行ったときにも私語が多かったなあ。「学ぶ」ということに対して、もう少し襟を正して臨む姿勢があっても良いのではないかなと思うんですよね。社会全体として。

特に子供の見ている前では、タテマエでも表面的なものでも良いから、そう振舞っていくべきなのではないかなと思えて仕方ないんです。本音を見抜かれても、「タテマエとしてこう振舞うべきなんだ」という姿を、体を張って見せていかなくてはいけないように、個人的には思っているんですよ。

もちろん私自身、偉そうなことを言えるようなマナーの持ち主ではないのですけれども。

印象的だったこと、その2。スーパーボール掬いに見る、兄と妹の性格。

水泳教室が終わったあと、思うところあって、息子に日記帳を買ってあげたんです。もちろんたいそうなものではなくて、ポケモンのノートに毛が生えたようなものなのですが、「毎日書いてから寝るんだよ。疲れても書くんだぞ。約束だぞ」と指きりしておきました。で、帰ろうとエスカレーターに乗ろうとすると、その脇にスーパーボール掬いのプールが。普段だとこういう商売っ気に対し、頑として「乗らん!」とはねつけてしまうのですが、まあ2人とも夏休みだし、とあっさり財布の紐を緩めてしまいました。

兄のNの場合。大きな亀の形をしたものに狙いを定める。それをゲットした後は、どれを取ろうかなーと紙を水につけたまま考えて、あっさり紙を破ってお仕舞い。「おまけで、あと2個、手で取って良いよ」と言われて、どれにするか、ものすごく悩んでいました。

妹のKの場合。いきなり豪快にスーパーボールを5〜6個掬い上げ、大満足。2度目も同じく大胆に切り込むも、紙が破れてお仕舞い。でも、取れたスーパーボールでどう遊ぶかをいろいろ話していました。

印象に残ったこと、その3。家族カラオケ。

息子と娘は以前に一度連れて行ったのですが、今回も大はしゃぎでした。娘は本当に歌が好きですね。フリまで入れてノリノリでした。息子も好きな歌は堂々と歌っていましたし、私がオールディーズを歌っているときには、歌詞が分からないながらも器用にステップを踏んで踊っていました。

子供たちはもちろん童謡が中心で、「おかあさんといっしょ」で聴いた歌のほかに、最近見ている「ヤッターマン」とか「しずくちゃん」が混ざるという選曲。私は50年代とか60年代ぐらいのアメリカンポップス(いわゆる「オールディーズ」)が中心で(いや、リアルタイムで聞いていたんじゃないですよ。念のため)、妻は80年代以降の洋楽中心という、割合バラエティーに富んだ2時間半でした。

ジャンルの比率を感覚的に言えば「童謡童謡童謡童謡オールディーズ童謡ヤッターマン童謡童謡洋楽同様オールディーズオールディーズ童謡洋楽童謡童謡」という感じだったでしょうか。

妻はカラオケ嫌いで通しているのですが、歌わせると結構いけるなとふんでいます。2人で「ボヘミアン・ラプソディー」やらヴィレッジ・ピープルの「YMCA」などを歌いましたが、楽しかったですね。部屋も落ち着いた居酒屋の個室って感じで、食事も美味しかったし、そのうちにまた4人で行きたいものです。

帰りはちょうどお祭りをやっていたので、おみこしを見たり、お囃子を聴いたりして「夏」を満喫して帰ってきました。

「夏休み」を一番エンジョイしているのは、私かもしれませんね。火曜日からは家族を連れて約1週間、鳥取に「里帰り」して来ます。

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2008年 7月18日(金) フレッヒ
こんな暑い日は・・・
 


 このブログを書いている時点で
関東地方は炎天下。こんな暑い日は石垣を
思い出しながらビールで一杯と行きたい所。

 この写真は、石垣市内のバス停です。
バス停までも沖縄地方独特の赤瓦バス停で、
何だか和みます。

 私の仕事のスケジュールとしては
なぜか7,8月はとっても暇なんです。

 もう来年1月のスケジュールは問い合わせが今から多く
一杯なのに、夏の時期は暇〜・・・。

 こんな時には単語帳を整理したり、
経理関係をまとめてみたり。

 今月下旬から、初来日の16歳・ドイツ人甥っ子が
我が家に一人で2週間遊びに来ます。

 その甥っ子との計画でも練り直してみようかな^^
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2008年 7月17日(木) みなみ
住宅観、人生観
 NZに来て、「日本と違うなあ」と思うことの一つに、住宅に対する考え方があります。
 こちらでは中古住宅の売買がとてもさかんです。代々の農場経営といった場合を別にして、ライフステージごとに家を住み替えるパターンが定着しています。20年もたつと家に資産価値がなくなってしまう日本と違って、築50年といった家はむしろ、伝統的な建築形式や現在では手に入らない資材を使っている、ということで、高い値段がついたりします。郵便ポストには毎日のように、売り出し中の家の広告を集めた冊子が入っています。
 キウイの典型的なパターンとしては、まず若い時に小さな家を買います。そして、なるべく自分たちでペンキを塗ったり、水周りをきれいにしたりして、資産価値を高めていきます。
 その後、子供が生まれたら、部屋数が多く、庭がゆったりとした家に変わります。家族構成や不動産市場の動向などに合わせて、数年ごとに買い換えていく、というパターンも珍しくありません。
 この時期は学校の良し悪しも非常に重要になります。この国では、公立・私立を問わず、あらゆる学校を評価するレポートを国が発表しており、インターネットでだれでも見ることができます。その中にDecileという数値があります。これは、各学校の地域の経済状況を10段階で表したもので、簡単に言ってしまうと、金持ちの校区が10、貧乏な校区が1になります。Decileが10の学校は、いわゆる高級住宅地にあるということであり、教育熱心な親が多く、成績も高くなります。一方のDecileが1や2の学校では、勉強どころではなく、毎日の食べ物にも事欠くという子供たちが多くなります。このため、不動産選びには、各学校のレポートに表示されるDecileが欠かせません。こんな数値を発表していいのか、と思ってしまいますが、どのような校区であるかの客観的な判断材料として活用されています。
 住んでいる間、家や庭の手入れは欠かせません。古いペンキをはがし(そのための機械もごく普通にDIYショップで売っている)、新しいペンキを塗るなんて、お茶の子さいさいです。でも、ある知り合いは、「夫が家のことをやってくれるのはいいけれど、いつもどこかをいじっているから、なんか落ち着かない」と嘆いていました。
 とにかく、日本では自分でやるなんて思いもつかないことでも、過程を楽しみながらやっていきます。電動ドリルや電動のこぎりといった道具はもちろん、浴槽やシャワールームのキット、さらには家そのものを自分で作るための「家セット」まで売っています。
 ただ、途中でお父さんが投げ出してしまうパターンも多いようで、テレビ番組に、そういう悲惨な家をその道のプロが直してくれる、というものがあります。壁がはがれ、屋根が落ちかけた家のリニューアルが完成したら、奥さんが感動で涙ぐむ、というのがお約束です。
 そうこうして、何年かたって子供たちが巣立つと、丹精こめて手入れをした家に別れを告げて、こじんまりとした、部屋数が少ない家に変わる人が多くなります。マオリやパシフィック系、さらに中国からの移民は、3世代同居も珍しくありませんが、ヨーロッパ系の家庭では、たいていの子供は義務教育を終えると家を出ます。このため、手入れの簡単な小さな家、または高齢者専用集合住宅などに住み替え、余ったお金を老後の資金に当てる、というのが老後のパターンです。
 農耕民族の日本と狩猟民族のNZの違いが住宅観に出ているのかなあ、と思います。国が変われば、家への考え方、そして人生設計も違ってくるのです。当たり前と思ってとらえていることでも、場所を変えて、別の角度から眺めると、全然別のものに見えてきます。
 
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2008年 7月16日(水) ぺこたん
♪メタル・ゴッド♪
昔々のその昔、10代の頃からずっと、好きで好きでたまらなかったバンドがいます。

当時、“好きなタイプは?”というお決まりの質問をされるたび、そのバンドのギタリストの名を挙げては、健全なる御学友達を思い切り凍らせていました。
そうして授業の合間、ひとりになった瞬間には、キャンパス内の木々の下のベンチに座り、ウォークマン(そう、当時はカセットテープを入れる、分厚く重いあの代物でした)で彼等のアルバムにウットリ。すると、同時通訳クラスの教授に見つかり、“そういう音楽をそういう状態で長時間聴いていると、難聴になって、会議通訳者にはなれないぞ。耳はなぁ、いったん駄目になると、回復はしないんだぞ!”…などと驚かされたものです。

あれから20数年、いまだ飽きずに“そういう音楽”を聴き続け、でも耳はまだまだ元気な私は、結局その会議通訳者にはならず、代わりに(?)“そういう音楽を演奏するバンド”にインタビューし、記事を書く仕事をしています。
いやはや、人生、どこでどうなるか分からないものです。

で、その“好きで好きでたまらなかったバンド”が、ジューダス・プリースト。そう、“メタル・ゴッド”と呼ばれ、ヘヴィメタル界に30年以上も君臨し続ける、英国出身のバンドです。

最新作を発表し、この秋の再来日公演も決定している彼等に、先日、個別にインタビューする機会に恵まれました。相手は、ツイン・リードのK.K.ダウニングとグレン・ティプトン。そう、私の“好きなタイプ”の御ふたりであります(笑)。

彼等とはこのところ、毎年のように話をしているのですが、いちファンだった当時の想いを裏切らないような、それはそれは穏やかで温かくて、本当に本当に魅力的な人達なのです。
いつも驚かされるのは、前回のインタビュー内容を覚えていること。当たり前の話ですが、私はインタビューに挑む時には、自分がこれまでに書いた記事を、必ず読み返しながら、相手の過去の発言を再確認します。でも彼等の方が、“前回こんなことを言ったけど…”などと、その時々の話の続きをしてくれたりするのですから…。世界中で数多くのインタビューを受けている彼等が…ですよ! どうなっているのでしょう? 感心します。
おまけに、限りなくソフトな口調、そうしてあのルックス。それで“それはね、ぺこたん”とか、“ところでさ、ぺこたん”…などと言われると、もう、いきなりガバッとひれ伏し、“貴方達をとことん応援いたします!”…と宣誓したくなります。あぁ、やれやれ〜。

話しを戻して、
ミュージシャンにインタビューするのは、たいがい新作発表前後か、来日直前の頃。そうしてそのタイミングでは通常、その作品を引っ提げてのワールド・ツアーに出ている場合があり、今回のジューダスも、ちょうどヨーロッパ・ツアーの真っ最中。そういう時期はとても忙しく、疲れているものですが、彼等はいつものように、快く話を聞かせてくれました。

K.K.がインタビューを受けてくれたのは、移動中のツアーバスの中。
ヴォーカリストのロブ・ハルフォードも、すぐ隣で、別インタビューを受けている…という状況下。彼のあの“御声”まで聴こえてくるなんて、冷静に考えれば、とてもとても贅沢な話…なのです…が、でも場合が場合なだけに……。おまけにK.K.が使用しているのは、携帯電話。つまり、それでなくても聴き辛いわけです。ですからその後のテープ起こしを考えると…少々焦りました…が……“ほら、ロブが隣で‘Hi!’って言ってるよ!”…などと言われ、“あぁ、もう、なんとでもなれ〜”…の心境になってしまいました(苦笑)。
結局日を改め、ホテル滞在中に、取材の後半を受けてくれたのですが、開口一番、“この間は、あんな状況下でのインタビューで、ほんとごめん”…と繰り返し丁寧に謝られました。

一方のグレンは、ツアー先のホテルの一室。
ところが、1週間ほど前から盲腸炎で体調不良とのこと。直前になり、“今日のインタビューを延期したい”と電話してきたのですが、その数時間後、今度は“痛みが和らいでいるので、これからやっても良い”との連絡が…。
そうしてそのインタビューですが、音がハウリングして、どうも調子が悪くて。そのことを伝えたら、“ここはどうかな?”…などと言いながら、部屋の中を少し歩き廻っては、電波状況の良い場所を探そうとしてくれまして…。体調が思わしくない時に、本当に申し訳なかったです。
結局ライヴを2夜キャンセルし、いったん母国へ戻った後に、再びバンドと合流し、ツアーを続行。これまでライヴをキャンセルしたことは1度もなく、それをとても気にかけていたよう。凄いプロ根性です。
還暦を過ぎているのですから、本当はもっと体を労わって欲しいと、個人的には強く思うのですが、何しろツアー日程がぎっしり詰まっていて、世界中のファンが待っているわけですから、そうそう休んでもいられないのですよね。

ところで、こうして長い年月、第一線で活躍し続けられているのには、ちゃんと理由があるように感じます。
サウンド面では、自分達らしい音を追求しつつも、一か所に安住することなく、常に新しいことに挑戦し、変化を厭わず、前進し続けていること。過去の作品も、それぞれに趣が異なりますし、いま聴いても“古さ”を感じないのですから、凄いと思います。
それからプライベートでは、とにかく“地に足がついている”ということ。堅実で常識的。今回のインタビューも、ミュージシャンらしからず(?)、早朝スタート…で、“大丈夫かな”と心配になったのですが、ちゃんと起きて待ってくれていました(笑)。また“時々ゴルフを楽しんでいる”…との話も、以前に聞いたことがあります。
そうして、これは長いキャリア中で培ってきたことなのか、そういう人達だからこそ、生き残ることが出来たのか、その辺のことは定かではありませんが、とにかく人間的によく出来た、本当に魅力溢れる人達なのです。約束は絶対に忘れずにいてくれますし、穏やかで温かくて紳士的で凛々しくて気遣いの人達で、ユーモアのセンスがあって知的で気品と色気があって……と、その魅力を書き出したら、キリがないほど。

さて、現在好評発売中の通算16作目のアルバム『ノストラダムス』は、文字通り“ノストラダムス”の一生を、音楽と歌詞で表現した力作。プレリュード込みで計23曲、100分以上にも及ぶ、壮大な“メタル・オペラ”で、“前々からやりたかったタイプのコンセプト・アルバム”…なのだそうです。
待望の再来日公演は、9月24日より、名古屋→大阪→横浜→東京・武道館…と廻る予定。既に完売の日もあるので、ご注意を。

ジューダス・プリースト。これからも息の長いバンドとして、素敵なアルバムとライヴで、我々に感動を与え続けて欲しいものです。

それにしても、10代の頃から夢中で聴いていた彼等と、後年こうして仕事で関わるようになるとは…。人生の不思議な巡り合わせを、感じずにはいられません。
その他

2008年 7月15日(火) さるるん@ロシア
河口湖
先週、うちの子のお誕生日祝いに河口湖に行ってきました。
「ドギーパークでわんちゃんとお散歩」がバースデープレゼント。
親子ともに犬が大好きだけど、諸事情で飼えないから・・・。

しかし、ドギーパーク以上に、思いがけず親子ではまってしまったのは、河口湖オルゴールの森。



オルゴールを手作りできる企画が楽しい。1日じゃ物足りなくて、2日間通い、うちの子はなんと4個も作りました。100曲程の中から自分が好きな曲を選び(ぜんまい式、手回し式、壁掛け式から選べる)、好きな箱を選び、色を塗ったり絵を描いたり。





オープンエアのカフェでのんびりしてもいいし、自動演奏楽器や生の弦楽四重奏のコンサートを聴いたり、オルゴールの説明&演奏を聞いたりしてもいい。ショップでほしいと思った高級オルゴールは家賃5ヶ月分のお値段で買えず、かわりにチョコレートを買い込んでみたり。夏休み前の平日で人が少なかったから、ゆったりと過ごせて良かったです。

そして、今は北海道の実家に帰ってきています。涼しいです。
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2008年 7月14日(月) いぬ
鮭の放流&温故知新
3月まで授業を持っていた通訳学校に、代講のため久々に足を向けました。教材の進め方や授業の組み立てについて、あれこれ考えながら学校が入っているビルの玄関をくぐると、見慣れた顔の一団が。3月まで担当していた生徒さんたちです。

「先生!」
「ああー、皆さん!こんにちはー!」

玄関でいきなり「にわか同窓会」になってしまいました。進級して頑張っている方の、疲れの中にも充実感が感じられる表情に内心エールを送ったり、進級して私の授業を受けるのを楽しみにしていたというありがたい方に頭を下げたり、授業がなければもう少し話していたいところでした。でも、皆さんそれぞれの立ち位置で全力を振り絞っているようで、頼もしい限りです。

そうそう、このブログのこともバレてしまっているようで、冷や汗三斗の思いでした。どこで誰が見ているか分かりませんねえ。先週も大学の学生さんが「先日、先生が電車の中で勉強しているのを見ました」と教えてくれて、「マンガ雑誌なんかを読んでるところじゃなくて、ホントに良かった!」と心底思いました。・・・まあ、言われないだけで、そういうところもバッチリ見つかっているんでしょうけれども。

代講に入ったクラスでは、「サービス業」という視点から見た通訳者という職種に焦点をあて、いろいろとアドバイスしましたが、非常に「まじめ」な方が多かっただけに、全体的にもっと「積極的に前に出る」という姿勢があると良いなと感じます。通訳者はでしゃばり過ぎてはいけませんが、あまりに謙虚に引っ込んでいてもお役に立てません。基本的に1人で全てを訳さないといけないわけですから、「私が訳さずして誰が訳す!」という気概が必要になる局面が多いと思います。などと偉そうに言っていますが、通訳学校の授業を受けていて、「ここだけは指名されませんように!」と大きな体を必死に縮めて(?)気配を消そうとしていた思い出は、私にもしっかりとあります。

最後に、「先生を追い抜かすつもりで勉強するように」と、生徒の皆さんにお伝えしました。いろいろな先生に習って、それぞれの先生の「良いところ取り」をするように、と。すると当然個々の先生よりは効率的に学習できるはずですから、理屈から言うと、急速に先生に追いつけるはずです。追われる先生の方でも、そう簡単に抜き去られるのはイヤですから、さらに勉強を重ねます。すると全体的に見て「拡大再生産」ということになるわけです。

単に師匠の「コピー」を作るだけなら、コピーよりオリジナルが良いのは当然なので、「縮小再生産」になってしまいます。それは「教育」ではなくて「伝達」でしょう。

教える側も、自分の持てる知識やノウハウを全て明かして教えるべきですし、学ぶ側は良い意味で「生意気」に、「いや、先生、こう訳した方が良いと思うんですけど、どうでしょう?」と、「師匠越え」を念頭に置いて授業をうける。それが教えるものと学ぶものの礼儀のような気がするのです。もちろん、「序・破・離」のそれぞれの段階に応じて適切にやっていかねばいけませんけれども。

かつての教え子と仕事の現場で再開して、「うおっ!や、やるな!」と冷や汗をかくのが、通訳教育に関わったものとしての、ささやかな夢です。

話は少々変わるのですが、昔は英語力を伸ばしたい人が集まる「英語合宿」みたいなものが結構ありました。私は高校に入る直前の春休みに、トミー植松先生の「イングリッシュ・ギャラクシー」という英語セミナーに参加したのがきっかけですっかり味を占め、高校1年と2年の夏休みに、今となっては懐かしい「百万人の英語」が主催したサマーセミナーにも参加しました。國弘正雄先生や、後に通訳学会で直接お話をする機会が出来た(当時は雲の上の存在でした)鳥飼玖美子先生のレッスンや講演があったり、今は亡きJBハリス先生には御著書(「僕は日本兵だった」)にサインまでしていただきました。余興でハーモニカで「ハロー・ドーリー」を吹かれていたハリス先生の姿は今でも良く覚えています。

今にして思うと、もう少し英語力がついた時点で参加できていればと思います。それでも拙い英語で話すことそのものが楽しくて、参加していた方々からも弟や息子のように可愛がっていただいて、実に楽しい経験でした。英語劇を初めて経験したのも、「百万人の英語」セミナーでしたね。今は連絡をとるすべもありませんが、参加したみなさんは、どうしていらっしゃるかなと思います。「私は『ユカタ』です」、と言えば、当時参加された方には私が誰なのか分かる方がいらっしゃるかもしれません。

何にしても、そんな思い出を下敷きにして、昨年の秋、A大学の通訳クラスの学生さんを連れて箱根で1泊2日の(非公式)合宿をやってみました。これが参加メンバーに恵まれたこともあり、実に楽しかった。今年のクラスの学生さんに水を向けてみたところ、何人か反応があったので、今年はA大学、D大学、R大学合同で非公式合宿が出来たら楽しいかなと考えています。

どうなんでしょうねえ。英語合宿って、大学の学生さん以外にも、今でも結構受けるんじゃないでしょうか。同じぐらいの金額を払えば、確かに外国にだって行けてしまうご時世ですが、それだけに「楽しくスパルタ」的なノリって、意外に貴重な体験なのではと思うのです。実際、日本人ガイドがついたツアーバスに乗りっぱなしのパックツアーよりは、英語力も伸びますし。

そんな企画をお考えの方がいらっしゃったら、講師役として、ぜひ一枚かませていただければ幸いです。
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2008年 7月11日(金) フレッヒ
焼酎とマンゴーと紅芋ドーナッツ



 

 この泡盛を追いかけ
そして泣いて、そして飲んで、








 
 もぎたてマンゴーで幸せ一杯になって、







 
 結局最後は、手作り揚げたて紅芋ドーナッツ
サーターアンダギーを
おかわりするドイツ人が隣にいる。

 そんないつもの石垣島の休暇。

 現実に戻った今、翻訳締め切りに追われた
徹夜明けの朝、また石垣に戻ろうと、そのために
働こうと本気で思う。

 そう思って早10数年、年に幾度となく通い続ける石垣島。


 (http://mitzi.exblog.jp に石垣詳細レポート載せてあります)


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2008年 7月10日(木) みなみ
NZ式舞台鑑賞
 この週末は、雨時々ひょう時々雷の中、高速道路で40分ほどの劇場へ娘と一緒に、ニュージーランドオペラによる「ヘンゼルとグレーテル」を見に出かけてきました。
 10歳の娘にとっては初めてのオペラでしたが、お馴染みのストーリーだし、なにより歌詞が英語だったので楽しんでくれたようです。
 ただ1つ残念なことが。それは、観客のマナーです。歌手が歌っている最中に、シュパッ(恐らく炭酸飲料のボトルを開ける音)が何回かしたし、途中で何を落としたのか「ドンガラ、ガラガラ」となにやらけたたましい音がしたし、私たちの後ろの列では、ポテトチップスを食べる人がいました。
 オペラですよ。いくら子供向けのストーリーとはいえ、オーケストラが伴奏する、れっきとしたオペラを鑑賞しながら、ガサガサ(袋の音)、パリパリ(食べる音)と音を立てて、ポテトチップスを食べるのです。
 でもこれは、NZでは珍しいことではありません。5月にロシアからキーエフバレエ団が来た時にもありました。あっちでパリパリ、こっちでガサガサ。
 お昼の公演で、子供連れが多かったせいかもしれません。でも隣の母子がパリパリとポテトチップスを食べ続けるのには、「すみません、ちょっとやめていただけますか」と思わず注意をしてしまいました。忙しい仕事の合間に時間を捻出して、1人100ドル以上の決して安くはないチケットの席で、娘と楽しみにして出かけた公演だったもので。
 ものすごく怖い顔でにらみつけられましたが、やめてくれてホッとしていたら、今度は後ろでパリパリ、と始まったので、げんなりしてしまいました。
 という話を知り合いの日本人にしたら、彼女もバレエの公演で隣の人がポップコーンを食べ始めたのでびっくりしたとのこと。「たぶんNZでは、これは許容範囲」だそうです。日本でも歌舞伎は飲食OKですから、同じ感覚ということでしょうか(とすると、注意をした私が間違っていることになる・・・)。
 ただ、マナーが悪いというか、迷惑を掛ける人がいるのは、大ホールでのオペラやバレエだけではありません。以前に、とても少人数のホールでのピアノコンサートで、演奏中にずーっとがさがさと飴の包み紙でもいじっているような音がし続けて(出所は分からなかったけれど、すごく耳障りだった)、ピアニストがすっかり立腹して、演奏を中断したことさえありました。ピアニストが「もう、いいですか」と声をかけたら、静かになったので(ようやく自分がしていることに気付いた模様)、演奏は再開されましたが。
 7月末にはロイヤルバレエの「ロミオとジュリエット」を見に行く予定です。公演自体はとても楽しみですが、はてさて、どうなることやら。
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2008年 7月 9日(水) ぺこたん
あな、ホモ・サピエンス
原稿書き。眉間にシワ寄せ、鋭い目つきでモニター睨みつけ。
声かけられても、まるで気づかず。
でもこれ、物凄く集中している、その世界に入り込んでいる証拠。けっして苦しんでいるわけではありません。はい。

〆切の山を前に、ブツブツ溜息。
でも、これまた辛いのではありませぬ。実に楽しいんですよ、これがまた。心地好いくらい…と言ったらヘンですが。

かと思えば、棲息圏内畳1畳分。
1日中ボーッとしながら、庭を眺めたり、空を見つめたり。
カメもナマケモノも真っ青。そうとうアブない人。
って、いいえ、これまた大丈夫。周囲の空気や匂いなどを、ゆっくり感じながら、充電しているところなのです。

不思議かな、ホモ・サピエンス……


人混み嫌い。
でも大都会の雑踏・喧噪・猥雑さも、たまらなく好き。
祭りも、ゾクゾクする。春はきまって暗闇祭り、夏は恒例の東北三大祭り!

騒々しいところで、みんなでワイワイ・ガヤガヤ。
でも静かな場所で、独りになりたい時もある。

団体行動、昔から苦手。
生まれ持った性質か、育ちから来るのか(←そういう教育を受けてこなかった)。
揃いの格好で“ファイト!”…などと言われると、返答に困り、そこにヘタリ込むような学生時代を送る。
それでも立派に7年間、会社員をやってのける。入社した出版社の大半が、“そんな人”だったのが幸いした…のか?

日頃愛聴しているのは、重金属音楽。
元気な時も元気でない時も、変わらず。仕事でも、重金属音楽関連が多い。
そうして1日をシメるのも、たいがい重金属系。
でも、ポップスやゴスペルも好き。クラシックも。ただし、室内楽ではなく、重厚なフルオケもの。

人間の二面性……


崇拝するHR/HMミュージシャン達。
重金属音を奏でる彼等。が、いったんステージを降りると、趣味が読書だったり、ゴルフだったり、毎朝ジョギングを欠かさなかったり…。
穏やかで物静かでゆったりした御方の多いこと。
そうそう、そんな彼等のバラード・ナンバーほど、美しいものはない。その美しさは、バラード連発で知られるようなポップ・アーティストなどの比ではない!

More than meets the eye……


チープなアクセサリー&安価な服フリーク。
でも高級ブランド物もこよなく愛す。
職人芸。高価なものには、それなりの理由がちゃんとあるもの。

本屋が次から次へと廃業に追い込まれる昨今。
会社員時代に通った名書店も、つい先日閉店。そういう現実を憂いつつ、はたと気づく。自分も最近、ネットばかり利用していることを…。

限りなく、矛盾だらけ……


都会を離れた田舎町の大自然に、いつも感動。その風景は、心豊かにしてくれること実感すること多々あり。
しかし、幼年期を過ごしたロッキー山脈の麓の小さな町。大人になってから、そこで1か月ほど過ごす機会に、何度か恵まれるも、どうも駄目。都会の喧噪や“モノ”が恋しくなり、成田空港から持参のファッション誌の頁を捲っては、涙ぐみ、大都会&物質社会が無性に恋しくなる。

晴耕雨読。なんとも素敵な響きをもつ言葉。
文字通り、晴れた日に畑を耕し、雨の日に読書を楽しむ。思うがままの静かな日々。
でも、心地好いのは最初の内。だんだん退屈になり、刺激が欲しくなるに決まっている。今の私には、無理。

自給自足。畑を耕し、野菜を栽培する日々。理想的。
しかし、これまた間違いなく、私には無理。出来ること出来ないこと、人間にはあるもの。
私に出来ることはお金と引き換えに私がやり、私に出来ないことはお金を出し、出来る人にやって頂き、そうして互いを支え合う。人生とは、そういうことなのでしょう。

スローライフ。
テレビもエアコンもない生活? ロウソク点し、自然光のみの生活に戻る? 例えば例えば、暗がりではパソコンは打てないし、明るい内に作業を終わらせるのは無理。えっ? パソコンのない人生? 今更出来るわけがない。

動物愛護。
そりゃあ、生まれてこの方、動物の居ない生活を送ったことのない身。動物は愛してやまず。

ヴェジタリアン。
だからと言って、草木のみで生きる自信など、この私には…ない。
って、草木も“命”には変わりないし…と、言い出したらキリがない。

理想と現実……


机上で物事を研究し、知識や理論や理屈を覚える。
でも実際そのフィールドに立ち、そこでしっかり息をし、身体で感じ、己の目で見ないことには、理解できないことの方が多い!

インタビューして、記事を書いて。
でも最終的には、アルバムとライヴがすべて。大好きなエアロスミスではないけれど、“Let the music do the talking”。“そこ”に彼等の“ハート”、彼等の魅力がいっぱい詰まっているのだから。
と言っては、立場上、身も蓋もないが…。
でも、だからこそ、その音に込められた彼等の思いや、制作過程にまつわる興味深い話を、ひとつでも多く引き出し、記事にし、そうしてひとりでも多くの人に、彼等の魅力を伝えられれば、彼等やその作品に興味を持って貰えれば、…と常日頃、思う。

二面性。矛盾。理想と現実。裏と表……
人間ってのは、なんともまぁ、一言では片付けられない、不思議なことだらけ。

あな、ホモ・サピエンス!
その他

2008年 7月 8日(火) さるるん@ロシア
帰国中です
さるるん@ロシア改め「さるるん@帰国中」です。
久々の日本の夏の蒸し暑さにバテバテです。

私も娘も無類の本好きなので、冷房の効いた本屋さんや図書館に行っては何時間も過ごしておりました。ちょっと驚いたのは、街中で某政党の宣伝カーが「小林多喜二の『蟹工船』を読みましょう」と説いていて「何で?」と思っていたら、書店でも『蟹工船』の文庫本が平積みで売られていて、しかも今売れているとのこと。何で? まだ帰国したばかりで状況が呑み込めません。

まずは、先月発売になった青山繁晴さんの『日中の興亡』を買って一気読み。この国の主役はわたしたち国民であり、最終責任者もわたしたち国民。「問題提起をして、国民みずからが自分の頭で考える手助けをこそ、したい。それが、この書のすべてだ。」「中国のことを考えることによって、わたしたち日本国民のことを考えよう」一人でも多くの人がこの本を手にし、その意味を考えてくれたらと願う一冊です。

今は、亀山郁夫+佐藤優の『ロシア 闇と魂の国家』を読んでおります。モスクワでは日本から取り寄せなければ読めない本を、書店や図書館で手に取って選ぶことができる喜びを満喫中。

それから、ちょっと前のブログに書いたとおり、ノートパソコンを購入。まだ使い慣れていませんが、なかなか良い感じです。

昨日は、テンナインのオフィスにご挨拶に行ってきました。新しいオフィス、明るくて、とても素敵でした。スタッフの皆さんの笑顔も素敵です。時差ぼけと夏バテで休業中でしたが、早く仕事を再開したくなりました。(でも数日後に涼しい北海道に移動するまでは無理かも)
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2008年 7月 7日(月) いぬ
授業参観雑感
ちょっと前の話になるのですが、小学校に入学した息子の授業参観に行ってきました。見学したのは算数と国語の授業で、それぞれに工夫が凝らしてあって、なるほどなあと思うことしきり。当たり前の話ですが、自分が小学生の頃とは全く違った視点から楽しむことができました。

国語の授業では、子供たちに音読させる際に、「一音目を強調しすぎないように」と先生が指導されていました。これは、なるほどなと思います。下手をすると大人でも一音目をしゃくりあげるような形で強調する人がいるのです。通訳学校で放送通訳の授業をしている時も、「日本語は基本的に高く入って低く抜ける」ということを何度も強調しましたが、文頭アクセントが抜けたかと思うと、今度は助詞を強調しすぎたりする方もいたりして、なかなか指導が難しかったですね。(「今日『は』、みなさん『に』、授業参観『で』、感じたこと『を』、お話します」というような話し方です)

日本語というと日本人は「母語」という意識があるので、どうも「自分の日本語には問題がない」と思いがちなのですが、通訳として必要とされる日本語運用能力、および日本語の発話能力は、日常生活で使うレベルをはるかに超えている以上、きちんと注意を払う必要があると思います。特に大学で「通訳」「翻訳」の授業を取ったり、通訳学校に通ったりしている方は、「英語」は大好きなんですが、その割には「日本語」に対してあまりにも冷たい。教室ではよく「日本語に、もっと愛を!」と冗談交じりに呼びかけています。

さて、英語を教えていると「いかに生徒に英語を話させるか」に悩むときがあるのですが、これも話したくなるような状況設定がとても大切になります。この点でも小学校の国語の授業は参考になりました。

息子のクラスでやっていたのは、「くまさんが、タネがたくさん入っている袋を見つける。何のタネか友達のりすさんに尋ねようと、袋を持ってりすさんの家まで歩いていった。ところが袋に穴があいていて、りすさんの家についた時点では袋は空になっていた。春になって、くまさんの家からりすさんの家まで、きれいな花の道が出来た」というあらすじのお話です。

配られたプリントには、次のように書いてあります。

「くまさんが
 ふくろをあけました。
 なにもありません。
 『しまった
  あながあいていた』」
その文章のあとに、大きな吹き出しが描いてありました。

この吹き出しのなかに、くまさんとりすさんの会話を入れてみようというアクティビティーなのですが、しばらく時間を取って考えさせた後、くまさんとりすさんのお面を用意して「くまさん役」「りすさん役」でロールプレイをさせるのです。

これならば、応用すれば大学などの授業でも使えますね。なるほどと思ってメモしていたのですが、「やりたい人!」という先生の言葉に、天井に突き刺さんばかりに手が上がることあがること。「ハイ!ハイ!」という元気な声に、ビックリしてしまいました。息子のNも元気良く手を挙げ、くまさんのお面をかぶって楽しそうに話しています。

1年生というのは、いや、小さな子供というのは、本当に他人とコミュニケートしたいんですねえ。考えてみれば、息子のNも娘のKも、食事中でも遊びながらでも、脈絡のないことをずーっと話していたり、いい加減に聞き流しているとこちらに質問を振ってきたり、実に積極的にコミュニケートしています。

驚きつつ、少々感動も覚えつつ、

「これが本来の人間の姿なのかなあ、これが大人になると、どうして何も言わなくなってしまうのかなあ。いろいろなメンタルブロックが出来てしまうのだろうけれども、それを取り除いてあげられれば、日本語でも英語でも、誰でも何か話したいんだろうし、それを話すお手伝いができるような『仕掛け』をうまく考えたいなあ」

などと思っていました。

D大学のスピーキングの授業で、実に積極的な学生に恵まれたクラスがあるのですが、このクラスの学生たちはきっかけを与えてあげると、非常に楽しそうに英語で話すし、それをクラスのほかの学生たちも暖かく見守っているのです。「もっと良くなるように、お互いにアドバイスをしてごらん」というと、ニコニコといろんな指摘をしたり、それに耳を傾けたりしています。さらに「自分の考えを英語で言うにはどう言えば良いのか」という問題意識も高く、「質問はありますか?」というと続々と手が挙がります。残念ながら来週でそのクラスの担当は終わってしまうのですが、授業がうまく行った理由が何だったのかをよく見極めて、そのエッセンスを他の授業にも生かして行きたいものです。
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2008年 7月 4日(金) フレッヒ
意外だったハワイ
 


 息を呑むような真っ青な色。これがハワイブルーなんだなあ
としばらく無言になった印象深い絶景ポイントへのトレッキング。

 6月の中旬にハワイへ3泊5日で行ってきました。

 自称リゾートハンターのワタクシ、
ここ10年数年、宮古島と石垣島など、八重山諸島中心の休暇。
その前はしばらくバリ島を中心に東南アジアやカリブ
に大分通いましたが、
とにかく隠れたビーチや、内緒にしておきたい素敵な宿を見つけるのが
楽しみの一つとなっています。出来れば総客室は5部屋以内、
もしくは独立型ヴィラが理想です。

 しかし、なぜかハワイは休暇で行きたいとは
全然思わなかった場所。かなり前に友人の結婚式に招待されて
マウイ島へ行ったのですが、本当にマウイの端っこのコンドミニアム
に滞在し、式だけ参列して、帰国してきた感じだったので
ハワイが全然印象に残っていないのです。
どこもかしこも大型ホテルとたくさんの観光客、
ショッピングに大雑把な食事と言う印象だけがありました。

 今回はあるメーカーの招待旅行に弟と参加。
久々?いや、きっと初めての本格的な団体旅行。
しかも、招待者約650名。
3食付、観光ガイド付と至れり尽くせりでしたが、
やはり職業病。仕事としてガイド業を私はしないのですが、
もちろん通訳と言う仕事上、旅行会社や添乗員の方と
一緒に組んでお仕事する機会は多々あります。

 やはり動きが気になっちゃう。
ある新人の女性は、非常に一生懸命なんだけど、
とにかく声が通らなくて
小さい。時間をずらしても、一つの集合場所に
百人近く集まってしまうのだから、もうちょっと効率よく、
そして皆に分かるような大きなポップを用意したり
声を通るようにしっかり皆さんに声掛けしないから
出発は何かと遅れていました。

 私の所属していたチーム茨城は
集合時間の15分前には全員が必ず揃っていると言う
優秀ぶり。遅れて来るのは必ずと言って良いほど、
都市部の方々でした。言い訳も、「まだお腹一杯だから
夕食食べたくないなと思っていたら、用意が遅くなった」とか
とにかく凄いし、皆に遅れたことを謝らないし。
地方の人の結束と団体行動を見習って欲しいです・・・。

 しかし、添乗員の人にどうも素人じゃないと
見破られてしまったワタクシ。
自分からなんか言った訳じゃなかった
のに不思議。とにかく一人だけ雰囲気が全然違っていたと
指摘され、ドキリ。

 上の写真のハワイブルーの絶景を堪能した後は
全米ナンバー1ビーチにも選出されたラニカイビーチへ。





 とても柔らかい白浜はずっと続き、
海水はミルクブルーと言ったら良いのでしょうか。
本当に美しいビーチでした。見学だけで終ったのが
非常に残念。

 今回招待旅行でタダだったから行くよって感じでしたが、
プライベートでもう一度ゆっくり来たいなと思わせたハワイ。
意外でした。次回はビーチ沿いでゆっくり出来る素敵なコテージに
滞在してみたいです。見つけられるかな〜。

 でも、休暇になると殆ど特典航空券のみで
楽しんでいる私達の最近の
悩みは、チケットがタダでも、海外のフライトだと
燃料チャージが別途取られて、それが本当に馬鹿にならないこと。
となると、その分のマイルで国内数往復した方が、燃料チャージも
殆ど掛からないし断然お得なのです。

 結局、秋の休暇もまた石垣かな〜と言う感じです。
先週もハワイの後、翌日から石垣に行って来たばかりなのに、
かなり石垣中毒です・・・。
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2008年 7月 3日(木) みなみ
パソコン壊れる
 翻訳者の方々にとって、世にも恐ろしいものの一つに「パソコントラブル」があるかと思います。パソコンが壊れては、仕事になりません。おまけに、環境を前のとおり整えるのに時間が掛かります。
 それまで私が使っていたラップトップは、特にトラブルもなく2年半が過ぎていたのですが、もしもの時のためにもう1台欲しいと思い、3月に、新しくデスクトップのPCを買いました。以前のラップトップに比べて、容量がぐっと増えて、画面も大きくなって、快適、快適、と思っていたら、この間の土曜日に突然、このデスクトップが動かなくなりました。
 立ち上げようとスイッチを入れると、「Windowsを開けられないよ。Safe Mode試してみて」という感じのメッセージが出てきて、何をやっても(Safe Modeにすら行かない)だめなのです。
 その前日の金曜日までごく普通に仕事をして、特に予期もしていなかったのでびっくり。
 ただ、このPCのセッティングをしてもらった人(夫の会社でコンピューター関係をお願いしている人)がとても親切で、頼りになる方なので、「月曜日なったら聞けばいいや」と楽観していたのでした。翻訳者としてあるまじき姿勢ですが、PCに関して、私はまったくの人任せなのです(今回の購入時も、希望スペックを言っただけ)。
 そしてこの週末はちょうど仕事が入っていなかったので、泥まみれで庭の草抜きに没頭したのでした。
 そして月曜日、判明したことは、このセッティングをしてくれた方がなんと現在、出張中ですぐには見てもらえないとのこと。ガーン。
 ということで、いまやただの箱となったデスクトップに代わり、サブマシンとなっていたラップトップが再度、登場となりました。
 ここで教訓。どんなに快調に動いているPCでも、いつなんどき、トラブルになるか分からないので、必ずデータ(特に作業中のファイル)はなんらかの方法でバックアップしておきましょう! 私はちょうど、毎日の仕事の終わりにデータ保存をしている作業を無駄かも、と思いかけていたところでしたが、きちんと続けることにします!
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2008年 7月 2日(水) ぺこたん
通訳というお仕事
インタビュアーは、時としてインタビュイーの“敵”にも成り得る存在です。
と、今週はいきなり、強烈な響きを持つ言葉での出だしですが…。

とにかく、インタビュアーには、色々なタイプの人がいます。
よく出会うのは、アーティストを挑発するタイプ。明らかに最初から挑戦体制に入っている人。それを楽しんでいる…とさえ思えるような人。
“そんな質問して、相手を怒らせて、目的はいったい何?”…と聞きたくなります。別に当たり障りのない質問だけして…と言っているわけでは、決してないのですが。

それから、そのアーティストのことは知らない、興味ない、でも“お仕事”だから、仕方なく来たという人。
特に新人アーティストの取材の場合、これが結構多い。アーティスト・サイド(レコード会社側)も、より多くの媒体に紹介して貰いたい…などの理由から、彼等に来て貰うわけなのですが…。
でも、“なぜそんな基本中の基本みたいな質問を今更するかな?”とか、“おいおい、そこで突っ込まないで、どうする?”などと思ってしまい、苛々します。

とにかく、インタビュー・ルームには、色々な方々がやって来ます。
ですから、間に入る通訳者は、とても気を遣います。
まぁ、どの世界の通訳者も、同じだとは思いますが。それが通訳者の使命でもありますし。

そんな時、私が何よりも優先するのは、“アーティストに不快な思いをさせない”…ということ。インタビュー・ルームから立ち去ってしまっては、元も子もありません。それでは“プロモーション”という仕事が全う出来なくなりますから。
ですから、インタビュアーの言葉を変えながら、訳す場合が多々あります。

まずは、挑発型インタビュアーの場合。
“昨夜のライヴ、はっきり言って演奏がダメでしたねぇ〜! あなたもそう思いません?”、“昨夜のライヴでは、どうしてあの曲を演らなかったの? みんなガッカリしていましたよ!”…というような質問。
“出来た人”なら上手く対応しますし、それはそれで興味深い取材になることもあります。しかし繊細・神経質・気難しいタイプや、インタビュー慣れしていない新人の場合は、そんな質問一発で、御機嫌斜めになるか、そのまま部屋から出て行きかねません。
ですから、そのアーティストにより、質問をイジります。
例えば、そうですね、“時差ボケがあると、やはり辛いですよね”とか、“その夜によって、やはり選曲は変えるのでしょうか?”…などと。

それから、やる気のないインタビュアー編。
よくあるのは、“名前と担当楽器を、それぞれ順番に言ってください”、“生年月日と出身地を教えてください”、“バンド結成場所と年を教えてください”…というような質問。
事前に調べればすぐに分かること。それを限られた時間中で、本人達に直接聞くなんて…。あぁもったいない。それも冒頭から、続けざまに。その後のインタビューを左右する出だしから、こんな内容では…。
ですからこちらは、例えば、“今更こんな質問をするのは申し訳ないのですが、でも確認の意味もあるので、念の為、まずはお願いします”…などと振ります。苦し紛れ。

とにかく、その場の空気を読みながら、相手のアーティストの性格により、臨機応変に、色々とやっています。
もちろん、すべては仕事を振って頂いた側と、雑談する中で達した結論。双方同意の元での行動です。そう、“通訳者とはいかに…”という話、彼等とは頻繁にしています。

その逆の立場の場合も然り。
つまり、インタビューする側(=評論家や雑誌社サイド)からの依頼のケース。
とにかく一番大事なのは、“アーティストに気持ち良く話して貰い、興味深い話をどんどん引き出し、良い記事を書いて貰うこと”。それを常々念頭に置いてやっています。

通訳とは、言葉以外の能力…気配りも何かと必要でして、だから大変な作業なのだと思います。

私が“大変”だと感じる、もうひとつの理由。
それは学生時代の2年間、同時通訳コースを取り、並行して専門学校にも通う中で、強く感じたこと。そう、私は幼年期を英語圏で過ごした人間。ですから、例えば、“cat”といったら、頭の中で即、あの“モコモコの動物”を連想します。いったん“ねこ”とやってから、“あぁ、あの動物ね”というステップは踏みません。言葉で説明するのは難しいのですが。
つまり、“cat”と“ねこ”は、別々の引き出しの中に入っているのです。そうしてその引き出しは、完全に独立した空間を作っています。中で繋がってはいません。
ですから、そのふたつの引き出しの中身を繋げるのは、大変な作業になります。
でも、それこそが、通訳という作業に当たるわけです。
そうして実際その“訓練”を積み、それなりにその“作業”が出来るようになったら、今度は、英語を聞いたり話したりする行為が、それまでとは微妙に違ってきていることに、ふと気づいた時期がありました。つまり、引き出しが繋がったことにより、中身はゴチャゴチャ、整理整頓が行き届かなくなってしまったのです。あぁじれったい。物凄く嫌な感覚でしたね。

世間では、ふたつの言葉(或いはそれ以上)を繰る=即通訳が出来る…と思われがちですが、それは大きな誤解。実際はそれがスタートラインで、そのスタートラインに立った上で、訓練や経験を重ね、そうして初めて可能となる特殊技能なのです。
…と、今更ここで書くのも何ですが…。

そんなこんなで、私がここ10年ほどの間で出した結論…。
それは、間に立つよりは直接やる方が、自分には向いていると言うこと。その方が高揚するし、とても心地良い。ですから現在は、直接インタビューをより多く受けています。つまり、自分で質問事項を作成する⇒インタビューする⇒原稿を書く…という作業。そう、雑誌社時代にやっていたことを、再びメインにやるようになったわけです。
あっ、もちろん、通訳業もやってはいますよ!

通訳業とはなかなかに大変で、なかなかに奥深いお仕事だと痛感します。
その他

2008年 7月 1日(火) さるるん@ロシア
一時帰国
今晩モスクワを出発し、2ヶ月ほど日本に帰ることになりました。
出発が迫っているのに、まだ全然パッキングが終わってません。こんなことで出発できるんでしょうか。焦り気味で文章がまとまらないので、今回はお土産の写真を中心に…。

ロシア土産と言えば、やはりマトリョーシカ。



ロシア正教会をモチーフにしたオルゴール。
メロディーは「モスクワ郊外の夕べ」。



ロシア人は大人も子どもも大好きなチェブラーシカ。



北京五輪でのロシアの公式?マスコット赤チェブ。
トリノ五輪のときの白チェブは可愛かったけれど、これはどうも…。ロシア、北京、赤というと連想してしまうものがあるし。ともあれ、北京五輪でロシア選手がメダルを取ったら、たぶんこの赤チェブを手にしていると思われます。ま、記念ということで。



さて、荷造り、荷造り。
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2008年 6月30日(月) いぬ
バーバルとノンバーバルの狭間で
「あー、ぶっちゃかぶっちゃか!」

のっけから意味不明で申し訳ありません。実はこれ、英語が話したくて話したくて仕方なかった幼い頃の私が「英語のつもりで」話していた言葉(?)なのだそうです。

父と母が知り合いのアメリカ人と話しているのを聞いた私は、何とか話に加わりたかったのですが、おぼろげに「何やら意思疎通の手段が違うらしい」と思ったらしいんですね。それで、自分なりにその「言葉」を話してみたらしいのです。その意図が分かった両親は大笑いだったようですが、笑われた私の反応はどうだったのか。残念ながら完全に記憶がありません。

何かを伝えたいと言う気持ちがあって、心の中に明確な何かが浮かんでいたのは確かなのですが、それを上手く伝えられなかったというわけです。大人になってもそういうことはよくあるのですが、特に子供の頃のそういう経験は、今となっては自分が何を伝えたかったのかを知るすべがないだけに、「あの時自分はどんなことを考えていたのかな」と興味が尽きません。

気持ちを一生懸命伝えようとするといえば、新聞か何かで読んだエッセイに、こんなあらすじの話がありました(細部はちょっとあやふやですが)。棟上式だったかで餅まきがあった時に、小さな坊やが地面に落ちたみかんを拾い上げました。すると、殺気立ったおばさんが、それをむんずと掴んで奪い去ってしまいます。呆然と立ち尽くす坊や。それを見ていた小学生ぐらいの男の子が、自分が拾ったみかんをその子に渡してあげるのです。直後に坊やのお母さんがやってきて、男の子がそんな優しさを見せてくれたとは露知らず、みかんを持った坊やを抱っこして立ち去るのですが、坊やはお兄ちゃんにどう言って感謝していいのか分かりません。そこで、抱っこされたまま男の子を見ながら、何度も「バイバイ!バイバイ!」と手を振っていた。そんな話です。坊やとしては「バイバイ!」という言葉に万感を込めていたのでした。

バーバル・コミュニケーションだけれども、ノンバーバル・コミュニケーションに近いこういうことって、いろいろありますよね。個人的には、小学校1年生あたりに「到底」という言葉に妙にハマりまして、やたら乱発していたのを覚えています。何というか、その言葉でしか表せないような思いがあって、本来は使わないような場面で「とうてい」という言葉を口にしていました。

英語で言うとveryのような感覚だったような感じがするのですが、正確にどんな感情を指していたのかは、これも忘却の彼方です。

自分がどう感じていたかが思い出せなくて口惜しいと言うと、もう一つ、「懐かしい」という言葉があります。通訳学校の授業を受けていて、その訳としてnostalgicという言葉が上げられた時があって、それを聞いて「いや、『懐かしい』っていうのは、そういう平面的な感情じゃない。もっとこう・・・」ともどかしい思いを抱いたのです。つい最近、そうですね、1年ぐらいまでその「言葉にならないけれども、かなり明確なイメージ」があったのですが、最近になってそれが消えてしまっているのに気付いて愕然としています。「まあ、そんなところかなあ」と思っている自分が、何か大切な言語感覚を失くしてしまったという気がするんですね。何とか思い出したいものです。

通訳をやっていて、訳語がノドまで出てきているのに口から出てこなくて「・・・えー・・・」とか言っているのも、考えてみれば「あー、ぶっちゃかぶっちゃか」と似たようなものなわけで、そうするとほぼ40年近くおんなじことをしているわけだなあ、と眉毛をハの字にしてしまいます。

と、ここまで書いたところで、台所で騒動が持ち上がりつつあります。え?一切れだけ残っていたカステラがない?お父さん知らないかって?

・・・あー、ぶっちゃかぶっちゃか。
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2008年 6月27日(金) フレッヒ
アンティークが好き



 
 アンティークが好きです。

 実は家自体もアンティーク(約築110年)なのですが、
全面改装して、今は当時の面影を残しつつ
とても快適に住める家となりました。

 家はアンティークでも、ドイツ人相方の事や
私達のライフスタイルを考えると、テーブルに椅子中心の
生活ではあります。

 しかし、このローテーブルだけはどうしても
リビングの中心に置きたくて、
休暇を一回我慢しよう!と、即決しました。
(つくば市のコラボと言うお店にて購入)

 昔の農家の蔵の木戸(岡山産)を
研磨し直し、金具も一部付け替え、
強化ガラスを貼ってローテーブルにした物です。

 ドイツに住んでいたとは言え、靴職人である
ドイツ人相方と一緒に生活する様に
なって、物に対する考え方が私も変わって来ました。

 目を覆いたくなるような荒れ果てた古民家を
絶対素敵に蘇るはずだから頑張って
買おう!!と強く言い張った
相方。数々の幸運に恵まれましたが、本当に実現しちゃった。

 実家で埃にまみれ、捨てられそうになっていた
お婆さんの桐の箪笥2台も職人さんに研磨し直して
貰って、蘇った我が家に持ち運びました。

 

 
 また、お客様に通訳として同行し、ロンドンやパリでの
アンティークジュエリー
の買い付けや、骨董のオークションに顔を出せる様に
なったのも私に大きく影響しています。

  でも、残念ながらそのアンティークジュエリー達を
修理出来る人は、本国の英国やフランスにはもう
殆ど残っていなく、まだまだ職人制度が強く残る
ドイツに修理の依頼を出しているのが現状です。

 先日、我が家の屋根の土瓦が強風で何枚か吹っ飛んだ時も
土瓦専門の職人さんに、遠方からわざわざ来て貰いました。

 アンティークが好き。

 手を加え、直してあげながらでも
いつまでも長く使えて、心から愛せるもの。

 そんなものだけに囲まれ、
シンプルに暮らして生きたいと強く思う
今日この頃です。
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2008年 6月26日(木) みなみ
冬本番
 このところずっと、オークランドは秋にしてはめずらしくいい天気が続き、このまま春まで行ってしまうのか、とまで思うほどでした。ところが、昨日あたりから突然寒くなって、ひょうや雷、暴風雨となりました。いよいよ、冬本番です。
 今まで、雨と風ばっかりの秋、冬は憂鬱で大嫌いでしたが、秋らしくない天気が続くと、なんだか物足りなく感じるのが私にとっては大発見でした。
 それに、水がめが例年の半分を切ったということで、水不足、電力不足(こちらは水力発電がメイン)が騒がれていたので、ちょっとほっとしていたりもします。
 ただ、寒い。日本のがんがんと暖かくなる灯油のヒーターが恋しくなります。
 こちらでは、暖房は主に電気(オイルヒーターやファンヒーター)がメインです。
 そして最近、人気があるのが日本でいう「エアコン」、こちらでは「Heat Pump」です。なんでもエネルギー効率がこれまでの暖房器具よりいいそうで、脚光を浴びています。
 一方、昔ながらの暖炉は根強い人気があります。日本では暖炉がある、というと、なかなかゴージャスな感じがするように思いますが、こちらではかなり普及していて、スーパーではこの時期になると、当たり前のように薪が売られています。
 暖炉の付け方は、結構面倒です。まず、発火用の細い木(kindling)に火を付けます。このとき、紙を適当に入れて、kindlingになるべくたくさん空気と火が当たるように組み合わせます。
 そしkindlingがめらめらと燃え始めたら、熱源となる薪を入れます。これは、いかにも木を切った、という感じのものもありますが、細かい木屑を丸太の形に固めたタイプが良く燃えて、長持ちします。
 暖炉は暖かくなるまでに時間がかかるし、うまく配置しないと、途中で消えてしまったりするし、後に残った灰を片付けなくてはいけないし、なかなか面倒なものです。また、オークランドでは冬の大気汚染の7割ほどがこの暖炉の煙によるものとのこと。でも、こちらの人は暖炉をこよなく愛しています。確かに、めらめらとゆらめく火を眺めていると、なんだかぼおっとして、気持ちが静まっていく感じがします。
 そういえば以前、キウイで日本に来たことがある人が、「ほかの人と同じ空間に足を入れるなんて、不潔で、あんなものは本当に不快だ」と、こたつのことをいやがっていました。いわれてみると、確かにそうかも、と思いますが、でも私はやっぱり、こたつのあのぬくぬく感が恋しいです。
 あ、でも日本は今、梅雨なのでした。もし不快指数を上げてしまったら申し訳ありません!
 
* 7月1日訂正:kindlingをkindlerとしていました。申し訳ありません。(今日、段ボール箱の文字表記を見て気付きました)。

訂正ついでに我が家の暖炉をご紹介。
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2008年 6月25日(水) ぺこたん
徒然なるままに…
最近、この国の動向、この国で起こっている様々な出来事に触れるにつけ、何かこう、モヤモヤとした思いに駆られてなりません。

この国を覆う、重く陰鬱な空気。胡散臭い雰囲気。ギスギスした人間関係。
これはいったい何なのでしょう…。

“誰かと繋がっていたい”“みんなに分かって欲しい”
そう望むのなら、まずは自分から相手に積極的に歩み寄り、その思いをしっかり伝えなければ。そうしなければ、あなたの気持ちは伝わらないし、相手も心を開いてはくれないでしょう。
他者に対する思いやりや想像力を、育まなければ。
と同時に、ひとりの世界、自分と向かい合える、そんな強さも育みたいもの。

“友達探しにバーチャルな世界へ”
そうしてその“仮想空間”で展開されているのは、匿名者による匿名者に対する、重箱を突くような、執拗なまでの個人攻撃。殺伐とした世界。嗚呼。

“他人事ではない”
なんとも胡散臭い。
“まぁ取り敢えず今回は自分に降りかかった出来事ではないので、ひと安心だ”…という思いが、見え隠れしているような気がしてならない。
あぁ寒い。

“これだけ努力しているのに〜”
ひどく甘ったるい。言い訳、言い逃れにしか聞こえない。

“〜じゃないですか”
…って、何故わたしに確かめる? “〜だと自分では思います”…と、何故はっきり言わない! 自分の発言に自信がない? 責任を取りたくない?
いつも他人の顔色を窺ってばかり。他人任せ。
もっと自分で考え、自分で答えを出したいもの。

若者の海外渡航率の減少、貯蓄率の上昇。
おぉ〜、もったいない!
若い頃こそ、どんどん海外に足を運び、どんどんお金を使わなきゃ。そうして色々な人と出会い、色々な経験をし、色々な失敗をするのがいい。
それが後々の人生の糧になるのだから…。

“癒されたい”
現実逃避。あぁイヤらしい。
難題に直面したら、もっと正面からぶつかっていき、問題解決に挑むべきなのに。

“音楽に癒しを求める”
どうも落ち着きません、この言い方。だって音楽に対して、失礼でしょう! 音楽とは文字通り、“音”を“楽しむ”もの、“音”を“楽しく”感じること。人生や心を豊かにするもの。だから、音楽に逃げ込んで欲しくはないし、現在の“お疲れ気味社会”の中の胡散臭い流れに、利用されたくはないのですよ。

書店では、チャート上位入り作品を購入する人、増殖中?
本の好みは人それぞれ。十人十色。他の人が良いと感じても、自分もそう感じるとは限らないもの。自分の感性に合っていなければ、読む意味はないし、それはもう、時間とお金の無駄でしょう。
だいたい、みんなが同じ作品に、同じように感銘を受けていたら、物凄く不気味です。そんな社会、味気ないったらありゃしない。
もっと“自分”を信じて。自分の感性や思いを大切にすれば良いのに。

“品格”
“それ”を語った文章を読んでは納得すること自体、品格に欠ける気がしてならない。
だいたい“品格”って、なーに?
あぁ胡散臭い。

“セレブ”“〜ネーゼ”
薄っぺら。虚しい。くだらない。
誰かに踊らされてはいませんか?
素の自分は、どんな人?
分相応。それがいい。

“勝ち組、負け組”
誰かと比較し、そうして幸せを感じたり、不幸だと思ったりするなんて。嗚呼。
何とも空虚なお言葉。すべての悲しみの始まり。
ぺこたんがAさんになっても、幸せにはなれないし、Aさんがぺこたんになっても、幸せにはなれない。分かり切ったことでしょうに。
妬み、恨み、憎しみ。そんなの労力の無駄。疲れるだけ。心が貧しくなるだけ。
そこから新しい発想は、生まれない。

点数云々、成果主義。
あぁ辛い辛い。窮屈極まりない。
それじゃあ、心が病みますよね…。
“トップになる”。そこには、何がある? そうしてその後、何が待っている?

成績が落ちた?
だから、どうした! そんなことで人生、終わりはしません。案ずるに及ばず。
人間、得意不得意、生まれ持った特性や能力はあるもの。どうしたって。苦手なことは、どう取り組み、どう足掻いたって、どうにもならない場合多々あり。己の駄目な面を、潔く認めましょう。けっして恥じることはありませぬよ。無理しても、辛いだけ。だいたい、楽しくないでしょう? そんなもの、さっさと見切りをつけましょう。
←←ぺこたん、小3で算数(“数学”の前のヤツね)を見捨てました。それでもこうしてちゃんと(…たぶん…何とか…)社会人をやっています。
そういうことに時間と労力を費やすより、速やかに自分の得意分野、やりたいことを見つけ、そうしてそれにとことん集中した方が、どれだけ幸せか。
そういうことの許される、教育システムや社会であって欲しいもの。

仕事を通じて知り合った、その分野で活躍中の、才能溢れる素敵な人達。
彼等に共通するのは、早い時期に、自分達の“情熱を傾けられる分野”“心地良いと感じられる世界”を見つけ、そうしてその中で努力を惜しまず、自分に厳しく、邁進し続けてきたこと。
地位や名誉や他人の目やお金の為ではなく。
“自分の居場所探し”をしっかりやってきた人達。
一本筋が通っている。まるでブレない。あの信念、あの情熱。
そうして自分の行動に対する責任は、自分でちゃんと取るという態度。
かつ、とても謙虚。
幸せな人達。とても魅力的。深く尊敬します。

物事を複雑に考えるのはよそう。
そうして自分を大切にしましょう。そうすれば、他をも大切に出来ると思うもの。
それから、他との縁、関係、対話、思いやり、想像力。
その上で、誰もが他と比較せず、他の目を気にせず、内なる声に耳を傾け、自分の心地良いと感じる世界で、無理せず自分のペースでやってゆけたなら。
そうしたら、もっと豊かな社会、平和な国になるのに…。
そうしたら、人は幸せでいられるのに…。
これ、ごくごく単純な、そうして当たり前な話だと思うのですが。

……と、文章にすると、どうにも説教臭いわなぁ。そうして、とんだ夢見人に聞こえるかも知れません。
でも、でも……

♪You may say that I’m a dreamer, but I’m not the only one♪♪
“夢想家だと言われるかも知れないが、そんなのこの僕だけではないはず”

……と、ほらっ、あのジョン・レノンも、いつぞや“仲間”を募っていたでしょ?(笑)
その他

2008年 6月24日(火) さるるん@ロシア
Euro 2008
この前の土曜日(6月21日)、サッカーのUEFA Euro 2008でロシアがオランダを破り、準決勝への進出を決めた。試合開始は、モスクワ時間の午後10時45分。我が家はモスクワの都心から離れた住宅街にあり、普段は静かなのだが、この日は近所のどこぞかに集結したロシア人たちが試合前から盛り上がるのが窓の外から聞こえてきた。我が家でも夫がTVにかぶりつき。私は別室で週明け納品の翻訳作業…。

ロシアが先制ゴールを決めたときの近所の騒ぎと言ったら! でも、試合終了5分前にオランダに同点に追いつかれ、試合は延長戦へ。私も翻訳がほぼ完了し、延長戦から観戦。おもしろい試合だった。ロシアが追加点を決め、焦り始めるオランダ。終了間際にロシアがダメ押しのゴールを決めた時点でロシア人観客は勝利を確信し狂喜。うちの近所もこの決勝ゴール後、大騒ぎがやまず、道に出てきて「ロシア! ロシア!」と叫ぶものあり、車のクラクションを祝砲がわりに鳴らし続けるものあり、花火を打ち上げ始めるものあり。すでに午前1時をまわってるんですけど…。翌朝TVのニュースを見たら、市の中心部(赤の広場あたり)はものすごい人出で一晩中大騒ぎだったらしい。極東のウラジオストックで人々が喜ぶ映像も出ていた。

ヒディンク監督って本当にすごいんだね。試合後のインタビューで選手も「監督のおかげ」と口々に言っていた。日本にもヒディンクが来てくれないかな、でも、ロシアみたいにオイルマネー積めないから無理だろうな、などと思った。

実際、経済が好調なロシアは、このところスポーツでも勢いがある。先月、サッカーのUEFAカップ(欧州のクラブ対抗)でサンクトペテルブルクのクラブ「ゼニト」が優勝。このときも国中大喜び。大統領になりたてのメドベージェフが帰国したチームメンバーを迎え、はしゃぐ姿が、単なるサッカーファンのようだった。ロシアでサッカーと並んで人気があるのはアイスホッケー。こちらも、5月に世界選手権で15年ぶりに優勝。カナダで開催された選手権で、ライバル・カナダを決勝で破ったということで、このときの喜び方もすごかった。

以前、プーチン前大統領が、ソ連崩壊後の経済の低迷によりスポーツ振興に力を入れられない時期が続き、選手も、裾野となる子どもたちの能力も育たなかったが、これからはスポーツ振興に力を入れたいと言っていたと記憶する。ここ数年の好景気でスポーツに潤沢な資金が流れてきたことが最近の快挙につながっているようだ。

右肩上がりの経済。懐かしい…。ともあれ、勢いのある国で暮らすのは、おもしろい。
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2008年 6月23日(月) いぬ
「ニーズ創出」の観点から見た「通訳」の授業
ある大学の「通訳」の授業で、教育実習などで長期欠席する日本人学生が相次ぎ、ついに残った10人ほどの学生のほとんどが留学生という事態になってしまいました。しかも英語圏からの留学生は2人だけで、あとは香港や韓国など、日本語も英語もネイティブではない人ばかり。今までは「通訳教育を通した英語教育」というスタンスで指導を行なっていたので、これには考え込んでしまいました。

英語の発音指導やシャドウイングに力を入れると、英語ネイティブの学生たちが退屈そうだし、そうは言っても本格的な英日の通訳にはまだ日本語力が今ひとつ足りないという学力で、普通に通訳の演習をやればいいというわけでもありません。そこで日本語での訳出における様々なバリエーションを教えたり、ハイコンテクスト文化の言語である日本語をローコンテクスト文化の英語に訳出する際に補うべき情報などを指摘したりしていたところ、意外に好評でした。学生たちにすると、文法や読解の授業よりも、より実践的で「役に立つ」という気がするのだとか。

ただまあ、それも日本の英語教育において「コミュニケーション重視」の授業がもてはやされるのと同じような理由なのだろうな、と思います。

外国語の(すなわち、その言語を使えなくても社会生活において何も困らない言葉の)教育においては、いかにその言語を使う必要性、すなわち「ニーズ」を作り出すことが肝心です。一番手っ取り早い「ニーズ」は、「宿題」や「テスト」ですよね。その方面では「入試」やら「資格試験」などが一般的です。ALTの存在もやはり英語を学習する「ニーズ」を作り出すためのものでしょう。

数ある「ニーズ創出方法」の中で、今注目を浴びているのが「通訳をさせる」というものだと思います。非常勤講師として教えている3つの大学全てで「通訳」の名を冠した授業をしていますが、一定の効果は確実にある方法だとは思うのです。

しかし、あくまで「ニーズの創出」であって、英語を学ぶインセンティブにはなっても、「通訳」の作業としてみた場合、あまりに皮相なレベルにとどまってしまいがちなのも認めなくてはいけないでしょう。あの授業をもって「通訳とはこういうものだ」と思われても困りますし、授業中も本来の通訳行為はどうあるべきかをしつこく言い続けているのですけれども、実際には英文解釈の答えを口頭で言うというレベルを脱することは至難の業です。

個人的には「通訳」という行為を単に「ニーズ創出法」としてとらえている以上、いずれそのアプローチに対する批判が出てきて、また文法訳読型の英語教育の方に振り子が振れるようになるのではないかと思っています。それはそれで長い目で見れば健全な動きかもしれません。

まあ、日本の英語教育というのは「ダイエット」みたいなもので、本当に流行り廃りが激しいですからね。ダイエットがなぜあれほど流行り廃りが激しいかを考えてみると、日本の英語教育の問題点も見えてくるのではないでしょうか。

ただ、ダイエット法とは違って、アウフヘーベンを重ねて最終的にはより効果的な教育方法、学習方法を提示するところまで行かないといけないなと思うのです。それは現場での教育に携わる者と研究者とが協力して取り組まなければなりません。

松本道紘(道弘)氏は、「英語武道論」を唱えていますが、確かに英語教育と武道教育には共通することが多いです。文法訳読法が「基本稽古」「型稽古」だとしたら、「通訳」を導入した英語教育は「組み手」「乱取り」と言った試合形式の稽古に当たるでしょう。

ただ、「上達論」的な見地から見ると問題があるのも、英語教育と武道教育に共通しているのではないでしょうか。

嘉納治五郎は18歳で柔術の道場に入門し、23歳で「講道館」を興しました。その他の名人・達人と言われる人を調べてみても、5〜6年で「極意」をつかんでいる人が多いようです。あるサイトに書いてあったのですが、「人生50年」と言われていた時代に「20年から30年修行しなければ習得できない」という技術は意味がないわけです。

私自身の英語力を見てみても、人生80年時代を迎えたとは言え、中学入学から25年やってきてこのレベルと言うのは、何かが間違っているなと思います。

日本的な「道」の概念自体は素晴らしいとは思うのです。英語にしても武道にしても、進めば進むほど奥が深いのは確かな事実です。しかし、あまりにも入り口付近でいつまでもノロノロウロウロしつつ「奥が深いなあ」とため息をついているという状況は、何とかして改善していかなくてはならないでしょう。

武道教育の方は専門家に任せるとして、私も何とか「結果」を出さねばと思っています。・・・うーむ。やれることから取り組むしかないですね。

それはそれとして、このお腹まわりの贅肉、何とかしなくては。空手の夏合宿に出ることも決めたと言うのに、このままでは人間サンドバッグになってしまいます。・・・うーむ。こっちも、やれることから取り組むしかないですが、稽古の後のビールは格別に上手いんですよねえ。う〜む。
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2008年 6月20日(金) フレッヒ
ひゅうま君のこと
  

 私が育った田舎の近所に「ひゅうま君」と言う
年下の男の子が住んでいました。

 ひゅうま君のおうちは大家族。確か上に2人のお姉さん、
下に2人の妹さんが居たと思います。

 ひゅうま君はその名前ゆえ、小学校に行くと
いつもからかわれ、登校する前には自分で自分の
体を庭の木に縛り付けて、学校に行かないと泣き叫び
両親が毎朝木から引っ張り剥がすのが大変だったと
それを毎朝の様に見ていたと言う近所のおばさんに
先日たまたま聞きました。


 注:ひゅうま君は当時一世を風靡していた
漫画「巨人の星」の主人公、「星ひゅうま」にちなんで
名付けられた為。私もその当時は、「星ひゅうま!」
何て言いながら、ライターを目の近くにあてて、
(ひゅうまは精神的に燃えて来ると、目の奥にまで
 炎が灯り、文字通り燃えていた)
ひゅうまごっこをやり、前髪にライターの炎が付き、
前髪半焼と言う馬鹿な事になっていました・・・。

 私、当時同じ登校班だったのに、そんな凄い事
どうして覚えていないんだろう。

 その位、ひゅうま君は私の記憶の中では
とっても明るい子で、
町内の子ども会では人気者だったし、
皆をいつも笑わせていました。


 きっと学校以外でも遊ぶ事の出来る
たくさんの友達や、遊び場、つまり彼なりの
逃げ場がたくさんあったからでしょう。

 少し前からボクシングジムに小中学生が
数人来ていますが、とても大人しく、挨拶さえも
きちんと出来ない男の子たち。
でも、ジムに来るにしたがって
少しずつ表情が変わってきているのが目に見えて分かります。

 これはあくまでも私の想像ですが
何か彼らなりにストレスを抱えていて、
その逃げ場、ストレスのはけ口として
ボクシングジム来ているのか、
あるいは何かに対して強くなりたいと言う願望が
ボクシングを始めると言うきっかけになっているのでは
と思うのです。

 私の田舎や、今住んでいる土地にも
昔よりは減りましたが、まだザリガニ釣りや
糸トンボ捕りが至る所で出来ます。
そして子ども会など
地域の横の繋がりの活動も盛んです。

 そんなひゅうま君の話を聞いた日は
実家で「三峰様」と言う行事があり、
火から家を守る火難除の神様として有名な埼玉の三峰神社に
町内の殿方の代表が参拝に行った後、神社から持ち帰った
御札に近所の家主が集合し、祈祷して火災から
今年も町内を守りましょうと言う会に、私が実家の母の
代役として炊き出し隊に参加したからでした。

 公民館で殿方のための宴会の準備をし、
豚汁を作り、つまみを用意し、お酌をし・・・なんて
あ〜、めんどくさい!何でこう言う時に肝心の母居ないんだよ!
私はもう嫁に行った立場なのにィ
なんて思いながら、実家近くの公民館に向かったのですが
久々に近所の様々な世代の方々に遭遇し
懐かしい話も聞けて、考える事も多く、
こう言う行事も悪くないなあ〜と思った夜でした。
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2008年 6月19日(木) みなみ
文字を読むということ
 私は幼いころから文字を読むことが趣味でした。読書ではなく、文字どおり「文字を読む」ことです。幼稚園のころ、図鑑を買ってもらってはあきることなく眺めていました。
 小学生になってねだったのが百科事典です。今では電子辞書にすっぽりと収まってしまいますが、当時は本箱にずらりと並んで、なんだかいかにも威厳があって、大切な情報源、という雰囲気が漂っていました。
 そして学校から帰ると、「今日は『な』の巻にしよう」とおもむろに開き、じっと読んでいたのでした。
 確か大学生になったころに、母親がふと、「今だからいうけれど、百科事典を難しい顔をして読むふけっている姿を見て、一時は本当に、この子はどこかおかしいのではないかと心配した」と言いました。そう、私はマンガを読んで楽しんでいても、文字を読んでいるときは眉間にしわが寄るくせがあるのです。それにしても、そんな心配をされていたとはまさに親の心、子知らずです。よく黙って見守ってくれたものだと、感謝しています。
 私の小学校のころの悩みといえば、本を読むのが早いので、「ああ、また本を読み終わってしまう。どうやったらほかの人のように、ゆっくりと読めるのだろうか。どこか読み方が間違っているに違いない」というものでした。どうしてみんながあんなにゆっくりと読めるのか、不思議でたまりませんでした。
 その謎は、大学で心理学専攻の友人の「文字を読み取る能力」の実験体になって判明しました。ひらがなのカードが提示されてから文字として認識するまでの時間を計る、という実験です。その実験によると、私は「文字を認識する速度が異様に速い」ということでした。文字を見て、それが例えば「あ」という文字である、と脳が理解するまでの時間が速いそうなのです。友人からは、「認識が早くできるからって、それだけのことなんだけどね」と有難い言葉を頂戴しましたが、「それで、本を読むのが速いのだ!」と長年の謎がとけて、非常にうれしかったのでした。
 人には、なにかしら取り柄や能力があるのだと思います。それが芸術とか、スポーツとか、会社経営とか、美貌とかだったら、それはその人に名誉や地位、賞賛やお金を与えてくれることでしょう。
 私の才能はしょせん、「文字を早く読める」ことです。社会に貢献できる才能ではありません。でも、もしかしたら一生かかっても自分の能力がなにかを分からないままの人生だってあるかもしれません。例えばスキーの才能があるのに、赤道直下の国に生まれてしまうとか。それなのに、私は自分が持つ能力が何かを知っているのです!
 新しい分野の下調べをする際に限られた時間で資料を読むときなど、翻訳という仕事に、この「文字を早く読む」という能力は非常に役立つことがあります。自分の能力を知り、それを生かす仕事ができて、なんとありがたいことだろう!とふと思ったのでした。
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2008年 6月18日(水) ぺこたん
真っ赤っかの次は渋めの赤!
昔からとにかく、“赤”“赤系”が大好き。
“赤色”は、はっきりしていて、凛々しい。気持ちが良いし、断トツに美しい。
従って、プライベート・スペースの絨毯やカーテンやクッション、それから小物のあれこれに至るまで、周囲には何かと赤系が多い。
外出先で赤色の車を目撃すると、思わず追い掛けたくなりますし、この春には、某イタリアン・ブランドのショウウインドーに飾ってあった、“真っ赤っか”の皮ジャンにうっとり見入り、何度も行ったり来たりしましたっけ(結局購入しませんでしたが…)。それから、iPODのレッド版が出た時には、“あ〜、やられた!”…と思いましたし、2台目マウンテンバイクは、絶対にメタリック・レッド…と今から決めています。

そう言えば、
日本語には“赤色”を形容した、美しい言葉・漢字がたくさんありますよねぇ。
“紅色”“紅(くれない)”“唐紅”“深紅”“真紅”“朱色”“朱(あけ)”“茜色”“薔薇色”“緋色(ひいろ)”“臙脂(えんじ)”“薄紅色”“暁色”……。

それから、
赤は、自律神経を刺激するらしいです。まさに原稿書きの環境にも、ぴったり。赤系の色に囲まれていると、やる気が起きますし、新しい発想もどんどん湧いてきます。
余談―。

話しを戻して……

そんな中、つい先日、お気に入りの“真っ赤っかな子”が、ひとり静かにリタイヤしていきました。
この彼、付き合って間もない頃より、どうも様子がおかしくて。どうやら最初から相当の問題児だったようでして…。
従って、同じ“真っ赤っかな子”と暮らす友人は、1年もしない内に、さっさと見切りをつけ、新しい彼にお乗り換え。

一方、ダラダラと付き合い続けている私を見て:

友人 「あんなダメなヤツと、よーく続いてるねぇ」
ぺこたん 「うん、まぁ何とかやってるよ」
友人 「それってさぁ、ヘンなヤツだってことに、気づいてないってだけなんじゃないの??」
ぺこたん 「ん…?」
友人 「ほらっ、大雪が降ってるのに、まるで気づかずに、“今日は天気がいいねぇ〜”…って能天気にホザいてる…みたいなぁ〜」
ぺこたん 「………」
友人 「ほんと、ぺこたんらしいぜ、アッハッハ!」

まぁ、確かに、時々言うことを聞かない。それは感づいていました。でも、見捨てなければならない…というほどの状況でもなく。
だいたい、乗り換えるったって、“これだ!”と思う“新しい赤い子”とまるで出会えず。だから仕方ない。
同じ“赤系”でも、“美しい赤系”でなければ意味ないし。“ケチャップ系の赤”とか、“ピンク色に近い赤”は見かけますが、そんなの、絶対にダメダメ。まるで美しくない!
四六時中、付き合わなければならない相手。ですからルックス重視。見た目が素敵でなければ嫌。妥協など出来ない。
それでずっと、のらりくらり、この真っ赤っかと付き合っていました。

ところが先日、どうにもならない、決定的な状況に陥り、“これはもう、ダメだ!”…と匙を投げたのでした。
でも付き合い始めて、まだ3年半ほど。世間では2年くらいで、さっさと乗り換えるらしいですが、でも私にとり、3年半と言うのは、あまりに短い期間です。
でも、仕方あるまい。まるで使い物にならなくなってしまったのですから…。

と言うわけで先週末、さっそく“新しい子”を探しに行ったところ、タイミングよく、いましたいました、“美しい赤色”が…! これまでの“真っ赤っか”とは異なり、“渋めの赤”ですが。でもこれが、なかなかのルックスです。
それで迷わず、さっさと自宅へ連れて帰って来ました。

そうしてこの数日間、あれこれ相手しているのですが、これが前の子よりも、色々な面で優れているので、驚きです。僅か3年半でこんなにも違うとは! 素晴らしいです。とてもスリムですし、軽いですし、触れた感じもなかなか。性格も穏やかで、声もソフト。ただひとつの難点と言えば、海外が苦手だということ。まぁその時はその時で考えます。
それにしても、これで4人目とは!
今度は、長い付き合いでありますように……。

≪部屋でくつろぐ現在の彼≫
↓ ↓ ↓ ↓ ↓

追伸: “新しい彼”が紹介されているカタログ(6月号)のb4-5頁に、私の大好きな写真家・岡嶋和幸氏の、とてもロマンティックで美しい作品&文章が掲載されています。お近くのソフトバンク店などにお立ち寄りの際には、ぜひぜひお手に取って見てください。
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2008年 6月17日(火) さるるん@ロシア
備えあれば
このブログ、本来ならば曜日が火曜に変わると同時に更新の予定だったのですが、今回はロシアのプロバイダーのシステムトラブルでインターネットに接続できず、書き込みが遅くなってしまいました。何度もプロバイダーに電話をかけたけど、今回のトラブルは深刻だったようで、復旧に丸一日以上もかかりました。ちょうど翻訳依頼がないときだったから、クライアントにご迷惑をおかけせずに済んだのが不幸中の幸い。同業の先輩に、いざというときのために複数のインターネットプロバイダーと契約しておいた方がいいと言われ、この秋からもう一社と契約しようと考えていた矢先のできごとでした。

今回の事故とは別に、もうひとつ怖い話が。近々、うちのエリアの市外局番が変わるらしいけれど、その予定をはっきり教えてもらえないのがロシア。大家さんから「6月16日から7月16日の間に市外局番が変わるけれど、正確にいつかはわからない。変えるときには、工事をするので2、3日電話が不通になる」と言われたときには絶句しました。2、3日電話が使えないだとぉ! それがいつかはわからないだとぉ! 怖くて仕事できないじゃないの。(いざというときには友人宅のインターネットを使わせてもらえるよう手筈を整えておかねば)

こういうことを考えると、たぶん普通の電話回線での契約の他に、携帯電話とかケーブルとか何か別のものを利用して別のプロバイダーと契約すべきなのかな。

7月初めに帰国予定ですが、東京に着いたら即ノートパソコンを買う予定。先月、日本から持って来たPCが壊れて以来、夫のPCを使って仕事をしているのですが、OSもMS Officeもロシア語版なので使いにくいの何のって。(こっちには、日本語版はおろか英語版もない) それに、サブ機がないというのは不安なものです。

極度にPCとインターネットに依存した生活だから、万一のときに備え、もっと環境を整えなければ。他のフリーランス翻訳者の皆さんは、どのようにされているのでしょう? 
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2008年 6月16日(月) いぬ
2038年の夏休み日記
「8月10日

きょうは、お父さんと県立はく物かんに行きました。ぼくは、バーチャル見学でもかわらないじゃないと言いましたが、お父さんは「何を言ってるんだ、こういうのはちょくせつ行くのが楽しいんじゃないか」と言っていたけれど、何が楽しいのかぼくはわからない。

お父さんは「いいか、きょうはお父さんがこどものころとおんなじやり方で何でもやるぞ。べんりさに、なれすぎちゃうと、いけないからな」と言って、「かぎ」というものをとりだしてげんかんをロックしました。えきまであつい中を歩いたので、くたくたになりました。でも、チップカードがないからジュースもかえません。お父さんは、カードをつかわずにリニアトレインにのろうとしたけどのれずに、「いつからきっぷは、はいしになったんですか!」とあん内ロボットにおこっていました。それを見てぼくは、ははあん、またお母さんにしかられてチップカードをとりあげられたなとおもいました。

はく物かんにつくと、けっこう人がいたけど、カードをつかえないので人のいるうけつけにならびました。あつい中ずっとならんでクラクラしました。

中にはいると、お父さんはきゅうにいきいきとして、「ほら、今日は平せいじだいかいこてんなんだ」と言いました。平せいというのは、ぼくが生まれるまえの時代のことです。「見てごらん、本があるぞ。かみの本なんかみたことないだろ」とお父さんはいばっていましたが、かみの本ぐらい、ちゃんときょうか書のスクリーンで見たことがあります。

「むかしのしょく業」というコーナーでは、「つうやく」という仕事のしょうかいをしていました。スーパービジョンじゃないので、ずい分古い感じだったけれど、むかしのようすをうつしたビデオもありました。

今は言葉がつうじない人とも、手のひらにのるぐらいのつうやくきでお話ができるけど、むかしはつうやくきはなかったので、にんげんがきかいのかわりにつうやくをやっていたそうです。

それは、つうやくをする人は、「つうやく者」といって、2つとかそれいじょうの言葉を話せるように、それから、どんな内ようを話されても大丈夫なようにべん強したそうです。ぼくは、うちあわせとか、かん単な内ようなら、自分たちで言葉をべん強した方が、ずっと手っとりばやいのにな、と思いました。

お父さんにそういうと、「それは、つうやく者の人たちがやっていたべん強ほうが広まったから、早く言葉がみにつけられるようになったんだぞ。まあ、そのおかげでつうやく者の仕事がなくなっちゃったのは、ひにくだけどな」と、かおをしかめていました。

でも、まい日一生けんめいやっている仕事の内ようを、何日かんかであたまに入れるのは大へんなんだから、話しあいがしたい人たちが言葉ができるようにした方がよっぽどみのりがあるような気がします。

「つうやくって、どうやるの?」とお父さんにきくと、「まあ、見てろ。そろそろはじまるぞ」と立体スクリーンを見ています。ぼくは何だろうと思ってみていたら、スクリーンにおじいちゃんが出てきて、びっくりしました。でも、むかしなので、おじいちゃんもお父さんと同じぐらいで、若かったです。

おじいちゃんは、英ごを日本ごに、日本ごを英ごにしていました。ぼうをつかって、かみをなぞっているので「何をしているの?」とお父さんにきいたら「何って、メモをとっているんだよ。話の内ようをわすれないように」とおどろいたかおをしていました。ぼうの先からは黒いインクがでて、かみに文字がかけるんだそうです。かみは高いのに、あんなに何まいもつかっていいのかな、だからおじいちゃんは今もびんぼうなのかなと思いました。タッチパネルと電子ペンの方が楽なのに。

さいしょのうちは、かっこよくつうやくしていたおじいちゃんですが、と中から、だんだんかおが赤くなったり青くなったりして、あせをたくさんかきはじめました。ぼくは「ねえ、お父さん。もしおじいちゃんが、お話をききまちがえたらどうなるの?」とききました。おとうさんは、むずかしいかおをしながら「うん?そりゃあ、ごやくって言って、つうやくまちがいになる」と答えました。やっぱりきかいの方が正かくだと思います。あっしゅくマッチングしきなら、ほとんどききまちがいはないそうです。

やがておじいちゃんは、ポツポツとしか話さなくなってしまったので、「お父さん、つうやく者が話しまちがえたらどうなるの」と聞くと、「それも、ごやくだ」と、お父さんはスクリーンを見つめながらうめくようにいいました。そのあと何か小さくつぶやいて、やれやれと首をふって、「もう行こうか」と言いました。ぼくは、それならやっぱりつうやくきをつかった方が、まちがいがなくていいなとおもいました。スクリーンでは、おじいちゃんがおしぼりやコップなどをきようによけていました。まわりの人がドッとわらったので、何だかちょっとはずかしいような気もしたけど、おじいちゃんだってがんばってるんだから、わらわなくてもいいのになと思いました。

はく物かんのほかのへやを見ながら、おとうさんが話してくれました。今では、にんげんのつうやく者は、ものすごく上手な人いがいは、いなくなったそうです。会社のバーチャル会ぎしつでも「今日はにんげんのつうやく者が来ています」というと、「ほお、それはすごい。さい玉ししゃは、よさんがじゅんたくですなあ」と言われてうらやましがられるそうです。むずかしいことばでうらやましがるんだなとおもいました。

あと、「おばあちゃんは、げんえきつうやく者の1人なんだから、すごいんだぞ」と言っていました。おじいちゃんは、つうやくをするのはあきらめて、一生けんめい英ごをおしえたんだそうです。それでぼくが中学校に入ってから、はり切って英ごをおしえようとしたんだなと思いました。

はく物かんから出ると、おじいちゃんとおばあちゃんとお母さんとおばちゃんがまっていて、手をふっていました。お母さんは、お父さんをちょっとだけこわい目で見たあと、クスリと笑ってこっそりお父さんにチップカードをかえしました。きゅうに元気になったお父さんは、「さあ、今日はお父さんのたん生日だ!みんなでごはんを食べに行こう。いでん子組みかえのじゃなくて、本物のおにくを食べるぞー!いぬお、いっぱい食べろ!」と言いました。

あつくて大へんだったけど、さい後においしいものが食べられてよかった。

2年A組 犬田いぬお」


「・・・なるほどねえ、いぬおクン。楽しい一日で、実に良かった。先生も嬉しいよォ」

そう言って猫山は、眼鏡の奥の目をギラリと光らせた。

「それで、だ。犬田クンは、今年でいくつかなあ?」

スクリーンが勝手に猫山のドアップになる。おお、見事な青筋。

「じゅう・・・四です。イテッ!」

バーチャルチョークか。こんなところまで忠実に昭和を再現してるんだから、いやになっちゃうよなあ。この間はバーチャル黒板消しで頭を叩かれたし。

「犬田ァ!お前、作文の宿題にオートマティック・コンポーザーを使うたあ、いい度胸だ!ただな、小学校と中学校を設定し間違えたのは、つめが甘かったんじゃねえか?」

バーチャル教師・猫山の怒号に、スピーカーからサラウンドでクラスメートの笑い声が聞こえる。クラスメートの方は本物だ。関東一円からこの「昭和学園中学」のバーチャル教室に参加している。そのぐらい広い地域から集めないと、定員を満たせないんだから、少子化もここに極まれりだなあ。イテッ!

「こらあっ!話を聞かんか、犬田!いいか、作文は再提出、罰としてシステムメンテナンスと俺のバージョンアップだ。この前みたいに妙なウイルス紛れ込ませやがったら、承知しないからな!」

「えーっ。僕、そんなことしませんよう。」

「ふざけんな!先月俺に猫ひげと猫耳生やしたのはお前だろうが!デバッグに2週間もかかったんだぞ!」

そう言いつつさらにバーチャルチョーク。これは狙いが外れて前に座っていた村やんを直撃した。

「先生、とばっちりは勘弁してくださいよお」

「うるさーい!」

2発目、3発目と連射されるバーチャルチョークを紙一重でかわす。スピーカーからはクラスメートの笑い声と拍手が響いた。歴史は繰り返すってやつだろう。ああ、やっぱり僕はおじいちゃんの孫なんだなあ。そうしみじみ思いつつ、僕は華麗にステップを踏み続けるのだった。
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2008年 6月13日(金) フレッヒ
ボクシング ボクシング!
  


 前回、今私の仕事の合間のストレス解消は
ボクシングと書きましたが、ストレス解消と
思えない時も、実はあります。

 やはりこの季節にサウナスーツを着用して
トレーニングすると、30分位のメニューでも1キロ位は
軽く落ちるので、やっている最中は解消なんて言葉は
吹っ飛んで、ただただ、つ、つらい。

 


 
 この写真は去年の夏で、もうサウナスーツを着る事を
諦め、私は普通のトレーニングウェアーを着用しています。

 ここのジムの素晴らしい所は、
(世の女性陣、心して聞くが良い。ィヒヒ)

 何と攻撃の練習を男性とさせてくれる事。
男性はディフェンダーとして一切攻撃は出来ません。
女性はその間、好きに攻撃していきます。
(写真がそうです)

 でも、最近ではヘッドギアを着用して
男性や女性の上級者と対戦する事もあり、ちょっとした
怪我は絶えません。

 でも、格闘技をしていれば、それはお互い様。
でも、ヘッドギアやプロテクターなしのプロの試合に
出る事は技術もさることなら、私には無理だと最近
男性と対戦した時に星が見えて、無理と悟りました。

 対戦と言うか、男性が攻撃で、私が守り、
男性が私に好きに攻撃できると言う練習をした時に
(写真の逆バージョン)
綺麗にフックが脳天に突き刺さり、しばらくぼ〜っと
するほどでした。苦笑
ィヒヒなんて思ってやっているから、
きっとバチがあったのです・・・。

 通訳者としてこれからも仕事の方も
もちろんやって行きたいので、ほどほどに、でも楽しく
トレーニングして行こうと誓った日でありました・・・。

 でも、女性にボクシングは本当にお勧め。
時間のない人には特に。
短時間で大量の汗をかけて、
大変効率的にダイエット出来ますよ^^
普段なかなか使うことのない、背中や腕周りの
の筋肉がきっちり鍛えられます。

 あと、5キロ減。頑張ります。
(遠い目・・・)
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2008年 6月12日(木) みなみ
ある日のスーパーにて
 今日はスーパーに買い物に行ってきました。すると、靴をはかず、靴下姿の女子高生がいました。なぜに靴下? その横にはお母さんらしき人もいましたが、注意しないのかしら。それとも、今日はどうしても靴をはきたくなくて、お母さんの了承済み? ちなみに一緒にいた弟らしき男の子はきちんと革靴を履いていました。
 さすがに寒くなってきたからか、今日ははだしは小さい女の子1人しか見かけませんでした。夏だと、もうごくごく当たり前に、老若男女がはだしで買い物をしています。もちろん、足の裏は真っ黒です。
 以前、とても込み合うショッピングセンターではだしの男の子の足を踏んでしまって以来、はだしには敏感です。すごく痛そうにしていたので、もちろん平謝りしましたが、心の中では「はだしで、こんな人ごみを歩くなよー」と言いたかったです。でも、その子のお母さんに思いっきりにらみつけられて、言えませんでした。はい、悪いのは私ですから。
 さて買い物を終えて、外に出ると、明らかにパジャマの女性がごく当たり前に私の前を横切りました。確かに日が暮れるのは早くなり、もう真っ暗ですが、まだ6時です。それに、いくらスーパーとはいえ、そもそもパジャマで外出できるものか? 
 頻度ははだしほどではないとはいえ、パジャマ姿は結構、見かけます。この地域は一応、閑静な住宅街のエリアで、パジャマしか着るものがない、ということはないはずです。なぜにパジャマ? 日本で30年以上生活した間には、スーパーでパジャマ姿の人を見かけたことはなかったと思います。
 ということで、スーパーでの買い物一つとっても、異文化体験ができるというご紹介でした。
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2008年 6月11日(水) ぺこたん
お国柄!?
先日、あるイタリア人ミュージシャンにインタビューしたのですが、この人がまぁ、陽気で面白くて…。
“この話はもうしたっけ?”とか、“ここだけの話だけど”…などと言いながら、もう喋りまくり、脱線しまくり、こちらは笑いっ放し。で、結局、“私の質問、何でしたっけ?”、“あっ、何だっけ? 俺も覚えてない!”…と、まるで収拾がつかず。予定の30分が過ぎ、聞きたいことの半分も聞けていないことに気づいた頃には、そうとう焦り始めましたが。でも後に予定が入っていないことを確認し、結局そのまま1時間半話し続け、やっと聞きたいことをすべて網羅。
通常1本のインタビューは、30-40分ですから、これは驚異的な喋りっぷり。編集に当たる雑誌担当者が、とても困っていましたっけ(笑)。
で、この人、“いやぁ〜、何たって俺は、話好きのイタリア人だからさ。ハハハ。楽しかったなぁ。また話そうぜ!”…と言っていまして。イタリア人はやはり、自他共に認める“そういう人達”なのですねぇ。いやはや。

私は“この国の人達は〜”とか、“あの国の人達は〜”という言い方は、あまりしたくはないのですが、でも、“あぁ、国によって、色々あるなぁ…”と痛感する場面にはよく遭遇します。もちろん、同じ国でも色々なタイプの人がいるわけですし、音楽業界という限られた世界の中の、ハードロック&ヘヴィメタルという、これまた限られたタイプの音楽をやっている人々、おまけに私の限られた経験の中での感想なのですが…。
でもこの仕事に携わるようになり、世界各国の人々と話す中で、それぞれに愛すべき特徴があるのは、確かなような気がします。

まずはアメリカ人とカナダ人。同じだと思われがちですが、はっきりいって違います。カナダ人は、“自分達の方がlaid-backだね”…と形容し、アメリカ人と一緒にされるのを嫌がります。アメリカ人の方がサービス精神旺盛で、カナダ人はどちらかと言うと、とてもマイペース。ライヴでの盛り上がり方も、その性格がそのまま出ている感じです。
ドイツ人は、ミュージシャン特有の色気は、あまりありません(笑)。でも堅実な人が多いです。1年前のインタビューの内容をちゃんと覚えていますし、約束は絶対に守ってくれますし、メールで何かを問い合わせても、即答してくれて感動したことが、1度や2度ではありません。
スウェーデン人、ノルウェイ人、フィンランド人は、素朴で穏やかな人が多いですね。“僕達はカナダ人に似ていると思う”…と言っていた人もいました。それから、全米ツアー終了直後に来日したアーティストに、開口一番、“あぁ、日本へ来るとホッとする”と溜息交じりに言われ、笑ってしまったこともあります。
余談ですが、“なんで日本人はオーロラのことで騒ぐんだ?”…と不思議がられたことが、何度かあります。自分の家や別荘から、毎日“太陽や雲のように”当たり前のように見えるのだとか。羨ましい。
そうそう、あるフィンランド人に、“僕達はスウェーデン人とノルウェイ人とは、文化も歴史も異なるんだよ”…と言われ、勉強不足の私は、びっくりしたこともあります。

さて、逆に彼等の日本及び日本人評というのが、また笑えるくらいに共通しています。
みんな必ず言うのは、“観客がじっくり音楽を聴いてくれる!”…との感想。ホテルや移動中に出会うファンの礼儀正しさにも、いつも感動しています。
“インタビュー時間もリハーサル時間も、とにかく時間どおりに進むので、とても気持ちが良い”…ということも。ラテン系の人達は、特に感動していますね。最初は戸惑っていますが、でもこれがだんだん、快感に変わっていくようです。
あるイタリア人も、言っていました。“初来日時、とにかくインタビュー・スケジュール表を見て、驚いたよ。だって3時40分から4時10分までってインタビューまであるんだぜ!”…と。はい、それは普通にあることです。でも、そんな“半端な時刻”に始まり、“半端な時刻”に終わるなんて、実際は無理だろうと思っていたら、そのとおりに進行したので、驚き&感激したのだとか。自国では、3時か4時か5時か…と、つまり、ピッタリの時刻始まりしか、絶対あり得ない。だいたい、予定どおりにことが進むことはまずない…と。
でも離日までに、そういう日本にすっかり慣れ、居心地良くなっている自分に驚き、帰国後いつもの“イタリアン・タイム”に直面し、逆カルチャー・ショックを受ける…のだとか。可笑しな話。

話変わって、同じハードロック・ヘヴィメタル界でも、その国特有の“音”というのも存在します。
アメリカには、明るくスケールの大きく、エンターテイメント色の強い“アリーナ・ホール・バンド”が存在します。それから80年代に一世風靡し、最近再び盛り上がっている“LAメタル”。クレイジーでダーティーでセンセイショナルでグラマラス。まさにザッツ・ロサンゼルス! そう、私の大好きなタイプですが、これは他の国の人々には真似の出来ない、独特のサウンド&ノリですね。
一方、ドイツや北欧には、非常に抒情的で壮大な、“様式美”追求型のバンドが多いです。
思い出しましたが、あるフィンランド人は、“俺達の国は白夜が長いから、飲むか自殺するか曲を書くか、それしかやることないんだよなぁ”と、冗談交じりに言っていましたが、彼等の曲には、憂いに満ちた物悲しい作品が多いですね。
逆に、故国ドイツからアメリカ・カリフォルニア州へ移住した、私が“神”と崇めるアーティストがいるのですが、切なくも美しい旋律を生み出していた彼が、パームツリーの下で生活するようになってからというもの、音がガラッと変わってしまいまして。“昔のような音が出せないんだ”と、御本人も認めていましたっけ。うーん、難しい。

余談ですが、パート別の性格というのも、少しあるんですよ。
バンドのヴォーカリストは通常、曲づくり担当であり、とても話上手なので、インタビュー担当の人が多いですね。ベーシストは、縁の下の力持ち。インタビュー中も寡黙、前面に出ることはないものの、時々素晴らしい一言を発したりと、良い味を出していて、なくてはならない存在。そうしてドラマーには、明るくヤンチャで、バンド内の雰囲気作り担当、盛り上げ役が多いです。

最後に、こちら以前に読んだものですが、なかなか面白かったので、ご興味おありの方は、ぜひ:
『世界の日本人ジョーク集』(中公新書ラクレ)
その他

2008年 6月10日(火) さるるん@ロシア
義母の住む町
…に行った方がいいんだろうな、と思う。
孫の顔が見たいだろうな、と思う。

6月12日はロシアの日という祝日。この日から4連休。何かと予定がつまっているので、この連休を逃すと、しばらく行くチャンスはない。

でも、モスクワから夜行寝台列車で半日がかりで行かなくちゃならない。夫は「行くなら二人(私と娘)だけで行ってきて」なんて言うし。ついつい億劫になってしまう。

小さな湖があるほかは何もない小さな町です。



町並みはこんな感じ。喫茶店もありません。



モスクワで一緒に暮らすつもりでロシアに来たけれど、義母はこの町を離れるつもりはないらしい。(数年前に引越してきた町で、義母が生まれ育ったところでも何でもないんだけど)

孫の顔は見せたいけれど、
湖のそばでぼーっとしていたいけれど、
いかんせん行くのが大変で…。
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2008年 6月 9日(月) いぬ
格闘技と英語学習
5月30日のオフ会では、とても楽しいひと時をすごしました。関係者の皆様、ありがとうございます。

さて、私はというと、集まった方々のお話を聞くのが楽しくて、あちこちの人の輪に首を突っ込みつつ、例のごとく飲んだり食べたりに心血を注いでおりました。

そんな中、フレッヒさんが「ボクシングをやっているんです」とカミングアウト。おお、同好の士が!と喜ぶ私。実は、メタボの体に鞭打って、数年前からフルコンタクト系の空手道場に通っておりまして(稽古の後のビールが美味しくて、結局体重は大して変わらず)、この4月からは息子に伝統派の空手を習わせ始めたついでに、私も同じ道場に通い始めたのです。

女性でボクシングをなさっているのにも興味がありますが、それ以前に簡単に顔面に(寸止めですが)突きをもらってしまう私としては、何か有益なアドバイスがもらえればと思いつつ、いくつもの武道の有段者でもあったフレッヒさんと、会場の隅で「顔面のガードが・・・」なんて格闘技談義に花を咲かせておりました。

しみじみ思うのですが、英語学習と武道の稽古には共通点が多いです。まずは基本動作の反復から入り、条件を限定して(例えば中段の突きのみとか、一定のコンビネーションのみとか)技を出し合う練習から、制限の少ない試合形式の実戦的な稽古に進んで行くというステップは、そのまま「発音」「文法」などの反復練習と習得、「ある条件を与えた上での会話練習」、さらに「スピーチ」「ディベート」などの高度なコミュニケーション行為へと進むというカリキュラムに当てはまります。

この場合、大切なのは基本の地道な反復です。どうしても学習者は「試合形式の実戦的な稽古」に目が行きがちになりますが(英会話学校などでの「フリー・カンバセーション」人気を見れば分かるとおり)、それだけでは英語力(特に会話力)の伸びはあるレベルまで行って頭打ちになります。

当たり前の話ですが、練習試合ばかりをやっていても、勝てるようにはならないということですよね。もちろん実戦的練習も大切なのですが。

昨今の「コミュニケーション重視」大流行は、実戦的な練習を積む機会を与えるという点では有効なのでしょうけれども、そのうち「非実用的」と言っていったんは切り捨てた「文法訳読方式」に原点回帰するのではと個人的に思っています。

空手でも、実戦的稽古中心のフルコンタクト空手をやりこんだ人が、型稽古の意義を再認識したりすることが多いように、ある程度話せるようになった人が「あ、文法はきちんと理解しなきゃね」「発音を、もう少し磨いておこう」と思うようになるような気がするのです。

そうなったときに、そのニーズに応えられるような選択肢を、教育界がいかに揃えておくかが肝心でしょうね。日本の教育界、特に英語教育界は「この教育法が良い!」となると、ねこも杓子もそちらになびきがちな側面がありますから、長年かけて積み重ねてきたものを整理して、すぐに活用できるような形にしておくことが大切だと思います。

そのために、通訳トレーニングや通訳の基礎トレーニングが使えるだろうと踏んでいるのですが、きちんと形にしておきたいですね。

さて、そろそろ息子を道場に連れて行かねば。
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2008年 6月 6日(金) フレッヒ
オフ会@青山ムウムウカフェ


 画像が鮮明でなく、ごめんなさい!
そして夜で外観がはっきり見えませんが、
青山一丁目駅から徒歩5分ほど、246号を路地裏に
入った所にひっそりと佇む落ち着いた
ハワイアンカフェ「ムウムウカフェ」にて。
普段こちらハイキャリアHPで
記事・ブログを書いている通訳・翻訳者
のオフ会がありました。

 再度プライベートでもランチにゆっくり来たいな〜と
思う位、可愛いカフェ。
きっと天気の晴れた日にゆったりとランチしたら
気持ち良さそうなカフェ。え?と思うぐらい246号から
一本入っただけでとっても静か。

 美味しいお料理&飲み物
盛りだくさんの大変充実!なオフ会でしたが、
やはり何と言っても
普段このHPの文面でしか知る事の出来ない方々と
お会いできて、実際にお話しすることが出来、
楽しかった〜^^ 
本当にこの様な機会を与えて下さった工藤社長、
心より感謝です。
しかし、あっという間の3時間で
お話出来なかった方も多かったのが心残り。

 ハイキャリアの新入社員の皆さんが
会のために趣向を凝らしたビンゴゲームを。
彼らが用意したお題、例えば「仕事をしていて得した事は?」
などのお題に答えながら、数を塗り潰して行きました。
皆さん出る出る仕事でのエピソード。たくさんの現場で
活躍なさっている通訳者・翻訳者達ですし、また社会経験も
豊富な方達が多いので、そのお話の数々には
本当に笑いあり驚きあり。

 この記事をちょっと修正している今も
当日会場にいらしていたアマンダさんのレシピで
「変わりご飯 リゾット風 ピラフ」の下準備を
しています。私は本当に食べる事、飲むこと、
食に関することが大好きなので、
いろいろなアレンジを加えたアマンダさんのレシピは
大変参考になります!



 


 
 





 



 仕事で得した事と言えば、
私はやはりジュエリーの仕事が多いので
芸術家や業者から直接ジュエリーをプレゼントされたり
卸値よりも安い値段で購入できる事が一番の役得かな。

 でも、一番皆に驚かれたのは
私がボクサーであると、告白?!した事。
ストレス解消とダイエットも兼ねて、約1年半ほど前より
ボクシングジムでトレーニングしています。
長い出張の後、または翻訳で行き詰った時、
以前はフィットネスジムに通い、好きな入浴剤で
ゆっくり入浴と言うパターン
でしたが、フィットネスジムには通わなくなってしまいました。
時間のない時でも、次のトレーニングで
体が辛くなるのが嫌なので、30分だけでもジムに行くように
しています。30分集中してトレーニングすれば、
1キロは落ちています。(私の場合、今減量しているので
サウナスーツ着用)
出張以外で自宅に居る時には
週3〜4回は行っているでしょうか。

 ちなみにボクササイズではありません。
ボクシングです。
アマチュアですからプロテクターは着用します。

 これにこのリレーブログの「犬さん」
が飛びついてくれて、2人で
熱く格闘技について語り合ってしまいました^^

 次回はその私のストレス解消の源、ボクシングについて
レポートしたいと思います。
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2008年 6月 5日(木) みなみ
果物の食べ方
 ニュージーランドに来てびっくりしたことの1つに、果物の皮をむく習慣がない、という点があります。さすがにバナナはむきますが、リンゴはもちろん、プラムやアプリコット、さらには毛の生えた桃やキウイまで皮ごと食べてしまうのを目撃したことがあります。
 皮をむく、というのはこちらの人にとってはかなり面倒な行為であるか、むくことを思いつきもしないか、といった感じです。みかんはSatsumaという品種が出回っていますが、これの売り物は「皮がナイフなしでむける! テレビを見ながらでもOK」です。
 また、こちらのブドウは身が皮がぴったりとひっついて、日本のブドウのように、皮がするりとむけません。さらに、口に入れたものを出す、ということが大変なマナー違反なので、ちゅっと果肉をすくって、皮を取り出して、ついでに種までペッと出してしまう日本のブドウの食べ方は不可能といえます。どうしてもいやなら、ちまちまと指先で一つひとつむいて、種をほじほじしていくしかありません。
 我が家の娘は、去年、日本に帰省して小学校に通っていたときの給食で出たブドウ(どうやら巨峰)を皮ごと食べてしまい、周囲の子供たちに驚愕されてしまったそうです。
 「ママ、日本ではブドウって皮、食べないんだねー。みんなにびっくりされちゃった」という夕食時の発言で、この「とんでもない行動」を知った次第。


 
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2008年 6月 4日(水) ぺこたん
武蔵野☆1日ツーリング
先週末、目覚めたら、あまりに心地好い朝だったので、神代植物公園方面へ行くことにしました。
さっさと朝食を済ませ、野球帽&サングラス&グローブ、ジージャン&ジーパン姿でリュックサック背負い、マウンテンバイクに跨り、いざ出発!
住宅街を抜けた途端、目の前に広がる景色は、こんな感じ。
多磨墓地(与謝野晶子さんや岡本太郎氏など)や、数々の公園が点在する、緑の多い美しい一本道です。

途中で、野川公園に立ち寄ります。
都内とは思えないような雄大な風景を前に、うっとり。しばらくベンチに腰かけ、水分補給しながら、思い切り深呼吸。

そうして再び愛輪に跨り、左右の景色を眺めながら、のんびり流します。
途中から、道がこのように歩行者用&自転車用に分かれます。素敵。


自宅を出てから約1時間、第一目的地、神代植物公園に到着。
さっそく愛輪を正門前に停め、500円の入園料を払い、中に入ります。

この植物公園には、つつじ園、さくら園、はなみずき園などがあり、春夏秋冬、楽しめるのですが、今はちょうどバラの季節(少々遅かった気もしないでもないが…)。


これ、“賛歌”というバラ。名前がとても気に入りました。


近くには、こんな美しい池も。


散策の途中で“バラ・ソフトクリーム”を…。うーん、なかなかの美味! 甘いもの好きとしては、ハズせません。

その後、裏門からいったん出て、深大寺へ。
そうして昼食。有名な深大寺そばを食します。
記念に“深大寺・耳かき”を購入。そう、耳かき。モノを収集することに、まるで興味のない私が、唯一集めているもの。旅するたびに、1本ずつ確実に増えています。

 で、この子は、深大寺の守り猫。御利益があるのか(?)、頭を撫でる人の行列が出来ていました…が…御本人はひたすら、こんな感じ…。

その後、裏門から再入園。雑木林をボーッと散策しながらの森林浴。


そうして約3時間。正門から出て、再び愛輪に跨り、さぁ何処へ行こうかなぁ……と考えながら、取り敢えずは、のんびり来た道を戻ります。
そうして途中、国立天文台方面へ折れます。
そう、此処は天文学の研究をしている施設。木々に囲まれた、とても静かな場所にあり、一般公開もしているようなので、次回は立ち寄ってみたいと思います。

そうこうしている内に、調布飛行場が目の前に見えてきます。
私の大好きな場所のひとつです。
40年代に軍民共有飛行場として開設され、太平洋戦争中は旧日本陸軍が使用していた為、コンクリートの戦闘機用掩体壕(えんたいごう)も残っています。現在、大島や新島などへ行く便が運航中。

愛輪を停め、隣接する武蔵の森公園の芝生に、横になりながら、ボーッと大空を見上げていると、真上をプロペラ機がガンガン通過。それも着陸直前、ですからすぐそこ、ちょっと手を伸ばせば届きそうな高さを、デップリした腹を揺らしながら、フワ〜ッと降りて来るんです! あの音、あの迫力、あの緊張感と言ったら、もう!! いやぁ〜、飛行場って“ロック”していますよねぇ。非常に感動的です。ゾクゾクします(笑)。

で、“ロック”と言えば“スタジアム”! と言うわけで、次に向かったのが、そのすぐ横にそびえ立つ、味の素スタジアム。そう、東京ヴェルディ&FC東京の本拠地です。
巨大な建築物が大好きな私は、此処でも大興奮。それにしても、なんて姿かたちのカッコいいスタジアムなのでしょう。いつも思うのですが。おまけにこの日は、ハーレー・ダヴィッドソン・フェアをやっていて、周囲の雰囲気も、まさにロック! いやぁ〜、非常にナイスです。
手前が空港、奥に見えるはスタジアム。凄い“絵”だと思いませんか?!

その後、警察大学校、東京外語大学と、緑と空間の多い、素敵なキャンパスを通過。
そうしてアメリカンスクールです。
独特の形をした建物&広さ。昔々、南米のアメリカンスクールに通っていた日々のことを思い出します。ついこの間のように感じられるから、ほんと、不思議です。

最後に、長年お世話になっているペットショップへ寄り、頼んであった猫用ドライフードをピックアップ。
そうして帰路へ。

計約7時間、30キロの心地良いツーリング。自然を満喫した、充実した1日であります。

追伸:ご紹介が遅れましたが、これが私の愛輪。ブリジストン・シティ仕立てMTB。もう15年近くの付き合いになります。どんなに混み合っている駐輪場でも、問題なく、すぐに発見できます(笑)。
町中を走る分には、これで十分ですが、2台目には、ボディがメタリック・レッドかブルーかグリーンの、クロスカントリー・フルサスが欲しいな。折り畳み式のマウンテンバイクを手に入れ、電車に乗せて、23区や地方を廻るのもナイスだと思います。
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2008年 6月 3日(火) さるるん@ロシア
温泉が恋しい
先週の水曜日に、給湯が止まった…。

ロシアでの給湯は、日本みたいに各家庭に給湯器があるわけではなく、建物ごとか、地域ごとかわからないけど、どこかで制御されて、各家庭で蛇口をひねるとお湯が出る仕組みが一般的。

毎年春から初夏にかけて、給水管点検のために3週間給湯が停止になる。この時期、水はまだ冷たい。つらいのは、やはりお風呂に入れないこと。湯沸しポットや大鍋を総動員してお湯を沸かし、バケツいっぱいに溜め、それを水でうめて、手桶でお湯を浴びることになる。

でも、手間はかかるけど、お湯が浴びられるだけ贅沢、だと思う。

もう10年以上も前の夏、ネパールはラムジュン郡の山村に6週間住み込みで、貧困層の自立支援プログラムのモニタリングをしたことがある。カトマンズからバスで5時間程行ったところから、徒歩2時間。 電気も、水道も、電話も、車もない村。 ちょうど雨季で、一年でも気温が一番高い頃。 夜になっても暑くて、どしゃ降りときたら、蒸して寝苦しいこと、この上ない。

そのときの私のお風呂は、川だった。。 川で水浴びしている最中に、水牛の群れが水浴びに来ることが結構あった。角があるから、近寄られるとちょっと怖い。 雨の日は、お風呂=川に入れない。大雨の後は、晴れても、川が濁流と化しているから入れない。汗を流せないのがつらかった。

それに比べれば、ここでお湯が出ないことくらい何てことはない。まだ汗をかくような暑さでもないし。

…でも、この時期はいつも以上に日本の温泉が恋しくなる。
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2008年 6月 2日(月) いぬ
"Seize the day!"とキーティング先生はおっしゃった
皆さんは、ランディ・パウシュ(Randy Paush)先生をご存知でしょうか。あちこちで取り上げられ始めているので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。私はというと、今週の火曜日の早朝、ある英語教育メーリングリストの特別配信で初めて知りました。

パウシュ先生は、アメリカにあるカーネギー・メロン大学の教授で、バーチャルリアリティーの権威です。研究者としても教師としても、そしてよき夫、よき父親としても順風満帆の人生を歩んでいたときに、ガンを宣告されました。外科手術をはじめ、実験段階にある化学療法まで試しましたがガンは広がり、ついに2007年8月、元気でいられるのは、あと3ヶ月から半年と告げられたのです。

それから1ヵ月後の2007年9月18日、先生は「最後の授業」と題した講演を行ないます。もともと「これが人生最後の講義だとしたら、どんなことを話すか」という前提で行なう講演は、割合よくあるようですが、パウシュ先生の場合は、ものの例えではなく、ひょっとしたら本当に最後になるかもしれない講演になってしまったのでした。

そうは言っても、Youtubeにアップされている講演の動画をみると、そこには悲壮感も暗さも、またはその裏返しのやけくその明るさもありません。人間同士のかかわりを純粋に楽しみ、それをとことんまで味わいつくそうとしている一人の男性が、ユーモアたっぷりに、会場を何度も爆笑の渦に巻き込みながら、全身全霊で会場の人々とコミュニケートしているのです。

「ガンの話も、家族の話も、宗教的な話もしないよ」と笑顔で語ったパウシュ先生は、自分の子供の頃の夢は何だったか、それをどう実現したか、そして今度は他人の夢の実現を手助けすることに、どう情熱を注いできたかを語ります。講演の最後に、先生をそこまで突き動かしていた理由が明らかにされますが、これには泣けました。私も完全に"head-fake"にかかっていました。

非常に上手な日本語字幕がついた動画が、Youtubeにアップされています。皆さんもぜひご覧になって下さい。生半可な映画などより、よほど見ごたえがあります。ましてや「ああ、疲れたな。バラエティーでも見て寝るか」と思われている方は、こちらをご覧になった方が、よほど「明日へのエネルギー」をチャージできることは請合います。

動画は全部で9本あり、全て見ると1時間15分ぐらいでしょうか。長い、と思われた方は、ぜひ1本目をご覧になってください。気がついたら全ての動画を見終わって、PCの前で小さく拍手をしているはずです。

http://www.youtube.com/watch?v=nrFMRuB2lbA

リンクが切れているようでしたら、Youtubeで「最後の授業」で検索すると、すぐに出てきます。

さて、この講演から8ヶ月もたった5月18日、パウシュ先生はカーネギーメロン大学の卒業式に出席し、卒業生に贈るスピーチをしました。さすがに8ヶ月前よりはやつれられた感はありますが、ユーモアたっぷりなのはそのままで、その一方で心に響く言葉をつむぎ出していらっしゃいます。卒業生たちは恐らく、泣き笑いの表情で耳を傾けていたのではないでしょうか。こちらも素晴らしいスピーチです。ぜひご覧になって下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=ATiyfX1I45I

「あと3ヶ月と宣告されてから9ヶ月経ったと言うと、『じゃあ、死神に勝ったんですね』といわれることがあるんです。そう言われると反射的に言ってしまうんですよ、『長く生きることが、死神に勝つってことじゃないんです。いかに充実して生きるかなんですよ』って。死神は、誰の元にもいずれ訪れます。死神が来てからじゃ、何をしようにも遅い。この世に生れ落ちてから、死神が来るまで、いかに過ごすかが大事なんです」

記憶に頼って書いているので、多少話が前後しているかもしれませんが、パウシュ先生はこう語っていました。そして「情熱を傾けるものを見つけるんです。もう見つけている人もいるかもしれないし、中年になってからようやく見つかる人もいるかもしれない。でも少なくとも、お金は情熱の対象になり得ないんです。お金に情熱を傾ければ、全てを『お金』というモノサシで見ることになる。そしてあたりを見回すと、自分よりもお金を持っている人に気付くことになります」と続けています。

他にもいろいろと心に残ることをおっしゃっているのですが、私の筆力ではとても伝えきれません。とにかくご覧になって下さい。出来れば「最後の授業」の後にご覧になることをお勧めします。日本語字幕はありませんが、画面のパウシュ先生の姿から、様々なメッセージが十分にくみとれるはずです。

個人的な話で恐縮ですが、人生の節目節目で、教師を題材にした映画や動画を見ることが多いです。大学入学の後、モチベーションを失って暴飲暴食の日々を送っていた大学2年生の春休み、ふと思い立ってイギリスを3週間ほど放浪したのですが、その時イギリスに向かう機内でやっていた映画が、Dead Poet's Society(邦題「今を生きる」)でした。

主人公のキーティング先生の

Seize the day, boys. Make your life extraordinary!
(今を生きるんだ、諸君。型破りの人生を送ってみろ!)

という言葉に、暗い機内で「・・・よし!」と拳を握り締めましたっけ。

2002年に日本に帰ってきてから、一時自分の授業や生き方に悩んだ時期がありましたが、そんなときに見たのが、Tuesdays with Morrie(邦題「モリー先生との火曜日」)でした。

Is today the day I die? Am I ready? Am I doing all I need to do? Am I being the person I want to be?
(今日が人生最後の日なのか?準備は出来ているか?成すべきことは成しているか?理想の自分になれているか?)

そう問いかけるんだと語るモリー先生(パウシュ先生と同じく、不治の病に冒されています)の言葉に、自分の悩みなんかちっぽけなものだ、前に進まなくちゃと思いなおしました。

そして、このところ、教育者・研究者としての自分のありかたにいろいろ考えていたところ、パウシュ先生に出会ったのです。パウシュ先生のような素晴らしいメッセージが伝えられる人間になりたい、そのためにいろいろな勉強をして、それを教え子に伝えていこう。そんなことを考えました。

しかし、こうやって並べてみると、3人の言葉はどことなく似通っていますね。真実は一つ、ということなのでしょうか。

さて、今週も頑張るとしましょう!
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2008年 5月30日(金) フレッヒ
困ります、訳さなくてもいいって・・・
 「これ、まあ、訳さなくてもいいんですけど〜」
って、急に会談中に言われたことありませんか?

 通訳者なら必ずこう言う場面に一度ならずとも
遭遇した事があるでしょう。

 逐次通訳中、相手の質問に対して答えたり、
いろいろと説明している中で
「これ、訳さなくてもいいんですけど、
本当は〜で、相手が〜だから・・・」
などと、通訳者が困るような愚痴に近い内部事情などを
突然言い出したりするのは、大抵日本側です。

 もちろん、ドイツ側にもあります。
でも私の経験上、通訳者が困るような事を会談中や
商談中に言い出すドイツ語圏の人は、
大抵商談慣れしていない田舎の芸術家や職人さんだったりで、
言う内容と言うのも愚痴と言うより、
日本人にはかなり嫌味とも取れる、辛口すぎる
半分本音なジョークだったりする場合が多いのです。
企業のビジネスマンの場合においては殆ど無い様に思います。

 レスポンスが遅い、そして甘いと言う企業が
日本に比べると多いヨーロッパの中で、
回答が得られない、遅い、来てもその回答の中身が
中途半端・・・と言う状況で、
日本側がイライラする気持ちも分かりますが、
商談中に通訳者に「言わなくてもいい」と言われて
話が始まるのは本当に困ります。
困りますを超えて何度も続くと、
正直思わずイラッとしてしまうこともあります。
私がイラッとする前に、相手側は、私が何か通訳してくれるのを待っているわけだから困ります。
そして言葉が分からなくても自分達の悪口を言われているのが、
感で何となく分かる人も多いのですよと、言わなくてもいい事を言っているお客様に説明します。

 こう言う事が無い様になるべくお客様とは
仕事前に打ち合わせを十分にするようにはしているのですが、
企業秘密と言う側面もあり、ギリギリまで会談内容を
言ってくれない場合も多いのです。
で、会談が始まった途端に愚痴が出る・・・。苦笑

 私は、こう言う時には他の話題に変えたり、
話の筋道がそれない程度に違う事を通訳したりして、
通訳を待っている相手を何とかごまかしていますが、
「これ訳さなくてもいいんですけど・・・」
と言って来るお客様、通訳できないような内容を
突然言って来るお客様方には、悠然に対処
しつつ、必ずスマートではないですよと言う事を何となく
伝えるようにしています。

 通訳者に訳させなくて良いような事を
現場の商談中にわざわざ言うくらいなら、
打ち合わせの時や会談以外で通訳者に伝えておくか、
商談相手に直接言えば良いと思うのです。

 何を言われているか分からない相手は
本当に気分が悪いと思うのです。
相手の立場になって考えてみれば見れば容易に分かる事です。

 そう言う時に限って言葉が通じない相手でも、
雰囲気で察してしまうものです。

 皆さんはどう思われますか?
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2008年 5月29日(木) みなみ
ロトルア週末1泊旅行
 オークランドは通常、5月も後半となると雨が多く、悪天候の日がほとんどなのですが、今年は快晴が続いています。そこで、先週末は家族でロトルア(Rotorua)旅行を楽しみました。
 ロトルアは、オークランドから南へ車で3時間余りに位置し、温泉で有名な北島随一の観光都市です。ニュージーランドの先住民族であるマオリの人々の伝統文化が色濃く残る地でもあります。
 到着後、車のドアを開けたとたん、硫黄の臭い。火山の噴火活動で出来た地熱地帯なので、あちこちで白い煙がもくもくと上がっているのです。
 ネットで2日前に予約した(急に思い立った旅行だった)モーテルにチェックインした後、さっそくポリネシアン・スパへ。ここは、いくつも温泉プールがある施設で、ロトルアに行くと必ず訪れています。ただし、水着をお忘れなく! 
 ここで1時間以上、たっぷり熱い温泉につかってふにゃふにゃになった後は夕食へ。日本と違って、名物料理というものがあまりないので、子供連れにもよさそうなファミリーレストランに入りました。
 これが正解! ウェイターのサービスも丁寧で、料理もおいしかったです。注文どおりに全員の料理が揃って出てきたので感動しました。大体、こちらのレストランは注文をなかなか取りに来なかったり、注文してもなかなか料理が来なかったり、注文どおりに来なかったり、忘れられたりするのですが、キウイはあんまり気にせず、のんびりおしゃべりしながら待っていたりするのです。
 ポリネシアン・スパで私はもうこれで十分、というぐらい温泉にたっぷりつかったのですが、私以外の2人(娘と夫)はお風呂大好き。食事を終え、モーテルに帰ったら今度は、部屋についているスパをきゃあきゃあ言いながら、入浴剤で泡いっぱいにして楽しんでいました。
 翌朝はマクドナルドで朝食を済ませた後、Whakarewarewaを見学することに。ここでは、地熱を活用している、マオリの村の生活を見ることができます。民家の間を通って、ガイドさんが教会、集会所、浴場、さらにはお墓までじっくり、1時間ほどかけて案内してくれた後、マリオのショー(ダンスや歌)を見学しました。パジャマ姿の人を見かけたりして、あちこちで湯気がもくもく上がるこの村に本当に住んでいるんだなあとびっくり。
 ツアーの途中、「温泉でゆでたとうもろこし」が娘の心を強く引き付け、しつこく、しつこくねだり続けられ、結局買いました。日本だったら間違いなく卵だったと思うのですが。肝心のとうもろこしの味は、温泉でゆでたからといってどうということなく、小さい1ピースで2.5ドルは、いくら観光金額だとしても高いように思われますが、娘が大喜びで食べていたので、よし、とします。
 帰りは「Lord of the Rings」のロケ地として有名なMatamataの街で簡単に昼食をとった後、一路、オークランドへ。
 久しぶりの家族旅行は、いいリフレッシュとなりました。なにより、NZでの7回目の秋にして、初めて、青空に映える紅葉・黄葉を美しいと思えました。好天によって朝晩が冷え込んでいるため、例年になく色にめりはりが出ているような気がします。



秋色の景色を満喫



途中のTimaruの街。アンティークショップが立ち並び、結構にぎわっていました



宿泊競争が激しいロトルアでは、各室にスパ(日本でいうジャグジー)が付いているのを売物にしているモーテルが多い



Whakarewarewa見学ツアーの様子。あちこちから煙がもくもく



地面からの蒸気を利用した天然蒸し器が村のあちこちに



少年たちが露天風呂を楽しんでいました。彼らは平気そうでしたが、お湯はすごく熱くて、私には入れそうもありませんでした



マオリショーの様子


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2008年 5月28日(水) ぺこたん
週間日記★公開!
●5月19日(月)
超ロング・インタビュー原稿書き最終日。
無事、担当編集者に入稿。非常に濃く深い特集記事になりそう。素敵な編集、楽しみにしています!

●20日(火)
CDブックレット用翻訳作業。
計約22枚。自分達のツアー・ヴァンとの思い出を綴った、非常に愛らしい心和む内容に、終始笑み浮かべながらの、楽しい翻訳作業。そう言えば、数日前に行なった彼等とのインタビューも、とても素敵でした。

……で、これにて怒涛の原稿書きの日々終了。
12日(月)より、原稿1日平均24-25枚ペースで書いていたことになり、気分は乾き切ったスルメ。
よって明日より数日間、雲隠れの予定。どうか探さないでください!

追伸: ぺこたん、ハッピー・バースデイ〜〜♪♪

●21日(水)
念願のパーマ屋へ。
私が21歳&彼が22歳の時から、つまり、人生の半分以上の付き合い。当時は美容師専門学校卒業まもない頃。それが今では“激戦区”で自分の店を持ち、人気アーティストも顧客に大活躍中。さすがです。
実はミュージシャンのフォトセッション時には、ヘアメイクアーティストが付くことが多く、そんな彼等に“ついでにやってあげるよ”…と、仕事の合間に、髪の毛をいじられたこともあるのですが、どうも駄目です。どんなに評判の良い人でも、ピンときたことがなく、彼にはまるで敵いません。座った途端、互いに言葉を交わさずも、その時の気分の髪型に…。いわく“長い付き合いなんで、顔を見れば、どんな髪型にしたいか、一発で分かる”…のだそうな。嬉しい限りです。
趣味が音楽・旅・写真で、今年はアルバム発売、写真展@パリが決定している…という魅力的な面もまた、長く通い続けている理由かも知れません。一生ついてゆきますよ〜!

その後、大好きな表参道⇒裏原宿を散策。
洋服屋をハシゴ。物欲☆大爆発。ぺこたん☆大暴走。
ファースト・ネーション・アクセサリー店では、小1の時、両親から初めてプレゼントされたシルバーと、同じモチーフのピアス発見。お店の人と話しながら、購入するか否か、しばらく考えるも、もう少々迷うことに…。

夕刻、レコード店&本屋を視察、その後コーヒー店に入り、人間ウォッチング&読書。
 ↑ 【宝物】
指輪はもう小指にも入らず。でも私の大切なモノ達です。

●22日(木)
念願の電気屋へ。デジタル・ハイ・ヴィジョン・テレビ購入。
先週お伝えしたとおり、日夜付いたり消えたりのポルターガイスト現象を、結構楽しんでいた私ですが、推定35-36歳の大事な木製机が、重いブラウン管を乗せられ、ゼーゼー咳き込み始めた上に、同じ現象を経験済みの友達に、“その内、テレビから煙が出ることもある”…と言われ、慌てた次第。
しかし、当初買う予定の15インチが、一時期よりも高くなっていて、ギョッとする。おまけにワイドが主流、慣れない形に戸惑う。が、店員に“大きくワイドな方が先々お得”…と言われ、ぺこたん、“机上に乗せて、字幕入れ時に使うだけだから、小さくて良いのだ!”…と懸命に訴えるも、どうにもならず。仕方なく話題を変え、3年後の“例のこと”について尋ねるも、何を言っているのか殆ど理解出来ず、意識を失いかける。仕方なく、“分かりました”…と礼を言い、結局16ワイドを購入。

●23日(金)
丸1日、読者三昧。長い間待たせてあった、東野圭吾氏の新作を開く。至福の時。

夜、“アフリカ好きならこれ!”と友達に勧められた「ガダラの豚」三部作(中島らも)を早速購入。“夜に読むと怖い”…と言われる。どういうことだろう? とにかく楽しみなのでR。

●24(土)
午前、仕事机周辺の大掃除。新しいテレビを迎える態勢整える。

午後、新しいテレビがやって来る。
代わりに、15インチ・ブラウン管とお別れ。ドナドナド〜ナ♪ 連れて行かれる時、背中が泣いていた。彼との15年もの思い出が、走馬灯の如く駆け巡り、少々センチな気分になる。
気持ちを入れ替え、さっそくハイ・ヴィジョン取り付け。で、お〜〜ぉ! 素晴らしい映りだ! そうしてなんだ、このチャンネルの多さ&多様な機能! 番組情報に番組表に裏番組!! さすがです、吉永小百合さま。

夜、翌日の取材相手の音&紙資料を研究しつつ、質問事項を考える。
 ↑ 【新顔】
VHS字幕入れ時に使用(DVD字幕の場合はパソコンで処理)。

●25(日)
昼間、読書三昧。続・至福の時。

夕方、電話インタビュー1本。約45分。原稿〆切は来週末。“明日出来ることは今日やらない”…が主義の私。よって、夜も引き続き、のんびり読書。
 ↑ 【インタビュー時必需品】
このハイテク時代にも拘わらず、今でもテープレコーダー(通称:テレコ)使用率の高い音楽業界。ノートは、もっぱら速記用のコレ。色&大きさの異なる物多種取り揃え、TPO&気分により使い分け。ボールペンは、BIC中太。同時通訳クラス受講時より、コレ一筋。

さて、これでリハビリの日々終了。明日から仕事本格復帰です……。
インタビュー&原稿書き2本、歌詞対訳1本、プロモ用字幕入れ1本、打ち合わせ1本。程良い忙しさ、理想的な1週間になりそうでR。
その他

2008年 5月27日(火) さるるん@ロシア
モスクワ生活の楽しみ
意外と思われるかもしれないけれど、モスクワは世界一物価の高い都市らしい。最低限必要な食材はものすごく安いけれど、外食はとんでもなく高い。洋服や靴も品質に見合わない高価格。家賃もとんでもなく高い。ソ連崩壊のときにモスクワに住んでいた人は、国から無償(!)で提供されたアパートに住んでいるから家賃の心配をする必要はない。我が家みたいにモスクワ以外から来た者は、家賃の負担に泣く。

そんなモスクワで在宅翻訳をする私のささやかな楽しみは音楽鑑賞。物価が高いモスクワだけど、クラシックコンサートのチケットはべらぼうに安い! だから、気軽に足を運べる。さすが芸術の国ロシアは、こうして国民が音楽を楽しめるようにしているんだなと感心してしまう。私はピアノのコンサートが好きで、月に1、2回コンサートを聴きに行く。

5月21日、24日の二夜にわたり、ニコライ・ルガンスキーのコンサートに行ってきた。ラフマニノフのピアノ協奏曲第1番から4番までの全曲演奏。オケは、ボリショイオーケストラ(アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮)。ラフマニノフ生誕135周年記念コンサートだそうだ。でも、135年記念って…普通10年きざみくらいでは? ずいぶん無理やりな記念だとは思いつつ、ラフマニノフは好きだし、興味深いプログラムに心ひかれてしまった。「パガニーニの主題による狂詩曲」のおまけもあり、どっぷりラフマニノフの世界に浸ってきた。

ロマン派ピアノ協奏曲の王道とも言える第2番は、思いっきり甘美に演奏してほしかった私には肩すかしだったけれど(でも会場は熱狂的な拍手とブラボーの嵐)、大好きな第3番のルガンスキーの演奏が素晴らしかった。泣いてしまった。

普段家に閉じこもって、ひたすらPCに向かう生活を送る私にとって、こういうひとときは、ものすごく貴重。心が癒される。

今お気に入りのロシアの若手ピアニストは、昨年のチャイコフスキー国際ピアノコンクール入賞者のミロスラフ・クルティシェフとフョードル・アミーロフ、ちょっと先輩のアレクサンダー・コブリン。それぞれ、年に3、4回はモスクワで演奏する。好きなピアニストの演奏がたびたび聴けるのは、とても嬉しい。

もっとも、コンサート前後には「ああっ、もうすぐコンサートなのに翻訳が終わらない!」と泣きそうになったり、帰宅後余韻に浸る間もなく作業を再開したりとバタバタすることも少なくなく、優雅なコンサート通いには程遠い。
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2008年 5月26日(月) いぬ
「分業」という病
先週は、期せずして「リレーブログ」になりましたね。
さるるん@ロシアさん、みなみさん、ありがとうございました。私もお二人のブログを非常に興味深く拝読しました。

さるるんさん、結局、歴史は真実をある側面から語ったものですから、やはり別の側面から語ればかなり語り口は変わりますよね。BBCに勤めていた頃、ニュース原稿に"in the British colony of Hong Kong(イギリスの植民地・香港では)"なんて言葉があって、「もうとっくに返還しているでしょう!?」とニュースルームに問い合わせたら、「分かった。原稿を修正する」との返事。さて、どういう風に修正するのかなと思いつつ、次の時間のニュースを通訳していたら、ちゃんと修正されていました。"in the FOMER British colony of Hong Kong(イギリスの「元」植民地・・・)"って。いろんなことを思わせますよね。何にしても、情報を鵜呑みにせず、かと言って自分の都合の良い情報ばかりに目を向けたりせず、様々な情報に接して、最終的には自分で判断を下したいものだと思っています。

みなみさん、私もイギリスにいた当時は、VEデー(対独戦勝記念日)や、Remembrance Day(戦没者追悼記念日)などを身近に感じて生活していました。日本人としては、欧州戦線は、あまり馴染みがないですよね。以前読んだ「ブリエアの解放者たち」という本が印象的でした。ロンドンの戦争博物館にも何度も足を運びましたが、そのたびに当時の日本兵の写真をジッと見てしまいます。現代の日本で、通勤途中にいくらでも出会いそうな顔です。戦後60年というと、はるか昔のことのようですが、生物としての歴史というスパンで見たら昨日の事に等しいのだなあ、などと思います。まあ、浮世離れした考え方であることは間違いないですけれども。

さて、今回は田植えを体験しつつ心に浮かんだよしなしごとをば・・・。

達成しなければいけない目標があったとします。最初は1人で取り組んでいますが、そのうちに志を同じくする仲間が集まってくるでしょう。すると、目標を細分化して、それぞれの得意なものを担当する方が効率が良くなります。「分業化」が進むわけです。

やがて組織が大きくなると、分業がどんどん進むのと反比例するように、一番最初に意識した目標は、かすんでいきます。目標を達成するための「手段」だった分業化が、ともすると「目的」にすりかわってしまい、分業化・効率化することそのものが目的になってしまうのです。

そうなると、みんながみんな、アクセルベタ踏みで頑張っていて、作業も効率的に進んではいても「・・・何かおかしい」と感じるようになるのではないでしょうか。

そんなことを、今日田植えをしながら考えていました。妻が見つけて申し込んでくれた「農業体験実習」に一家4人で参加してきたのです。

個人的には、田植えそのものは初めてでしたが、実に懐かしい感じのする体験でした。近郊農業が盛んだった地域で育ったので、子供の頃は麦の刈り取りを手伝って、麦わらを山のように積んだトラクターの荷台に乗せてもらったり、アルミホイルに包んだジャガイモを麦わらの山に放り込んでから火をつけて、ジャガイモに塩を振って食べたりしたもので、常に土の香りが身近にあったものです。

しかしいつの間にか、土とは無縁の生活をするようになり、泥はおろしたての服を汚す、にっくき敵となってしまいました。野菜はスーバーでピカピカに洗ってあるものを買い、米はビニール袋に入った無洗米。

そんな日々を過ごしている中で、素足になり、あぜ道に生えた草の感触を足裏に感じながら歩き、田んぼのなめらかで暖かい泥の中に足を沈めるのは、実に鮮烈な経験でした。ああ、子供の頃は、こうやって体全体でいろんなものを感じ取って生きていたよなあ、などと大げさなことを考えていたのです。

指導員役の農家の方や、農工大学の学生さんに見守られながら、集まった数十人の親子連れが、腰をかがめて、一列に苗を植えて行きます。娘のKは、田んぼに入った数十秒後に、足をもつれさせて泥の海に豪快なダイブを決め、顔をまだらにしながらも上機嫌。息子のNは数回苗を植えた後は、他の子供たちとタニシ取りに夢中でした。

私はと言うと、久しぶりにかいだ土のにおいや草のにおい、そして全身で「自然」を感じられることに静かな満足感を覚えていました。

「疲れた」「のどが渇いた」とブツブツ言いながら苗を植えていたNも、これで「ご飯が食べられる」ということがどういうことなのか、今までとは少し違った形で認識できるようになっていて欲しいです。

当たり前の話だとは思いますが、分業化、効率化が進んで、「食」に手間をかけなくても済むようになったのは、本来はそうやって浮かした時間で、人生をより充実させるためだったのではないでしょうか。

しかし、実際はどうか。いつの間にか、よりよく生きるための手段のはずの分業化・効率化が目的にすりかわってしまっているので、浮かせた時間に、さらに仕事を詰め込んでしまっているのです。もちろんその方が、仕事の効率は良くなるのでしょう。社会全体としてのアウトプットも、生産物の量というモノサシから見れば、向上するのかもしれません。

しかしそれも行き過ぎれば、ひずみが出てきます。農薬や人口肥料の使いすぎ、野菜そのものの栄養価の低下といったしっぺ返しが待っています。先日の「餃子」事件だって、少しでも安ければそれで良いという、消費者側の態度が招いた事件という側面もあるのではないでしょうか。

もちろん、現実問題として悠長なことは言っていられないことも分かってはいます。工業生産のように分業化・効率化を進めなければ、現在の農業は立ち行かないところまで来ていますし、そうでもしなければ、世界の人々のお腹を満たせないところまで来ていることも分かってはいるのです。

現実問題として、私たちが田植えをしたのは、田んぼ全体の4分の1ほど。残りは講師役の農家の方が、田植え機でどんどん苗を植えていました。結局、分業化・効率化は無視できないことではあるのです。

それでも自分の日常を振り返り、自分が住む社会を振り返ると、分業化・効率化の弊害が、あまりに多く目に付きます。自分の関与すること以外は興味を持たず、むしろ自分の関与すること以外の事柄に、自分のテリトリーをかき乱さないで欲しいという姿勢が、あまりにも目に付くように思うのです。そうやって、どんどん自分の首を絞めてしまっているように感じます。

さじ加減の問題なのだろうとは思うのですが、なかなか難しいですよね。
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2008年 5月23日(金) フレッヒ
日本でのドイツ式BBQ


 


 


 




 前回の続きで、こちらが、日本で
行われるドイツ式BBQ(我が家・・・)

 まずこの写真は準備段階です。
肉類を前日から筋切りをして
漬けて置くのは基本で、主にニンニク&玉ねぎのスライス、
ドイツで買うグリル香辛料ミックス
(なければ、塩コショウ、パプリカ、ナツメグ)
で味付けします。

 この様に基本は分厚い豚ステーキにソーセージ。
今日はドイツ風ハンバーグにチキン、ピーマンも。
牛肉はその日に寄ってですが、豚は普通のカツレツサイズ
より分厚いものを使うので、
ジャガイモのアルミホイル焼きが加われば
かなりお腹一杯です^^


 
 

 

 



 




 

  
  これは私のお皿。本日は庭で掘り立ての竹の子を
アルミホイルで蒸し焼きにし、抹茶塩で頂きました。
これが、美味しかった。

 この白いソースは、ギリシャソース・ツァツキ。
ヨーグルト・にんにく・サワークリーム・塩コショウ・ハーブ
玉ねぎときゅうりのみじん切りを適量に混ぜ合わせて
出来上がり。お肉やジャガイモの付け合せに欠かせません。
日本人の口に合うかな。
でも、ヨーグルトソースが苦手ではなかったら、大丈夫。
これはうちのゲストにも大変好評で、欠かせない一品と
なっています。

 
 

 


 




 




 

  このBBQセットは主人の自作。
庭にセメントを混ぜる所から一人でやっていました。
厳密に言えば未だ未完成で、この脇にピザ釜がもう直ぐ
出来る予定。さすが職人、手仕事・大工仕事は大好き。

 
 この記事を自分で読む頃は一体私はどこにいるんだろう?
ちょっとスケジュールが全く読めない今年であります・・・。

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2008年 5月22日(木) みなみ
「戦争」と「平和」について
 私も「戦争」について、思うことをつらつらと書いてみることにします。
 4月24日付けのAnzac Dayについての記事にも書きましたが、ほんの60年前、NZと日本は敵対国でした。
 オークランド博物館には、旧日本軍の戦闘機「零戦」が展示してあります。初めてこれを見た時、「なぜNZに、零戦?」と疑問だったのですが、終戦後の処理の際に、日本軍によって隠されていたのをNZ軍が発見し、引き揚げたものだそうです。
 南太平洋を中心に日本と戦ったNZには、日本との戦争経験がある人が多くいます。Anzac Dayのころになると、日本との戦争で死亡した若者やその遺族の方々の記事が必ずといっていいほど紹介されます。
 ついこの間は、Anzac Dayにちなんだ展示物を近所の図書館で目にしました。りりしい軍服姿の若者たちの写真には、名前や出身地、経歴などの紹介の最後に、「1944年、日本との戦闘で26歳で死亡」、といった文が付けられていました。
 逆に、当然のことながら、日本人の中にも、戦争で命を落とした人、そしてその家族がいます。私の父は11人兄弟の末っ子で、一番上のお兄さんが中国で戦死してます。幼かった父をとてもかわいがっていたそうで、残っている手紙には、父がどうしているのか、気に掛けている文面が残されています。
 勝っても、負けても、戦争で死ぬのは、今の私たちと同じ「普通の人々」なのです。
 ただ、こちらに来て、戦勝国であるNZと、原爆を2つも落とされた敗戦国である日本の意識の違いを感じることもあります。
 例えば、こちらのテレビコマーシャルに、核実験のきのこ雲を使ったものがあります。最初にきのこ雲の映像が出て、「会社に解雇を言い渡されたら、ここにご連絡を」という雇用者保護団体のPRの台詞が流れます。解雇というショックな出来事のイメージとしてきのこ雲が使われていると思うのですが、これを見るたびに、胸の奥がむかむかしてきます。結局、原爆を経験したことがない国の人は、原子爆弾がどれだけ恐ろしいものであるか、どれだけの人々が苦しみ、苦しんでいるのかに思いをはせることができないのだなあと感じてしまいます(ちなみにNZは非核国で、原子力発電所もありません)。
 また、Dデーのころになると、当時の華々しい武勇談などが新聞記事をにぎわせます。Dデーとは、ドイツ軍が占領していたヨーロッパに、ついに連合軍が上陸を開始した1944年6月6日の「ノルマンディー上陸作戦」開始日のことです。
 私がDデーという言葉を知ったのは、小学校5、6年生の時でした。「アンネの日記」の中に、「いよいよDデーです!」という記述があったのです。
 当時の私にとって、アンネは尊敬すべきお姉さんでした。ですから、アンネが死んだ15歳を迎えた時、「こんな年齢で、あの日記を書いていたのか」と、自分の精神年齢の幼さと比べてびっくりしたことを覚えています。そして、30歳になった時には、「アンネの2倍を生きてしまった!」と思いました。
 アンネは自由になったら、ジャーナリストか作家になりたい、と夢みていました。彼女ならきっと、夢をかなえ、素晴らしい仕事を成し遂げることができたでしょう。
 翻って平凡な日々を送る私ができるささやかなことは、今、空気のように享受している平和がいかに貴重なものであるかを理解し、感謝し、大切にしていくことではないかと考えます。
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2008年 5月21日(水) ぺこたん
嘆きのマイ・ブルース
外はポカポカ陽気。そうして私は引きこもり。
原稿書き、出しても出しても、また溜まる。
〆切日、飛び越えても飛び越えても、また現われる。
そうこうしている内に、近くのバラ園のバラも、終わってしまいそう。マウンテンバイクでフラフラ訪れたいのに、あぁ、焦り募る。

それにしても、
“月曜日”…と言われたインタビュー、水曜日に変更…にも拘らず、〆切日はそのまま。これって、どーいうこと?
“30分だからすぐ終わるっしょ”…と言われた字幕入れ、蓋を開けて見れば60分以上。これって、どーいうこと?

そんな最中、
“ファックス入らないのですが”…と朝方、携帯に仕事相手から連絡が。よーく調べたら、受話器を取っても、うんともすんとも言わず。従ってネットも繋がらず。“そんなバカな?!”。心臓が止まりかける。さっそく電話会社に連絡。いわく:“たぶん電波障害。修理は最短で翌朝”。しかしその場で暴れるわけにもいかず、で、お願いすることに。結局その日丸1日、電話もメールもネットも出来ず。“不便だなぁ”…とブツブツ嘆きつつも、“こんなことで不便感じる生活って、いったい何?!”…と思いは複雑。
結局翌朝、予定通り来てくださり(約束守る、流石はニッポン人!)、近くの電柱に登ること約30分。そうして無事再開。原因は何だったのだろう? まぁいいや。とにかく大雨の中、ありがとうございます。とても助かりました!

そんな最中、
夕食時に口の中で“ゴリッ!”。中を覗き込んだら、ありゃっ、詰め物が取れていた。来週から廃車…もとい…歯医者通いだ。痛っ。

そうそう、
15年物の仕事用卓上テレビ。ちょっと前から、突然付いたり消えたりする怪奇現象が。友達に相談し、“電気屋行って、新しいの買わなきゃいけないかな?”…と言ったら、“電気屋の前に、病院へ行った方が良いんでないか?”…と言われる始末。私は“ポルターガイスト”だと信じ、日夜ワクワクしているのですが…。

まぁそれはさて置き…と気分転換に、床の上で瞑想始めたら、年いってる方の猫が、ゆっさゆっさ巨体を揺らしながら、顔の真上を堂々と跨いでいった。おいおい。
そうして、“ぼちぼち原稿書きに戻ろう”…と椅子に座ろうとしたら、目の前の卓上ミニ・コンポに、ナゾの物体が。目を凝らしよーく見たら、猫のウガググだった。あぁあ。

そんなドサクサに紛れ、明け方5時に電話インタビュー。
受話器の向こう側の御方、最近の音楽業界の不振を嘆いてばかり。“もう引退時かな”…って、おいおい、そんなこと言わんでおくれよ〜!

とにもかくにも、
新しいテレビと、それから電子辞書も買い替えたいし、最近のカメラもチェックしたいし、だから久々電気屋へ行きたいのに、それもいつになることやら…。

そうそう、これ、社会人1年目の時からずーっと愛用している、大切なバイブル版革手帳。後半は“起こったこと”、そう、簡単な日録ページにしてあるのですが、この前半部分に記してあるのは、“これから起こること”、そう、予定表。
で、ご覧の通り、ギリギリまで真っ白け。一寸先は空白よ。超特急もの&予定急遽変更ものが多いので、こういうことに…。
ほんと、“来月の2週目、空けておいてください”…というような話の多いこと。それも結局、ズレたり何だり。よって、修正液痕だらけになってしまうだけなので、最近は決定事項しか記入していません。
あっ、余談ですが、緑色が“仕事関連”、ピンク色が“私事関連”。斜め太線は、〆切り日。見る度に慌てるよう、敢えて太線にしてあります(苦笑)。


そんな状況なので、
楽しみにしていた“姉妹がやっている餃子店での夕べ”も、私のせいで延期です。
ナマハゲ状態の髪を直しに行こうと、予約入れたパーマ屋も、結局ドタキャンする羽目に。

で、ついさっき交わした会話:

ぺこたん 「あのぉぉぉぉ………」
レコード会社ディレクター 「間に合いそうにない…ってか?」
ぺこたん 「ピンポ〜〜ン!!」
レコード会社ディレクター 「ふ〜ぅ〜」
ぺこたん 「1日だけ延ばしてくれれば、とっても素敵だと思いま〜す!」
レコード会社ディレクター 「火を水に…か?」
ぺこたん 「へ〜ぃ!」
レコード会社ディレクター 「水のいつ頃?」
ぺこたん 「陽が出てる内に、必ず!」
レコード会社ディレクター 「因みに、そっちの日没、いま何時頃よ?」
ぺこたん 「!#$%&*+÷×〒★@?!!」

あ〜〜〜、本当に申し訳ない。
しかし、アレだわなぁ、こんな感じの会話、数日前にもしたような…。
あっ、これってもしかして、デジャブー??

ぺこたん作、嘆きのマイ・ブルース。

そうそう、こんな時のBGMは、ヴァン・ヘイレンかラットかモトリー・クルー。とことん明るいのがステキです。脳天気ロックよ、バンザ〜イ〜〜!!
その他

2008年 5月20日(火) さるるん@ロシア
ほんとにリレーブログ
昨日いぬさんが戦争について書いていらっしゃったので、リレーのバトンを受け取ったつもりで書いてみよう。ちょっと重い話になるかも。

<戦争から目をそむけ続けていれば、戦争のほうでも日本から目をそらしてくれるのではないか、という根拠なき思い込みがあるのではないでしょうか。日本が戦争を放棄しても、戦争のほうでは日本を放棄してはいないのが、現在の国際社会の悲しい現実です。>

いぬさんの上記コメントに激しく共感。日本人は第二次大戦を直視し、自分の頭で考えようとしてこなかった。それが上記の思い込みや、今の諸問題の根源ではないか感じることがよくある。

私が第二次大戦を中心とした現代史の本を読むようになったのは、実はここ数年のこと。ロシア人である夫の影響だ。夫は自国の歴史のみならず、日本の近現代史もやたらよく知っており、ときどき日本のあり方に鋭い批判を浴びせてくる。反論できるほど自分が自国の歴史を知らないことが情けなくて読み始めたのだ。

第二次大戦に関する本もずいぶん読んだ。読んで愕然とした。自分が学校で教わった現代史が、事実と異なっていたからだ。中学校でも高校でも現代史はおろそかにされていたが、その分、自分で調べて知識を得ようなんて努力もせずに長いこと生きてきた。歴史の真実を見ることも、日本のたどってきた道を自分の頭で考えることもせずにいたと気づいたのは、人生の折り返し地点を過ぎてから。

真珠湾攻撃。
奇襲だったと教わった。卑怯なイメージを植えつけられてきた。事実は、日本側は、国際法に則って真珠湾攻撃前に在ワシントン日本大使館から米国政府に最終通告を手交する手筈を整えていたのに、大使館の不手際で攻撃前に届けることができなかったということだ。米国側が事前に攻撃を知っていたということはTV番組で知ったけど、授業では習わなかった。

東條英機の真珠湾攻撃に関する宣誓供述書から

「まず日本をして一撃を加えしめるよう仕向けるというがごとき戦争指導手段がアメリカ側に考えられておつたということはその当時は予期しておりませんでした。」

「…攻撃成功のためにこの(引用者注:最終的通告の)交付を故意に遅らせたというごとき姑息なる手段に出たものでないことは前に述べた通りであります。なおこのことは実際上よりいうも証拠の示すごとく米国は攻撃の前にこれを予知し、これに対する措置を講じておつたのでありますから、もし覚書交付遅延のごときことをするも格別の効果はなかつたのであります。」

東京裁判の時点での日本の主張が、国民に(戦後30年もたってから教育を受けた私も含め)ちゃんと知らされていなかった。国際社会でも、今なお日本はsneak attackをしたと言われ続けている。

と長々と真珠湾攻撃について書いたのは、自分でいろいろな本を読んでみないと真実は見えてこないと感じたきっかけだったから。自分は戦後米国の情報操作で作られた物語の世界に生きてきたのだと気づいたときのショック。日本人として、自国の歴史をちゃんと知った上で、自分なりの歴史観を持つことが大切だと思う。異なる言語間のコミュニケーションに携わる身として、国際社会に生きる身として、まず日本をしっかり見つめなければならないと思う。

真実を見て、反省すべきところを反省し、これからの日本のあり方を自分なりに考えていきたい。

【追記】自分ごときが、日本のあり方をあれこれ考えたり、声をあげたところで、どうにもならないという思いにとらわれることもある。でも、青山繁晴さんの言葉に勇気をもらった。

「『わたしが世の中をよくするために、自分なりに、自分のできる範囲で戦ったことに誰も気づかなくていい。結果を求めるのじゃなくて、まず、わたしが、この蒼い天の下で、祖国の大地の上で、誰が見ていなくても、誰も耳を傾けていないようでも、ささやかに戦いたい』と思うなら、いささかも無力感に囚われることはない」

ON THE ROAD: http://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_july/e/154fdb56f6ad0eef883274109b1a5382 より引用
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2008年 5月19日(月) いぬ
砂の中に頭を突っ込んではいないか
ある時、ある学校で、「通訳」の名を冠した授業をしていたときのことです。真珠湾攻撃の話になり、95年に真珠湾のアリゾナ・メモリアルを訪れたときのことを生徒に語りました。話が終わると、ある生徒が小首をかしげながら、

「でも、先生さあ、何で日本は真珠湾を攻撃したの?」

と言うのです。

「え?だって、アメリカと戦争することになったから、先手必勝で叩いたんだよ。逆効果だったけどね」

と言うと、

「何で!?だって、日本はアメリカと一緒に、ドイツと戦ったんでしょ?」

と驚いた顔をしています。これは何とかしなければと、授業の残りの時間は、日清・日露から第2次世界大戦までを一通りおさらいすることに費やしました。

先日のブログでも書きましたが、日本の学校における「通訳」の授業は、実質的に「英語」の授業です。生徒も学生も、「英語が使える(多くの場合は話せる)ようになりたい!」と思って授業を受けています。

しかし、英語を学ぶ上での最終的な問題は「英語」という「道具」を使って、何をコミュニケートするのかということではないでしょうか。

よく言われることですが、「言葉」は諸刃の剣です。人と人を結びつけもすれば、人と人が傷つけあう原因にもなります。良く切れる包丁は、美味しい料理を作る便利な道具にもなれば、効率的な殺人の道具にもなるのです。要は、英語という「道具」を使って、「何をするのか」ということが肝心だということではないでしょうか。

英語の教科書には、何やら理想的なシチュエーションのもと、フレンドリーな人しか出て来ませんが、実際には友好的な状況下では、言葉はそれほど重要ではありません。ニコニコしているだけでも良いのです。問題は、相手と自分の意見が対立しているようなときに、どう事態を切り抜け、収拾することが出来るかということですよね。

そうなってくると、様々なことを知り、それに対してどう考えているかという点が、非常に重要になってきます(もちろん、それ以外の要素もいろいろありますが)。

様々なことを知るという中でも、私を含む日本人に欠落しがちなのは、「政治の延長としての戦争」についての知識だと、イギリスに留学をしたときに感じました。どんな流れの中だったのかは忘れましたが、パブで会った2人組の大学生にフォークランド紛争のことを聞いても、紛争当時小学生ぐらいだった彼らが、実に理路整然と自分の考えを述べるのです。私は「そういえば、ミサイルが命中して、イギリスの軍艦が沈んだなあ」ぐらいの記憶しかないのですが、彼らは「なぜあの戦いがイギリスにとって欠かせないものだったのか」をパブで滔々と語っていました。

自国の戦いを正当化するのが良いことだと言いたいのではありません。しかし、あそこまであれこれ語れるほど、フォークランド紛争が国民全体が共有する知識として一般化されていることは、第2次世界大戦に対する一般的日本人の場合と大きく異なるなと感じたのです。

半ば「大したものだ」と思い、半ば辟易しながら聞いていたのですが、そのうち「何で日本は太平洋戦争を始めたんだ。馬鹿げているじゃないか。しかもパールハーバーみたいなsneak attack(だまし討ち)をするから、原爆を落とされるんだ」などと、矛先がこちらに向いてきました。酔いも手伝って、目の前がグルグル回り出します。のんびり飲んでいたはずなのに、何でこんなことになったのか。多分、私の言動の何かがまずかったのでしょう。

周りの数人の酔っ払いも、黙ってこちらを見ています。暖炉の中で火がパチパチとはぜていました。

幸いなことに、その数週間前に、授業の調べ物で第2次世界大戦に関してあれこれ調べていました。そこで、開戦にいたる日本側から見た経緯と、真珠湾攻撃と原爆投下を結び付けて考えることの問題点を指摘し、さらには、高校の世界史で学んだイギリスの植民地経営についての知識などを総動員して、何とかかんとか、ボロボロになりながらも反論めいたものをしたのですが、どうも上手く分かってもらえませんでした。

2人が「やはり日本の姿勢は問題だと思う」と言いながら立ち去ってから、しばらくかけて苦いビールを飲み干し、川沿いのパブを後にして橋を渡り、敗北感に打ちひしがれながらバスで大学の寮に戻りました。

私の英語がまずかったのはもちろんのことですが、政治の延長としての戦争に関する知識と、それに基づく自分自身の意見形成の不足が、コミュニケーションが上手く行かなかった大きな要因だと感じたのです。

そんな経験があったので、冒頭の「事件」には衝撃を受けたのでした。あのクラスでは、1週間に1冊ずつ、ブックレポートを生徒に書かせていたのですが、その課題図書リストに急遽戦争関連のものを追加して、読むように勧めてみました。「火墓るの墓」など、定番のものには一定の反響があったのですが、中には「戦争のことを知ると悲しい気分になるので、知りたくない」「戦争の本を読んだら、戦争好きになってしまうから読みたくない」とわざわざ言いに来た生徒もいました。

気持ちは分からないではありません。確かに、知って愉快になる知識ではありませんし、戦争関連の本には、戦争礼賛的な口調が出てくるものもあるでしょう。ただ目をそらしてはいけないこと、知っておかねばいけないことがあるのも、これまた事実だろうと思うのです。その生徒たちにはそう伝えましたが、あまり納得はしていないようでした。

head in the sandという表現があります。「現実逃避」とか、そんなような意味合いの表現です。ダチョウは危険が迫ると、砂の中に頭を突っ込んで、「自分には危険が見えないのだから、危険の法からも自分が見えないに違いない」と思い込む、という言い伝えから来ているのだそうです。

戦争に関しての日本人の態度には、どうもこの姿勢が見え隠れしているような気がしてなりません。戦争から目をそむけ続けていれば、戦争のほうでも日本から目をそらしてくれるのではないか、という根拠なき思い込みがあるのではないでしょうか。日本が戦争を放棄しても、戦争のほうでは日本を放棄してはいないのが、現在の国際社会の悲しい現実です。英語を学んで、そのような社会に飛び込むというのであれば、やはりそのことに対する知識をしっかり身につけていって欲しいと思うのです。

通訳学校で、「先生、私、軍事関係の知識には興味なくて」という人が放送通訳者志望だったり(イラクや、アフガニスタンなどのニュースに、それでどう対応するつもりなのでしょう)、大学で「私、翻訳者になりたいんです」という学生が、ポール・ティベッツ氏の死亡記事を題材にした翻訳課題で、「エノラ・ゲイ」という言葉が何を指すのか調べもしないまま訳文を書いていたりする現状は、かなり問題があると思っています。

また、一つハッキリさせておきたいのは、戦争について知ることは、戦争に対する盲目的な批判とは異なる、ということです。盲目的な批判は、盲目的な礼賛と同じぐらいに問題があることだと思います。

先日、「パパ ママ バイバイ」という本を読みました。これは1977年に横浜で起きた、アメリカ軍機の墜落事故を扱った絵本です。地上にいた幼い兄弟が亡くなり、その母親も治療の甲斐なくなくなったという痛ましい事件で、墜落直後に来た自衛隊のヘリは無事パラシュート降下した2人のパイロットを乗せて飛び去り、その後に来た米軍も、墜落機のエンジンなどの部品を持ち去っただけ。結局119番通報したのは住民だそうです。

子供たちに読ませようと思ったものの、結局やめました。意図的なのか無知なのか、事実とは異なる記述が目に付くのです。「最大限のスピードで激突し」(離陸直後なので、それほどスピードは出ていないはずです)、「マッハ2.4もの高スピードを持つジェット機が激突したのですから」(音速を超えていたら、ただ飛んでいるだけでも地上には様々な被害が起きます)、「『2〜4機編隊・十秒間隔=タッチ・アンド・ゴー作戦』で飛び立ち」(意味不明。着艦訓練ならばタッチ・アンド・ゴーという緊急機動の訓練はするでしょうが)といった記述が引っかかって、素直に読めないのです。書いてある詩もよいのですが、「事実の記述」には不適切に思います。

記録か、感情をかき立てる行動の起爆剤か。後者に偏った記述でしたが、むしろ前者に徹した方が、後者の目的を効果的に果たせたと思うのです。痛ましい事故に対する憤りの気持ちは、私も強く感じるのですが、それが原因で事実に対する目を曇らせてはいけないのではないでしょうか。

愉快なことではないにせよ、戦争に対しての知識を深め、バランス感覚を磨いて行きたいと個人的には考えています。
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2008年 5月16日(金) フレッヒ
ドイツ式BBQ!
 前回BBQを楽しむと書いて〆ましたが、
そろそろBBQの季節と言う事で、ドイツでのBBQと
我が家(日本でするドイツ式)を今回はご紹介。
 
 ドイツビールと共に写っている
写真はよく仕事で訪れるドイツは
イーダーオーバーシュタイン(宝石の町として有名です)
の名物、シュピースブラーテン。スペアリブだったり
肉の種類は家庭によって、レストランによって様々
ですが、シンプルな味付けなのに本当に美味しいグリルです。
(ニンニク・玉ねぎスライスに、塩コショウで肉を一晩漬けて置くだけ、私も日本でこうしています)
この町ではどの家庭も庭先に、このグリル仕様の建て付けセット
があるのです。私の取引先は、なんと庭にも
そして雨が降った時様にリビングにも完備。暖炉がグリル機能
も兼ねているものなのです。

 しかし、これレストランで注文すると
1人前400グラム。美味しいけど、食べ切れません・・・。
しかし、イーダーを更に奥に入ったド田舎に
このステーキを名物に出す、ミシュランでも
1星を大分前から獲得しているホテル・レストランがあったり
するのです。宝飾展示会の季節にお客様とよく宿泊する
ホテルです。そこのホテルのオーナーはドイツ1の
鯉の繁殖家として知られ、ホテルの名前も KOI KARPFEN HOTEL。
そのまま鯉(ドイツ語でもう一度鯉)ホテル。

 今の時期私だったら、前菜に白アスパラを少し頼んで、
メインのステーキを誰かとシェアして、イーダーを流れる
ナーエ川産か、これまた近所のフランスは
アルザスの白ワインを合わせるのが
お勧めです。あ〜、美味しい白ワインが飲みたくなってきた〜。

 注・イーダーオーバーシュタイン
 Idar-Oberstein フランクフルトより北西に
 位置し、フランスアルザス地方にも近い。
 昔天然のメノウが取れたことで宝飾業が盛んになる。
 その歴史は紀元前までさかのぼり、イタリアよりもちろん古い
 メノウカメオ発祥の地。イタリアの観光地でよく売っている
 メノウカメオは全てドイツ産なのでお気をつけて。
 イタリアのシェル(貝)カメオのは
 ドイツの彫刻技術を学んで、メノウより柔らかく彫りやすい
 そして安価な貝で始めたのがイタリアカメオ。
 電車でフランクフルトから約2時間・ヨーロッパ最大の
 宝石博物館と宝飾専門学校が
 ある事でも有名。
 たくさんの宝石彫刻家、デザイナー、職人達が
 住んでいる町です。自然も多く、素晴らしいワイン生産地。

 


まだ今この時点で我が家のBBQが終っていないので、
次回に我が家のBBQ模様をお伝えします^^

 

(イーダー名物、修道院教会、またの名を洞窟教会。山肌に掘られて
 作られている教会です)
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2008年 5月15日(木) みなみ
母の日と父の日
 この間の日曜日は、ニュージーランドも「母の日」でした。そんなことをすっかり忘れて、休日の寝坊をぬくぬくと楽しんでいたら(夫は日本へ出張中なのでベッドを独占)、妙に娘が廊下をぱたぱたしています。「何を忙しそうにしているのだろうか」と思っていると、娘がトレーを持ってやってきました。
 トレーには、手作りの母の日のカードと共に、トースト2枚、ヨーグルト、ホットミルクが。そうだ、今日は母の日であったのでした。
 こちらでは、母の日に限らず、誕生日や父の日などの朝に、主役の朝食をベッドに持ってきてあげるのがお祝いなのです。にこにこしながら、ベッドサイドでじっと見守る娘の前で、「おいしい、おいしい」とトーストを平らげました。実は、ベッドで食べるとぽろぽろこぼれるし、どうも祝ってもらっている、というより、病人扱いの気分になってくるのですが、ともかく、私のような未熟でいたらぬ母を祝ってくれる娘に、感謝の気持ちでいっぱいです。
 以前は、母の日(父の日も)だからと贈り物をしたりするのは、なんだか商業界の陰謀に操られているようでいやだったのですが、こうやって祝ってもらうと、うれしいものです(我ながら都合がいい)。でも、改めて自分の母に何かするのは相変わらず気恥ずかしくて、結局何もしていないのですが。
 ところでこちらでは(オーストラリアも)、父の日は9月の第1日曜日です。どうして9月なのか、だれが決めたのか、当初は不思議で、聞いて回ったのですが、「さあ、考えたことなかった」「母の日と離した方がいいと思ったのかなあ」「どっかの小売業界の作戦じゃない」などど、結論は出ずじまいでした。
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2008年 5月14日(水) ぺこたん
我が心のランディ・ローズ
インタビュー&原稿書きの仕事を始めてから、気がついたら早20数年。
この間、色々なミュージシャンと接してきました。10代の頃、部屋にポスターを貼り、徹夜でコンサート・チケットを購入していたような人達とも、仕事をする機会に恵まれています。
それでも結局、一度も生ライヴを観ることもなく、仕事で会うこともなかった人もいます。
真っ先に思い浮かぶのが、ランディ・ローズです。

先日、ある友達から、“この本、面白かったよ! とりあえずちょっと…のつもりが、止まらなくなって、一気に読んでしまった”…という話を聞き、“そうだっ、私もそれ読もう”…と、さっそく手にした一冊がありまして…。
それが、『Off The Rails(オフ・ザ・レイルズ)』。
実はこれ、しばらく前に購入済みだったのですが、中央に散りばめられた、懐かしいモノクロ写真の数々を眺めている内に、何故かすっかり満腹感を覚えてしまい、そのまま本棚に放置してあったのです。
ですから今回は、“もしかしてこれ、天の声? 今のタイミングで読まなきゃいけないってことか?”…と感じました。いえいえ、その友達は地上に棲息する人ですが…。まぁとにかく、そんなわけで東野圭吾氏などなど、順番待ちの方々すべて後回しで、さっそく同書を開いたのであります。
そうして一気に、その世界その時代へと、舞い戻ってしまいました。

著者はルディ・サーゾ氏。
1950年、キューバ生まれ。“外国人がハードロック・バンドで活躍できるわけがない”と言われていた時代から、クワイエット・ライオット→オジー・オズボーン・バンド→ホワイトスネイク→ディオ……と、欧米の名立たるバンドで活躍のベーシスト。
10代の頃から、彼の来日公演は何度も観ており、その華やかなステージ・パフォーマンスが大好きだったのですが、幼年期にアメリカへ移住し、様々な経験をしているからか、とても心の広い、温かなその人柄にも、非常に惹かれるものがあります。

そんな彼の日記風自伝である本作は、主に、バンド・メンバーであり、親友でもあったランディ・ローズ、そう、私が出会うことのなかった“彼”について綴った作品なのです。

あぁ、ランディ・ローズ。伝説のギタリスト。私の中の数少ない“ギター・ヒーロー”。
1956年、カリフォルニア州生まれ。
クワイエット・ライオット、そうしてオジー・オズボーン・バンドで活躍していたのですが、82年、全米ツアー中に乗ったセスナ機の墜落事故により、短い生涯を閉じています。享年25歳。
クラシックの要素を取り入れた、メロディアスで抒情的で、哀愁を帯びた美しい旋律で知られる名プレイヤーです。
それに加え、ヨーロッパの森に棲む妖精のような、その甘いルックスにより、女の子の間では大変人気がありました。

10年以上前になりますが、ロサンゼルスにお住まいのお母さまにお会いし、ランディとの思い出話を色々とお伺いし、運営してらっしゃる音楽学校を見学し、ギターや楽譜などの遺品や、家族写真などを見せて頂いた上、花束片手にお墓参りをしたことがあります。
その時の模様は、当時ある雑誌で特集を組み、詳しく書きましたが、あの日のことは、人生の中の大切な大切な1頁として、深くこころに残っています。

あの頃の仲間達は、今でも現役で、元気にやっていますよ!
ヴァン・ヘイレンは再結成しましたし、チープ・トリックは先日、30年ぶりの“at BUDOKAN”を演り、当時からのファンが九段下に集結しました。ホワイトスネイクとデフ・レパードは、先日新譜を発表し、秋に揃って公演を行ないます。ドッケンも先日、ニュー・アルバムをリリースしましたし、アイアン・メイデンも来日公演を果たし、ベスト盤も出しました。それから“王者”ジューダス・プリーストの新譜も、間もなく聴けそうです。
私も今ちょうど、その中のあるバンドの、ロング・インタビューに取り組んでいるのですが、メンバーはまぁ意気盛ん、本当に面白い記事になりそうです。
そうそう、あなたの親友ルディ・サーゾも、現役続行中。今でもその華やかなベース・プレイで、世界中の人々を魅了し続けています。

みんな“いい年齢”に達していますが、その“勢い”“貫録”に触れるにつけ、本当に嬉しくてなりません。

そうして、思い巡らしてしまいます……。
ランディ・ローズ。あなたが生きていたら、今年52歳。
どんなギタリストになっていたのでしょう。
どんなバンドで、どんな音色を奏でていたのでしょう。
髪の毛をバッサリ切り、夢であったクラシック・ギタリストになっていたでしょうか。
あるいは、現役ロック・ミュージシャンとして、ワールド・ツアーに出て、我々日本のファンの前で、その水玉フライングVを披露してくれていたでしょうか。

2004年には、Guitar Center Walk of Fame(Walk of Fameロック版)の殿堂入りを果たし、ご家族の皆さんや当時のバンド仲間達が、記念式典に駆けつけました。
とても喜ばしいことなのですが、でも、其処にあなたがいないのは、何とも言えず、寂しい光景でした。
それでも、あなたがこの世を去ってから、26年経った今でも、当時のアルバム、そうしてその後リリースされたベスト盤などから、その美しい旋律が、色褪せることなく、聴こえてきます。
これは最高の贅沢、とても幸せなことですよね。
こころから、そう思います……。
その他

2008年 5月13日(火) さるるん@ロシア
ロシアのゴールデンウィークに思ったこと
ゴールデンウィークに合わせ、私もしばし休業。この時期はロシアも5月1日の春と労働の日から9日の戦勝記念日まで飛び石連休で、ロシア版ゴールデンウィークといった感じ。ロシアでも今週から日常に復帰なのだが、風邪をこじらせた私の復帰は遅れそうだ…。

ロシアでは、5月7日にメドベージェフが大統領に就任し、翌8日にはプーチンが首相に就任。9日の戦勝記念日には、二人並んで赤の広場での大規模軍事パレードに出席。双頭体制のスタート、メドベージェフ政権でも「強いロシア」という路線にかわりがないことを内外にアピール。

ナチ・ドイツとの戦いで2000万人以上(TVでは2700万人と言っていた)の犠牲者を出したソ連。その戦いに勝利したこの日は、ロシアで最も大切な祝日のひとつ。お祭り騒ぎになる。

第二次大戦の日ソ関係を思えば、私がこの祝日のイベントに行くのは場違いなのだが、ロシア人でもある娘の保護者として、二つのイベントを見ることになった。

ひとつは、5日に、娘の通う現地校に退役軍人を招いて行ったイベント。生徒たちが、「この国を守ってくれて、ありがとう」という趣旨の詩を暗誦したり、歌ったり。日本の学校ではこういうのはタブーなんだろうな、日本は語り継ぐべきことや大切にすべきことまで封印してしまったんじゃないか、と思いつつ見ていた。

もうひとつは、9日に近所の公園で行われた戦勝記念イベント。うちの子が所属する合唱団も出演することになったので。ここでは、一分間の黙祷の時間もあった。この祝日イベントで歌う姿を見ながら、あらためて、うちの子には祖国が二つあるんだよな〜と思った。

ちょうど連休を利用して、山崎豊子の『二つの祖国』を読んでいる最中。日系二世の主人公が、二つの祖国の狭間で苦しみながら、第二次大戦で米軍語学兵として日本軍の情報解読をしたり、東京裁判で通訳のモニターをしたり。昔NHKの大河ドラマで見て衝撃を受けたものだが、ドラマと原作では随分違うようだ。我が子がこんな苦しみを経験することのない世界であるよう願わずにはいられない。
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2008年 5月12日(月) いぬ
散文的な、あまりに散文的な
うう、体中が痛い。2週間ぶりの稽古が応えたな。さてと、そろそろ起きるか。今日は例の論文を読んで、要点をノートに抜書きしなくちゃ。まだ夜明け前だから、1時間ぐらいは・・・

「おとーさーん」
う、Kちゃん、起きちゃったのか。妻はもう起きて仕事中か。それじゃあ、僕が寝付かせるしかないな。
「どうしたの、Kちゃん。まだ早いよ。ねんねしよう。お父さんのお布団においで」
頼む、早いところ寝てくれよぉ・・・。
「あのねえ、ゆめでねえ、おとうさんがねえ、ぎょうざたべた」
な、なんだ、そりゃ。
「さささ、それじゃあ、お目々つぶって、ジッとしてごらん」
「ねむくなーい」
「ん。寝なくていいの。こうやってねえ、お目々をつぶってねえ、ジッとしててごらん?そうするとねえ・・・」

・・・ZZZZZZ・・・・

・・・ハッ!僕が寝てどうする!しかも、すでにKちゃんは布団にいないし!

「悪い悪い、すっかり寝坊しちゃったなあ。もう7時過ぎかあ」
「良いのよー。ゆっくり寝てれば良かったのに」
と妻。目が笑っていないような気がするようなしないような・・・。

「おはよー」
息子のNが起き出した。さあ、朝に弱いから、これからが大変だ。休日ぐらいゆっくり過ごさせてやりたいが、下手をするとパジャマの上を脱いだ時点で夕暮れを迎えかねない。

「ほら、Nくん、お着替えしちゃいなさい」「本は読まないの」「今のうちにおトイレに行かないと、またKちゃんと取り合いになるぞ。行っといで」「今は本を読むときじゃないでしょ?」「Kちゃん、まだ早いから、電子ピアノは弾かないで」「ほら、Nくん!本は今すぐしまいなさい!」「かなちゃん、スプーン並べて」「え?どっちでもいいけど、それじゃ、紅茶」「パジャマ脱ぎっぱなしだぞ、2人とも」「ほら、呼ばれたらすぐ席に着きなさーい!」

ようやく朝食が始まるが、休日の朝の優雅さなどかけらもない。

「あのねえ、キティちゃんが、ようちえんに行ったのね」「HDD、録画出来てなかったの。199タイトル以上はダメみたい」「それでねえ、おべんとうをたべてたの」「そりゃ災難だったなあ。じゃあ、早起きしても仕事できなかったんだ」「ウ〜、ワンワ〜ンワ〜ン!」「こら、Nくん、食事中に歌うんじゃないの」「それから、今日の試験だけど」「でも、そんなの関係ねー」「え?試験だっけ、今日?」「Nくん、おとうさんがそれいっちゃダメっていってたよー」「カレンダーに書いてあるでしょ」「いいんだもんねー」「あ、そうか。悪い悪い」「ダメなんだよー!」「それで、1時ぐらいには帰れるけど、帰りに買い物してこようか?」「いいんですー!」「うん、じゃあリストにあるものを買える範囲で」「ダメなの!おとーさーん!Nくんが」「こら、2人ともケンカするんじゃない!」「だってNくんが」「Kちゃんが」「良いから、ちゃんと食べなさい!あ、ベーコンも買ってきて」「だってKちゃんが・・・」「いつまでも言うなよ。ほら、こぼした!」「お父さんが怒ったー!」「怒られるようなことするからでしょ!ほら、Kちゃんも、おかずばっかり食べないで、パンも食べるの!」

喧騒のうちに朝食が終了して、食器洗い。妻は洗濯機から洗濯物を乾燥機に入れた時点で時間切れ。残りは僕が干すとするか。

「ほら、お母さんが出発するぞー。みんな玄関に来なさーい」「えー、僕、ちょうどトリケラトプスを折ってたのに」「ちゃんとお見送りするの!」「じゃあね、いい子にしててね」「おかーさーん!いってらっしゃーい!」「こら、Kちゃん、まだ早いんだから玄関で大声出さないの!」「ねえ、お父さん、もう戻っていいでしょ」「あのなあ・・・」

しめしめ、子供たちは遊びに夢中だな。それでは早速読むとするか。

「通訳教育の新しいパラダイム―異文化コミュニケーションの視点に立った通訳教育のための試論」
http://wwwsoc.nii.ac.jp/jais/kaishi2005/pdf/04_inou&;someya_final_.pdf

ずいぶん前に斜め読みしたきりで、じっくり読み返したかったんだよね。3Dモデルを発展させた話も載っているし。

「同時通訳は『即時処理』と『遅延処理』の2つのタイプがある」かあ、なるほどなるほど。僕は明らかに後者だなあ。前者には「修復」と「つなぎ」の技法が必要・・・って、それ、なんだろう。

Hallという人の「高コンテクスト文化」「低コンテクスト文化」という概念も、「英語教授法概論」か何かで読んだ気がするけれど、改めて考えると面白い。前者が日本的な「お互いにツーカーなので、最小限の言語情報でメッセージが伝わる」という状況、後者が欧米的な「ほとんどの情報を明治的なメッセージとして提示しなければならない」という状況。なるほどね。

ただ、同じ文化の中でも、コミュニティーごとにというか、高コンテクストと低コンテクストが混在しているだろうから、そう明確には・・・

「ん?なあに?」
「おとうさん、なぞなぞね。にんにくはにんにくでも、たべられないけど、たべられるにんにくは、なーんだ?」
「へ?に・・・んに・・・く?」
「ぴんぽーん」
「え?正解なの?」

笑顔でうなずくと、無言で立ち去るK嬢。何なんだよ、一体。

ええと、次は通訳教育についてか。よっ、待ってました!なになに・・・。
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